(C)2016 Team “KEN SAN”
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日本の男性像として銀幕で憧れをもって愛された“健さん”こと俳優・高倉健。彼が演じた“日本の男”の在り様を作品、俳優、生き方から見つめ、映画監督や俳優、評論家などの証言をとおして浮彫にしていくドキュメンタリー。1960年代のプログラム・ピクチャー全盛期には義理と人情に生きる任侠映画の一大ブームを牽引し、街のオジサンから学生運動の全共闘の若者たちの心にも届いた“男の存在感”はどこから生み出されたものなのか。その俳優としての存在と個人・小野剛一(本名)の生き様には、他人様のことも思い遣りながら一所懸命に生きることの気高さと“男気”を感じさせられる。

【あらすじ】
中国映画「単騎、千里を走る」で中国のガイド役として主演の高倉健と共演した若手俳優チューリンが、大阪の繁華街を歩き高倉健の主演映画を上映している名画座に入る。観客は少ないながらも、我慢ならずに切った張ったの修羅場になると「いよー、健さん!待ってました!」の掛け声がかかる。その間合いは、任侠映画が全盛期の雰囲気そのままだ。そんな観客の至福の表情を眺めながらチューリンは、「健さんは大スターだと聞いていたが、若手俳優にも優しく接した」と撮影時の思い出を語る。

アナーキーな犯人役・松田優作の遺作となった映画「ブラック・レイン」で刑事役として高倉健と共演したマイケル・ダグラスは、帰国前夜に屋台でそばを食べるシーンでの高倉健の存在感のある素晴らしい演技の思い出を語る。その演技は、父親の名優カーク・ダグラスが語っていた「自分自身がそこに存在する」ことにつながるという。映画「男たちの挽歌」シリーズなどを監督したジョン・ウーは俳優・高倉健を「高倉先生」と呼び、自身の作品の演出にも高倉健の影響を俳優たちに伝えてきたという。またマーティン・シコセッシやポール・シュナイダーらとの作品の企画や出演をめぐるコミュニケーションがあったことは、高倉健が俳優として国際的に高い評価を得ていた事実が明らかになっていく。

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国内の監督、共演した俳優、映画評論家らが語る撮影所での高倉健とともに、40年間、高倉健の付き人を務めてきた人、実妹らのインタビューからは、役者を離れ一人の人間として生きる小野剛一の繊細さと何か贖罪のようなものを背負った孤高な姿が浮かび上がってくる。映画の役どころとはいえ、長年のヤクザ役での殺気は、数千人の切られ役を殺してきた。時折り京都のお寺へ行き瀧に打たれは住職の説法を聴く“健さん”。それでいて、他人に寄り添っていく優しさはどこから来るのか。その温もりに触れた人たちが語る言葉は、大スターでありながら、傲り高ぶることなく謙遜に生きた一人の男の生きた証に満ちている。

【みどころ・エピソード】
なんといってもインタビューに答える人たちの豪華さと、彼らが大スター・高倉健という浮き上がりそうな存在ではなく、“健さん”と気さくに呼びかけられる人間性を敬意と親しみをもって語っている表情が愉しそうでうらやましい。日本の監督では、東映時代から仕事を積み重ねてきた降旗康男、東映から独立した最初の出演作「幸せの黄色いハンカチ」を撮った山田洋次らが出演している。高倉健の演技の根源を見つめる日本と外国の監督・俳優たちの深い洞察は、真に俳優として個性ある人間性を練り上げた謙虚さを異口同音に語っている。

一人の人生としては、妻・江利チエミが流産した悲しみと、その愛する妻との離婚という決断を受け入れざる得なかった哀しみを経験している。また、任侠映画のスタートして映画興行とも関りのあったヤクザの親分衆や裏社会の怖さ、その付き合い方にも肚を据えて堅気の生き方を厳しく貫いていたことだろう。このドキュメンタリーでは、そのような面での厳しさよりも、俳優としての人生を一途に貫いた外連味のない姿を追っているように思われる。“健さん”と呼びたくなる俳優・高倉健の存在を見せられて、ふと「患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。」(ローマ人への手紙5章3-4節)という聖書の言葉が思い出された。 【遠山清一】

監督:日比遊一 2016年/日本/95分/ドキュメンタリー/映倫:G/ 配給:レスぺ 2016年8月20日(土)より渋谷シネパレス、K’s cinemaほか全国順次ロードショー。
公式サイト http://respect-film.co.jp/kensan/
Facebook https://www.facebook.com/kensanmovie/