2016 年7月26日、神奈川県相模原市にある「津久井やまゆり園」において、入所なさっている方々の19 名の命が奪われ、27 名が重軽傷を負うという、残忍な事件が起きました。亡くなられた方々への哀悼の意を表すると共に、愛する人を失って苦しみ嘆く方々に主の慰めが伴うように、また、負傷なさった方々の回復のために、抵抗できない方々を狙った残忍な行為を目の当たりにしながら、どうにか命を繋いだ方々の苦痛の癒しのために、お祈りいたします。
 一連の報道では、容疑者として逮捕された青年が、障害を持つ方の存在や人格を否定する供述をしています。この事件は、容疑者となっている青年の特殊な問題ではありません。この事件は、ヘイト・クライム(憎悪犯罪)であり、経済効率優先の価値観が、現代社会を蝕んでいる表れです。このあまりにも残忍な行為に至る「優生思想」が、ただ「労働力の担い手」や生産効率で、人を序列化する現代社会の深部に潜んでいるのです。これは他ならぬ、私たちの生きているこの社会で公然と起きた、人命軽視なのです。命よりも経済を優先する思想と、排外主義は、戦争に向かう社会において生まれます。
 このような「ヘイト・クライム」を生みだす土壌がつくられつつある社会に在って、私たちは、声明を行います。全ての人が神にかたどって造られ、神にあって命が与えられ、その命に優劣はないことを。命、一人ひとりの存在は、固有であり、かげかえのない尊いものであることを。一人ひとりの存在に、神は深い意味を与えておられることを。私たち一人ひとりは、それぞれに「違い」を持って生きています。それを「多様性」という恵みとして、私たちはいただき、出会い、関わり合い、互いに隣人になることへと招かれています。ここにこそ、神にかたどって創造された人間らしい命の在り方があります。「隣人性」の否定は、自分自身の否定でしかありません。神が私たち一人ひとりに与えてくださった出会いにおいて、無用な命、無価値な命、意味のない命は、ないのです。私たちは、主イエス・キリストの愛を受けて、命を喜び、命を祝い、命を尊び、命を愛します。
 「あなたがたは主を求めよ、そして生きよ」。アモス書5章6節(口語訳)

                            2016年9月14日
                        日本バプテスト連盟理事会