2017年05月21日号 06面

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一線で活躍する科学者、神学者が集う
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3月29日から31日にかけて、米テキサス州ヒューストンで開催されたバイオロゴス・カンファレンスに参加しました。

 バイオロゴス(BioLogos)とはアメリカ国立衛生研究所の所長であり、ヒトゲノム計画の指導者でもあったフランシス・コリンズによって2007年に設立された、科学とキリスト教信仰の融和を追求・促進することを目的とした団体です。同団体はそのミッション・ステートメントとして「神による創造の進化的理解を提示することによって、教会とこの世が科学と聖書的信仰の調和を見出すようにと勧める」ことを掲げています。つまり、バイオロゴスは生物学的進化やビッグバン宇宙論などに関する現代科学のコンセンサスが聖書の神的権威を認める福音主義の立場と矛盾しないという、いわゆる「進化的創造説」の立場に立つ団体です。

 今回のカンファレンスの全体テーマは「キリストと創造」でした。11か国から350人ほどの人々が参加し、さらに世界中からオンラインで参加した人々もいました。会場は第一線で活躍するプロの科学者や牧師・神学者・聖書学者から、科学と信仰の関係に興味を持つ一般のクリスチャンまで、多様な背景を持つ人々で賑わっていました。
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 カンファレンスの講師陣は神学・聖書学の分野と、科学の分野で活躍するクリスチャンからバランスよく選ばれていました。最初の夜は英国の新約聖書学者N・T・ライトが、創造と新創造におけるキリストの役割について講演し、神が万物をキリストを通して創造されたというコロサイ書1章15〜17節等の聖書個所から、創造と新創造はキリストを中心に考えなければならないと語りました。

 ライトに続いてフランシス・コリンズが科学の立場から講演しました。自らの体験なども交えながら、科学と信仰は両立可能であること、クリスチャン科学者が直面している課題、科学の発展に伴って生じる倫理的問題などについて論じました。最後には、ライトとコリンズの2人がギターを弾きながら歌うサービスもあり、会場は大いに盛り上がりましたが、2人のハーモニーは、科学と神学の一致と協調の可能性を象徴しているようにも思えました。

集団遺伝学の成果と「史的アダム」の理解

今回の目玉の一つは、3日目に行われた新約聖書学者スコット・マクナイトと遺伝学者デニス・ヴェネマによる全体講演で、彼らの共著『アダムとゲノム』(邦訳未刊)の内容を紹介するものでした。人類の祖先は常に最小でも1万人以上の集団だったという集団遺伝学の成果に照らして、聖書(特に創世記とパウロ書簡)におけるアダム(とエヴァ)の存在をどのように考えるかについて講演がなされました。マクナイトはこの問題でしばしば議論される「史的アダム」の概念を詳細に定義した上で、今日多くのクリスチャンが考える「史的アダム」は聖書が語っているものではないと論じました。

 この他、クリスチャンの科学者による全体講演や、多彩な講師によるワークショップが持たれました。カンファレンス会場ではいくつもの丸テーブルに分かれて座りましたが、筆者がふだんあまり接する機会のない科学者たちと会話をする機会が与えられました。今回のカンファレンスでは、クリスチャンと科学者がお互いをどう見ているかについて、興味深い社会学的な研究発表もなされましたが、どちらのグループも相手が自分たちを敵視していると感じているという調査結果があるそうです。つまりお互いに知り合うだけで壁が崩れていく部分もかなりあるということです。バイオロゴスはまさに2つの世界の交流の場となっていると感じました。

北米福音派における、創造と進化をめぐる最近の動向

現代人の生活にとって科学技術は大きな重要性を持っています。ところが、「科学と宗教・信仰は対立するもので、一方を受け入れるなら他方を受け入れることはできない」という考えが広く行き渡っています。一方ではリチャード・ドーキンスなどの戦闘的無神論者が科学の名の下に宗教批判を展開し、他方では聖書の字義通りの解釈にそぐわない現代科学のコンセンサス(たとえば生物学的進化)を全否定する保守的クリスチャンがいます。彼らの思想的立場は正反対であるにもかかわらず、皮肉なことにどちらも「科学と宗教は両立不可能」という点では一致しているのです。しかし、近年このような「信仰か科学か」という二者択一の考え方に疑問を持ち、第3の道を求める人々が増えてきています。

 創造論においては、世界は今から6千年から1万年ほど前に文字通り6日間で創造されたと主張する「若い地球説」が、福音派クリスチャンの間では強い支持を得ています。ギャラップ社が2014年に行なった調査によると、成年アメリカ人の42%が「神は人間を現在とほぼ同じ形で過去1万年以内に創造した」と信じています。またこの立場の代表的団体である「アンサーズ・イン・ジェネシス」(ケン・ハム代表)が、ノアの方舟を聖書の記述どおりの寸法で再現したテーマパーク「アーク・エンカウンター」を16年にオープンし、話題になりました。

 その一方で、バルナ・グループが11年に出したレポートによると、アメリカの若いクリスチャンの59%が15歳以降に教会から去っています。同レポートではこの現象について6つの主な理由を挙げていますが、その一つは「教会が科学に対して敵対的な態度を取っている」ことです。キリスト教的背景を持つ若者の29%が「教会は自分たちが住んでいる科学的世界と歩調がずれている」と感じており、25%が「キリスト教は反科学的である」という認識を持っています。さらに23%は「創造論対進化論の論争にうんざりしている」と回答しています。同時に、多くの科学者志望の若いクリスチャンたちが、信仰と科学関係の召命との両方に忠実であるための道を求めて苦悩しているという研究結果も出ています。そして、35%が「クリスチャンは自分たちがすべての答えを持っていると過信している」と感じていると報告されています。

 最後の点は進化論の問題だけにとどまらない、重大な意味を持っています。今回のバイオロゴス・カンファレンスで何度も耳にしたことがあります。上で述べたように、現在アメリカで多くの若者が教会を去っていますが、その理由は科学を学んだからではなく、教会が自由にものを考えたり質問したりすることを抑圧したからだ、ということでした。教会であろうと他のグループであろうと、開かれた心を持って真理を探究していくことが禁じられる時、人々は傷つき、離れていくというのです。つまりこれは、単に進化論の科学的妥当性や特定の聖書個所の解釈の問題だけでなく、より根源的な問題、すなわちキリスト教信仰が真理を探求し、福音の理解を深めるにあたってどのような態度をとるべきか、という問題だと言えます。近年アメリカの福音派の中で、科学と信仰の調和を積極的に追求していこうとするバイオロゴスのような流れが少しずつ支持層を広めてきている背景には、このような問題意識が浸透してきていることがあると思われます。

創造の「事実」と「方法」

人類や宇宙の起源に関する立場は、「若い地球説」と「進化的創造説」だけではありません。代表的なものに、創世記1章1節と2節の間に長い期間を想定する「断絶説」や、神が長い期間をかけて段階的に生物を創造したとする「漸進的創造説」があります。また、自然界に見られるある種の特徴は知的な設計者(必ずしもキリスト教の神とは特定されません)の存在によって最もよく説明されるとする「インテリジェント・デザイン」という立場もあります。これらはさらに細かく分類することも可能で、デボラ・ハースマとローレン・ハースマの共著『オリジンズ』(邦訳未刊)では、神が何らかの形で関与している16もの異なる創造理解を紹介しています。

 歴史的正統的キリスト教は、使徒信条にあるような、「天地の造り主」としての神をつねに信じ告白してきました。しかし、神がどのような方法で創造のわざを行われたのかについては、実に多様な理解があることが分かります。現代のキリスト教会が直面している課題は、神による創造の「事実」ではなく(これについてはほぼすべてのクリスチャンが同意しています)、その「方法」に関する特定の理解を、福音の根幹に関わるものとして捉えるかどうか、ということだと思います。もしある特定の創造理解(たとえば文字通り6日間の天地創造)を福音の根幹に含めるとするなら、それに同意しない人々はすべて真のクリスチャンとして認められないということになり、教会間に深刻な分裂を引き起こす危険性があります。個々の立場の神学的・科学的妥当性を論ずる以前に、この課題についてキリスト者の間でコンセンサスを得ることがまず求められているのかもしれません。

 アメリカの福音派キリスト教会においては、進化論への抵抗はまだまだ根強いものがあります。生物学的進化を公に認めた学者が福音派の神学校を辞任するに至ったケースもいくつか報告されています。しかし、今回のバイオロゴス・カンファレンスを通して、進化的創造説の立場が福音派においてもかなりの程度まで認知されてきている印象を受けました。少なくとも、福音派のクリスチャンが進化論と信仰を調和させる可能性について議論することすらタブー視される空気は薄れてきているように思います。またバイオロゴスの働きは、ブラジルや香港など、世界的な展開を見せ始めてもいます。

 今回のカンファレンスでは、漸進的創造説に立つ「リーズンズ・トゥ・ビリーヴ」のヒュー・ロス代表がワークショップに招かれ、バイオロゴスのデボラ・ハースマ代表と対話をするひとときが持たれました。終始友好的な雰囲気の中、真剣に意見を戦わせながらも、同じキリストにある神の家族として互いを尊重し、認め合う姿に、福音主義の新たな可能性を見る思いがしました。
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