img4dc3547f475e0衣食足りて礼節を知るといわれる。だがそれは、衣食の足りる生き方にもよるのかもしれない。国民の8割がルーテル系国教会に所属するが、礼拝出席は5%程度といわれる。’もっとも幸福な国’と評された福祉国家デンマーク。生活保護手当や障害者年金など手厚い社会保障を受けながらその底辺に生きる者たちの満たされない心。下流社会に生まれると、親の暴力や高等教育を受けられない人も多く、より高い社会的スティタスへステージアップできない厳しい現実もある。そのような心の暗闇に射し込む愛の光。暗闇からその愛の光へ解放されたいという人間の本来的な願いが、痛いくらいに伝わってくる作品だ。

まだ10代のニックと弟の母親は、アルコール依存症で赤ちゃんの末弟の世話をすることもなく毎晩のように酔って帰宅する。ニックと弟にとって、まだ名前さえ付けてもらえない乳児の末弟は、ミルクを作って可愛がれば笑顔を返してくる唯一の存在なのだ。電話帳をめくりながら末弟の名前を探す二人。ベッドの上であやしながら末弟に幼児洗礼式のまねごとをする。洗礼式の後は祝宴とばかりに、母親の酒を飲んでロックな曲に乗って踊り疲れ寝てしまう。そして、翌朝目が覚めて起きたら、末弟はベッドの上で死んでいた。

時は経ち、成人したニックと弟のそれぞれの暮らしに物語は展開する。
ニックは、恋仲だった友人イヴァンの妹に振られたことで、通りがかりの男に暴力を振り大けがをさせたため有罪になり、3か月ほど前に仮出所したばかり。ワンルームの公共宿泊施設(シェルター)で暮らし、生活保護と空き缶のリサイクルで小銭を稼いでは、食事代わりに酒を飲む日々。少し乱暴で怒りっぽく、女性への不信感からか、冷淡なわけではないが恋愛には距離を置いている。

母親が死に、その葬儀で久しぶりに弟と再会した。その弟に、また会いたくなって電話した時、明るくはしゃぐ子どもと女性の声が聞こえ、幸せそうな感じを受けたニックは、弟には何も言わず電話を切る。その直後、苛立つように素手で公衆電話を叩き壊し、右手をひどく傷めてしまう。

img4dc354717d197ニックの弟は、2年前に妻を交通事故で亡し、今は幼稚園児の息子マーティンと二人で生活保護を受けて暮らしている。しかし、薬物依存から抜け出せないでいる弟は、朝食や弁当も作れずに幼稚園へ送り出し、迎えに行く時間も大幅に遅れることもあり、ソーシャルワーカーから「育てられないのならマーティンを保護すると」警告されてしまう。「あの子は自分のすべてだ」と強く拒否して立ち去るが、マーティンを愛しながらも、麻薬を打つのを止められないでいる。

そんな時、母親の葬儀のため教会で再会したニックと弟。ニックは、弟とマーティを見て、「その子をしっかり育てるように」と願って、母親が遺した家を売却した代金を全額弟に譲る。だが、弟はそのまとまった金額でまやくをまとめ買いして売人になり、自分なりの生き方を目論見、悲劇への一歩を踏み出してしまう。

幼い末弟を思わぬことから死なせてしまったと、心の重荷を背負っているニックと弟。マーティンを守って育てようとする二人の想いと眼差しの柔らかさ。葬儀でしか描かれない教会のシーンだが、その光の演出の温かさ。

原題の’SUBMARINO’は、ヨナス・T・ベングトソンの原作と同じ表題。通常は「潜水艦」とも訳されるが、この作品では、無理やり頭を押さえつけて水中に顔を沈める拷問の一種を意味する言葉ともいわれる。二人の心から消えることのない、末弟の死という重荷。下流社会からもがいても這い上がれない厳しい現実。ニックと弟のもがきながらも愛する存在、愛されたいという思いと心理描写が、出演者たちの演技からも存分に伝わってくる。それだけに、光の温もりを感じさせられる教会でニックとマーティンが再会するラストシーンが、希望を失わない人間の本質を描く眼差しのようで、心に残る。   【遠山清一】

監督・脚本:トマス・ヴィンターベア。2010年/デンマーク/114分/原題:SUBMARINO。2010年北欧映画賞受賞、2011年デンマーク・アカデミー賞5部門受賞 配給:ビターズ・エンド。6月4日(土)よりシネスイッチ銀座ほか全国順次公開。

公式サイト http://www.bitters.co.jp/hikari/