2017年04月30日号 電子版

4月14日(前震)、16日(本震)と震度7を観測した熊本・大分地震から1年。記者は14日から16日まで熊本を訪問した。熊本県の集計によると、4万8千人近くが今も仮設住宅での生活を余儀なくされている。最も被害の大きかった益城町には、全壊した建物が当時のまま点在していた。県民の象徴でもある熊本城の瓦は落ち、石垣は崩れたままだった。熊本市内と南阿蘇町を不通にした阿蘇大橋の崩落現場では、地震の揺れの激しさを目の当たりにした。そんな中、教会や仮設住宅の集会場、キリスト教団体やキリスト教主義学校の施設などで追悼イベントやコンサートなどが開かれた。完全復興の道のりは遠い。だが本震があった16日、熊本の教会はイエス・キリストの復活を祝うイースターを迎えた。この3日間の様子を数回に分けて紹介する。【中田 朗】DSC_0585

「熊本のことは、もうテレビに出て来ない。大きな団体は働きを終え、それぞれの場所に帰っていっている。でもその中で、顔と顔とが見える働きができれば、実際的な支援の形は大きくなくても長く続けられればと、今考えています」
熊本市中央区黒髪の九州ルーテル学院大学で開かれた「あれから1年復興への祈り 市民イースターチャリティーコンサート」(熊本宣教ネットワーク主催)で、九州キリスト災害支援センター(九キ災)熊本支援ベース ディレクターの中村陽志氏(熊本ハーベストチャーチ牧師)が語った言葉だ。
中村氏は、「この1年でのべ6千400人のボランティアが世界中から来てくださった。今日もシンガポール、オーストラリアから来てくださっている。今、益城町の4つの仮設住宅に入り、自治会のサポートをさせていただいている」と報告。「より参加しやすく、より地域に寄り添えるよう、ちょこボラ(ちょこっとボランティア)プロジェクトを始めている。皆さんの空いた時間を使い、仮設のお茶会などに参加し、支援の働きをサポートしてほしい」と呼びかけた。また、「痛みのある人々の上に神様の慰めがあるように、また1年間を思い巡らして感謝をささげる祈りを一緒にささげましょう」と、1分間の黙祷の時をもった。IMG_2298
震災後、今度で4度目と言う音楽ゲストの森祐理さんは、「熊本に来るたびに少しずつ復興がなされていて、時が経ったのを実感しました。でもまだ1年。6年経った東北も大変です。だから、頑張らずに頑張ってください。ゆっくりゆっくり一歩ずつ」とねぎらいの言葉をかけた後、「歌いつつ歩まん」を賛美。「歌はお薬、涙もお薬。いっぱい泣いて、いっぱい歌って、元気になってほしい。私も弟を失った痛みがあったから、被災地で歌うようになった。あの痛みがあるから、この場所に立つことができる。そこから本物の希望の花が咲くように」との願いを込め、「花は咲く」を歌った。
コンサートでは福島出身という日本イエス・熊本真愛教会牧師の金田洋介氏がイースターメッセージをした。「女の弟子達は、深い絶望と悲しみを抱えてイエスの墓に行った。だが墓は空っぽ。イエスが復活した事実を知った弟子たちは悲しみが喜びに、絶望が希望に変えられた。これは過去のことだけでなく、イエスの復活を信じる者には必ずもたらされます」
「大地震は突然、思いがけない時に起きた。2度にわたって震度7の地震が私たちを襲った。あの日から私たちの生活は一変した。皆さんの生活の中に痛み、苦しみ、悲しみがあった。しかし、私たちがどうすることもできない死の問題を解決してくださったイエス様は、私たちの生活の中に起こる様々な困難、将来に対する不安、恐れに働いてくださらないはずはない」と金田氏。「どうか悲しみを喜びに、絶望を希望に変えてくださるイエス様の励ましが豊かに注がれますように」と祈りをささげた。
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