■監督・共同脚本:イヴァーノ・デ・マッテオ IVANO DE MATTEO
1966年1月22 日、イタリア・ローマ生まれ。演劇ワークショップを経て、1990年俳優として のキャリアをスタートさせ多くの作品に出演。99年には初のドキュメンタリー作品「Prigionieri di una fede」を手掛け、2002 年に「Ultimo stadio」で長編劇映画の監督デビュー。イタリア映画祭での上映は、13年『幸せのバランス』(上映時タイトルは「綱渡り」)、15年「われらの子供たち」に次いで今回が3作目。「はじまりの街」は、長編の監督作品6作目となる。さらに監督、俳優、ドキュメンタリストとして映画のみならず舞台、テレビなどでも幅広く発信を続けている。

第17回目の開催を迎えゴールデンウェーク恒例となったイタリア映画祭(東京:4月29日~5月6日、大阪:5月13日~14日。主催:イタリア文化会館、朝日新聞社、イスティトゥート・ルーチェ・チネチッタ)。今年は、ロベルト・アンドー監督の「告解」など新作15作品と、パオロ・ヴィルズィ監督作品「カテリーナ、都会へ行く」(2003年作品)などアンコール5作品が上映される(大阪会場では7作品上映)。
イタリアを国外で紹介する総合プロジェクトとして2001年に開催れた「日本におけるイタリア年」をきっけに始まったイタリア映画祭。現在のイタリア事情を描いた一本にイヴァーノ・デ・マッテオ監督の「はじまりの街」(原題“La Vita Possibile”。上映は東京会場のみ)が4月30日に特別上映された。「幸せのバランス」(2012年)、「われらの子供たち」(2014年)に続いて、再び家族をテーマとしたマッテオ監督の最新作。夫のDVから逃れ、アンナ(マルゲリータ・ブイ)は12歳の息子ヴァレリオ(アンドレア・ピットリーノ)と共にローマから親友カルラ(ヴァレリア・ゴリーノ)が暮らすトリノに移り住む。独身のカルラは快く母子を自宅へと迎え入れ、温かく見守る。新たな生活を築くのに必死なアンナだが、転校したばかりのヴァレリオは友達も出来ずトリノの街を自転車で走り回り時間をつぶす日々が辛くなり心の拠り所を探し求めるのだが…。「この作品は、暴力に囲まれた愛の物語をテーマにしている」と語るマッテオ監督に話を聞いた。 【遠山清一

“人生はやり直しが可能だ”
暴力に囲まれた母子の新たな一歩

--原題“La Vita Possibile”は、“人生はやり直しが可能だ”といったニュアンスの表現だが、邦題「はじまりの街」では、アンナとヴァレリオ母子が夫のDVを逃れて移り住んだ町で新たな暮らしと人生を求めていく在り方が詩的に伝わってくる。夫による妻へのDV、避難した街ではなかなか仕事が見つからず、学校でも友達が出来ずに苦労しながら生き方を探る母子の物語。大事件は起きないが、身近な日常の苦労話をきちんと描かれていだけに、身につまされる切実さは前作の「幸せのバランス」や「われらの子供たち」と同様、心に重く響いてくる。すっきりとハッピーエンドで終わらないのはなぜなのか。

「この映画は、さまざま暴力に囲まれた中での愛についての物語なのです。また、連帯とか友情とともに人生をどうやって立て直すかということが大きなテーマになっています。
物語の始まりは夫のDVによって破壊された家族を扱っています。だが、DVを中心に描くとほとんどが暴力とか言葉での罵りとかばかりで観ていてつらいものになると思います。いまはインターネットでそのような情報がたくさん出回っていて、残念ながら暴力に慣れてしまっていて、さまざまな暴力に囲まれていて、感情のあやといったものが感じ取れなくなっていると思います。暴力とは、殴るというような肉体的暴力だけではありません。肉体的暴力よりも厳しいのは、心理的暴力、経済的暴力というものでしょう。アンナを殴った夫は、『ここは俺の家だ。稼いでいるのは俺だ』と言って心理的暴力、経済的暴力も振るいます。この作品のためにDVの実態について調査しましたが、裁判記録などの資料から様々な暴力を受けている女性たちが受けている被害や言葉の暴力も作品に描きました。
また、よそ者の孤独の物語でもあります。同じイタリアの都市ですが、(中部の)ローマと(北部の)トリノでは(文化的にも地勢的にも)かなり違います。友人のカルラは母子を温かく迎え入れますが、トリノの人たちからすれば彼らは“よそ者”です。ヴァレリオは、学校で友達もできず家の前にあるトラットリアの店主マチュー(ブリュノ・トデスキーニ)や、自転車でトリノの街を走り回っていて出会った売春婦の少女などに自分の拠り所を求めていきます。マチューはフランス人ですし、少女も外国から来た“よそ者”ですから、(彼らをとおしての)孤独の物語でもあります。

夫の暴力から逃れてローマからトリノへ向かうアンナとヴァレリオ母子

物語の終わりのほうで、ヴァレリオがサッカーで同年代の男の子たちとつながるかもしれない兆しが見えますが、彼らが友達になれるかどうかは分かりません。また、DVの父親が居場所を見つけてトリノにやってくるかもしれません。そういう意味では、(人生をやり直せるはじまりですが)ハッピーエンドで終わる物語には出来ませんでした。」

子どもから大人への転機
「変化は痛いものだ」

--13歳のヴァレリオが、自分の精神的な平静を必死に保とうとする健気な姿がなんとも愛おしく感じる。だが、友達ができないヴァレリオが少し年上の売春婦の少女と公園で出会い、少女の仕事を知りながらも心の拠り所にしていく展開は、少し刺激が強いように感じられた。なぜ、二人の関係を設定したのだろうか。

「トリノのような町で、友達が出来ずに街をさまよっているとどのような人に出会うかというと、売春婦の少女のような公園近くに立つストリートガールのような人たちでしょうね。ただ、ヴァレリオはまだセックスに対して認識出来ているわけではなくて疑似のガールフレンドなわけですが、実際に彼女が車の中で商売しているところを目撃したショックから車に向けて石を投げつけるという暴力的な行為に出ました。そのことを転機としてヴァレリオが子どもから男になっていく変化を表したいと思っていました。永久歯が生えてくるのも痛いけれど、その歯が後で物を食べたり何かの役に立つようなもので、変化は痛いものなのです。」

暴力に苦しむストーリーはさまざまだが
いろいろな国の観客の共感が得られたらうれしい

--監督の作品は、家族の問題をとおして現代のイタリアの社会状況を描く作風が特長といえるが、本作がテーマにしていることは昔から抱えている問題なのか、あるいは最近になって顕在化したこととして作品にしなければと思ったことなのだろうか。

「女性に対する暴力の問題は、イタリアでは今に始まった問題ではありません。ただ、今まではあまり取り上げられなかったし、女性自身から語るのにはためらいがあって家庭内の壁の中にずっと押し込められてきた問題だと思います。それはDV被害だけではなくて、レイプされた女性とか、「幸せのバランス」でも描きましたが失業した父親がそれを隠したいという態度は未だに根強いと思います。
今回のDVの問題は、イタリアでは非常に関心がもたれているし、現象がたくさん起きていることは調査でも分かりました。非常にデリケートなテーマでバランスをとるのは難しいですが、そこに慎重に足を踏み入れてこのテーマを描いてみたいなと思いました。
調査ではいろいろな女性からお話しを聞きました。それぞれ個人の性格が異なりますし、判断も全部違います。それぞれの話しを全部描くことはできませんでしたが、一つのテーマの中にいろいろな女性や子どもたちのケースが反映されるような形で描いてみました。この作品をとおしていろいろな国の女性が観ても共感してもらえるかは難しいところだと思いますが、共感を得られたらうれしく思います。」

映画「はじまりの街」10月下旬より
岩波ホールほか全国順次公開の予定

マッテオ監督の最新作「はじまりの街」(107分、原題“La Vita Possibile”、配給:クレストインターナショナル)は、2017年10月下旬より岩波ホールほか全国順次公開される。
イタリア映画祭公式サイト作品紹介 http://www.asahi.com/italia/2017/works.html