(c)2011「一枚のハガキ」近代映画協会/渡辺商事/プランダス
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今年4月に99歳の誕生日を迎えた脚本家で映画監督の新藤兼人が、「これが最後」と公表して昨年撮り挙げた監督作品。自身が1942年、32歳の時に召集され二等兵として呉海兵団に入隊した経験を元に、戦争の愚かしさと戦死した男たちを亡くした一家の悲惨さを軽妙洒脱な展開と演出で描いている。

部隊宿営のために新興宗教施設の大掃除に派遣された松山啓太(豊川悦司)ら100人の’おっさん部隊’。三十路を超えた者ばかりだが、1カ月余を掛けて大掃除が終わると、南方戦線に送られる60人が上官のくじ引きで選抜された。その日の夜、同じ宿舎のベッドの上段に寝起きする森川定造(六平直政)が、「自分は南方に送られ、もう帰れないだろう」と覚悟を語り、生き残ったら妻を訪ねてほしいと一通のハガキを託す。「今日はお祭りですが あなたがいらしゃらないので 何の風情もありません 友子」と情のこもった鉛筆書きの文章に、啓太は生き残ったらと告げてそのハガキを預かる。啓太ら40人は宝塚へ派遣されたが、定造らが乗船した輸送船は途中、潜水艦の魚雷攻撃を受け戦死した。

年老いた定造の両親は、未亡人になった友子(大竹しのぶ)に弟・三平と結婚してこの家を守ってほしいと拝みこんで頼む。再婚を承諾した友子だが、間もなく弟・三平にも赤紙の召集令状が届き、出兵を見送るとほどなく戦死してしまう。働き手がいなくなり、無理して農作業する父親も急死。母親は、迷惑を掛けたくないとばかりに夫の葬儀を終えると翌朝に自死してしまう。そして、敗戦。友子は、嫁いだ家の家族をみなを戦争でなくした。

啓太は、宝塚でさらに34人の戦闘部隊配属のくじ引きからも漏れ、6人の同期入隊者らとともに生き残って終戦を迎えた。だが、故郷に復員すると家で待っていると思っていた父親と自分の妻が駆け落ちして居なかった。国内に配属されていた’おっさん部隊’でも、郵便の検閲が厳しく気持ちを伝える言葉が書けないため、定造も啓太もハガキ一枚送らないでいたのだ。そのため、啓太の妻は夫が帰ってく前に父親と駆け落ちした。啓太もまた戦争で家族を失った。

ハガキの文面:「今日はお祭りですが/あなたがいらしゃらないので/何の風情もありません 友子」 (c)2011「一枚のハガキ」近代映画協会/渡辺商事/プランダス
ハガキの文面:「今日はお祭りですが/あなたがいらしゃらないので/何の風情もありません 友子」 (c)2011「一枚のハガキ」近代映画協会/渡辺商事/プランダス

日が経ち、気持ちが落ち着いてきた啓太は、日本を捨てブラジルに移民することを考え着く。離日する前に、ふと思い出した定造との約束。その一枚のハガキを持って、定造の生家を訪ねる。。。

ラストシーンへの展開で、失火で焼けた定造の生家の跡地を耕し「ここに一粒の麦を植えよう」という啓太。新約聖書にある「まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。」とは、イエス・キリストが十字架に磔(はりつけ)られる日が近づいていることを弟子たちに告げた言葉。啓太と友子は、ここで’死’を選んでいるわけではない。だが、二人が選んで歩もうとした道を捨てて、ここに「一粒の麦」を植える。豊かに実った稲穂と青空。’これが最後’と言った監督の作品は、執着を捨てて’生きよう!’と、瑞々しい映像でいのちの輝きとメッセージを語っている。   【遠山清一】

監督・脚本・原作:新藤兼人。2011年/日本/114分。配給:東京テアトル。第23回東京国際映画祭審査員特別賞受賞作品。8月6日(土)よりテアトル新宿、広島・八丁座にて先行ロードショー、8月13日(土)より全国ロードショー。

公式サイト http://www.ichimai-no-hagaki.jp