私たちNCC「障害者」と教会問題委員会委員は、去る7月26日未明、神奈川県相模原市で起こった「相模原障害者施設殺傷事件」に、大きな衝撃と深い悲しみを覚えました。犯罪容疑者自身の「障害者はいないほうがよい」との言葉は、ヒットラーの優生思想の影響を受け、現実社会に根深い「功利主義的発想」から実際に何の役にも立たない障害者は「安楽死」させることがよいとの考えに基づくものでした。彼の殺意がいかに強かったかは、比較的短い時間であれほど多くの殺傷ができたことでも分かります。彼にとっては、社会的にも家族的にも「不幸の種をとり除く正義感」があったからこそ、残虐な行為自体にも迷いはなかったのではないかと推察します。
 同容疑者がなぜこのような行動を起こしたのかの真因はまだ十分わかりませんが、この事件を彼個人(一人の犯罪者)だけの問題としてはなりません。誰にとっても同じ時代の社会に生きる人々の考えや生き方の影響は大きく強いのではないでしょうか。表面的には「一人ひとりのいのちを尊ぶ・生きる権利は平等」と謳いながら、実際は社会的・経済的能力を持つ者がより高く評価される現実、その矛盾したひずみの中で生きる閉塞感の「はけ口」に、社会的弱者や少数者を差別し排除する人々が一部に現われて来ているのです。
 しかし私たちはいま、ある先達の鋭く深い言葉を、鮮明に思い起こします。「もし、社会が強い者(賢い者)だけで構成されていたら、その争い、闘いのために自滅したかも知れない。しかし、社会は弱い者、愛や配慮を必要とする者の存在によって、辛うじて保たれている」と。人間の常識的な「功利主義的発想」を拒み、明確に障害者や少数者の存在意義が告げられています。
 キリストにある平和、キリストによる平和を求め、いかなる社会的・経済的価値観をも超えて、根源的な『人間の生命・いのち』を第一義的に尊重し合う共生社会を目指すことこそが、この地上の世界に真の平和をもたらす究極の希望であることを、私たちは信じ訴えます。

                                2016年9月25日                            NCC(日本キリスト教協議会)
              「障害者」と教会問題委員会
                              委員長 橋 本 克 也