憲法論議あれこれ

 憲法の問題といえば、護憲か改憲かという二者択一、あるいは九条をめぐる平和問題が主なものでした。イデオロギーや歴史認識の違いや、護憲・改憲についての考え方などは、キリスト教界内にも多様性があります。平和についての考え方も同様で、非武装中立か専守防衛かといった議論は、正戦論/義戦論と非戦論/絶対平和主義の違いとも共通する問題であり、キリスト者の間でも意見が分かれるところです。そしてそれぞれが、かなり強烈な意見や主張をもっているため、時として対話すら難しくなることがあります。

 最近では、こうした意見の対立が先鋭化することは敬遠されます。そして意見の対立ではなく、

憲法問題に関心があるか・ないかといった二極化が進んでいるように思われます。憲法問題に関心のある人は、昔ながらの論法で権力を批判する一方、関心のない人はまったく関心をもたないか、あえてこの問題を避ける、といった具合です。

新たなステージ

 けれども昨今の憲法論議は、これまでとは異なる様相を呈してきていると言えます。

 一つは、私たちのような素人が聞いても、これは変だと思うような話を、改憲を目指す人々がしていることです。東大法学部出身だが立憲主義など聞いたことがないとか、総理大臣が自分の信教や表現の自由を、憲法を使って主張するなど、ちょっと考えればおかしなことですが、憲法の理念などは考慮されていないかのようです。

 もう一つの点は、キリスト教界にとってはより重要です。それは、憲法改正論議が、キリスト教そのものを排除するような方向性を持っていることです。自民党の憲法改正草案では、西欧的な天賦人権論が改められ、日本の習俗などを宗教と見なさないという一文が、信教の自由の条項に加えられています。これはキリスト教的な価値観に対する挑戦と言えます。やはり憲法の理念というよりは、何か情緒的な思いが先行しているようです。

 こうした危うさを持ちながらも、改憲のリアリティーが増しつつあるというのは、これまでなかったことではないでしょうか。

このままではオウンゴール

 今日のキリスト者の多くも、こうした変化に気付いているでしょう。しかし先の新たな二極化の中で、有効な対応ができずにいます。

 このままキリスト教界がもたついていれば、改憲論議が進むだけでなく、キリスト教を排除したい人たちの思いが実現することになりかねません。そうした危機感を覚えます。

メモリアル・イヤーにこそ

 宗教改革500年の今年、福音の再発見という信仰内容とともに、教会と公権力との関係などのプロテスタントの理念を思い起こすことは有益だと思います。プロテスタント教会は、教会も公権力も共に神の主権のもとにあると理解してきました。公権力や法律が神のみこころに適うものであれば従い、神のみこころに背く時は抵抗するのです。

 私たちは、聖書によって神のみこころは何かを尋ね求めます。そしてこの世で神のみこころに適う歩みをしようと思うなら、私たちは憲法を注視しなければなりません。もちろん、聖書を読むように憲法を読むわけではありませんが、憲法をめぐる感覚を身に着けておかなければ、神のみこころを選び取ることは難しいでしょう。

踏みたくない轍

 なぜなら、私たち日本の教会はそうした経験をしてきたからです。

 戦前の明治憲法で保障された信教の自由は、天皇から賦与されたもので、今日の人権としての自由とはほど遠いものでした。当時の教会はこれを喜んだものの、公権力の介入には全く無力でした。

 近ごろ再評価の動きのある教育勅語については、天皇制や愛国心、また軍国主義の精神的支柱であることを批判せず、むしろキリスト教信仰こそがその徳目を生かすものだと主張しました。

 公権力が宗教界を管理するために宗教団体法ができた時、当時の教会はキリスト教が法的に認められたと喜びましたが、神社は宗教ではないという政府の主張を受け入れて神社参拝を行いました。

 治安維持法ができた時、それはキリスト教と相容れない共産主義を取り締まるものだと理解しましたが、自分たちが治安維持法で弾圧されるとは思ってもみませんでした。

 いずれも、私たちの信仰が法律や公権力とは決して無関係ではないことを示しています。

法的な感覚、信仰のセンス

 こうした事柄を日本の教会は反省したのですから、大切なことが何であるかは分かっているはずです。法的な感覚を身に着けていないと、同じ過ちを犯すことになりかねません。

 しかし、改憲を目指す人々がしたたかに世論を醸成していることに比べると、この方面のキリスト教界の働きはごくわずかなものにとどまっています。たしかに伝道に専念することは教会の使命ですが、もはやそれが憲法問題などへの無関心の言い訳とはならない段階にあるように思われます。

 日本の教会は、いつまでも1%を超えられないと言われますが、公権力との距離感などはよく保たれていると思います。その感性に磨きをかけつつ、宣教に励むものでありたいと願います。

記・上中栄=日本ホーリネス教団旗の台教会、元住吉教会牧師、日本福音同盟社会委員

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