ダニエーレ・ルケッティ監督
1960年7月26日、イタリア・ローマ生まれ。父親は彫刻家。学生時代は文学と美術史を学んだ。長編デビュー作品「イタリア不思議旅」(19889年)でダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞最優秀新人監督賞を受賞。カンヌ国際映画祭に「イタリア不思議旅」(88年)、「マイ・ブラザー}(91年)、「我らの生活」(2007年)などを出品。2013年には東京国際映画祭で自身の自伝的作品「ハッピー・イヤーズ」が出品上映されコンスタントに作品を発表している。

ローマ・カトリック教会の頂点に立つフランシスコ教皇の半生を描いた映画「ローマ法王になる日まで」の公開が6月3日(土)に迫り、話題になっている。イエズス会から初の教皇の座に着いたフランシスコ教皇は、若いころは宣教師として日本への派遣を希望していた。5月3日にバチカンを訪問した湯崎英彦広島県知事からの広島訪問の要請にも前向きな様子が伝えられている。物語は、2013年3月、生前退位した教皇ベネディクト16世に代わるコンクラーべ(教皇選挙)に招集されたホルヘ・マリオ・ベルゴリオ枢機卿が、回心から母国アルゼンチンへ派遣され、軍事政権の圧政に苦しむ民衆に寄り添う布教活動をとおして権力に立ち向かった日々を回想し、教皇フランシスコとして民衆の前に登場する日までを描いている。著名人や宗教者の人生を描いたドラマには、英雄伝説的な脚色がついて回るがルケッティ監督は丹念に調査してそうした誇張をはぎ取って共同脚本を書き演出したダニエーレ・ルケッティ監督に話を聞いた。

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英雄伝説は遠ざけ
史実の姿を追う

――本作の冒頭でベルゴリオが回心するシーンをさらりと描いている。また、アルゼンチンでの布教活動でも大仰なエピソードの演出は感じられなかったが、それは英雄的な作品にしない意図をもってのことか。

ルケッティ監督 そうです。回心のシーンについては、子どものころや教会に通っていたころの話しを集めて準備したが文学的というか本当のこととは思えないものが多かった。ただ、調べた中でどうもベルゴリオにとって重要と思えるいくつかのエピソードは(本作でも)描いています。ベルゴリオの回心のエピソードは、教会に入ってふと誰かに呼びかけられたような気がしたというさり気ない出来事ですが、私は信頼できると思ったので、ほかの準備したものは全部捨てて回心シーンを描きました。

――イエズス会のアルゼンチン管区長に任命されたベルゴリオが、窮地に置かれた人たちを助ける行動をとる一方で、政権の高官や大統領にまで交渉できる関係にあった。解放の神学の立場でもなく、いわば中間的な位置にあったように描かれているように感じられた。

ルケッティ監督 ベルゴリオは解放の神学に対しては一貫して批判的でしたし、基本的には保守的な立場でした。だが、糾弾することはあっても弾圧するようなことはありませんでしたし、常に対話する姿勢は持っている人でした。また、彼はイエズス会士としてアルゼンチンでは重要な地位にいたので、誰とでも対話できたし、民衆のためになる行動もとりました。そうしたことが、どっちつかずな態度に見られて非難されることもありました。イエズス会には、感情を鎮めて自分の行なうべきことを見極めて実践する祈りの姿勢があると思います。彼は、大きな問題にも冷静な対応を実践できたのは、イエズス会の教えと祈りの成果だと思います。

(C)TAUDUE SRL 2015

――ベルゴリオは、保守派からも解放の神学の立場からも誤解されていたかもしれないが、孤独ではなかったということでしょうか。また、彼は、アルゼンチンの独裁政権が崩壊したのち、ドイツの大学で研究生活を送っていますね。その時代に、スペイン語で「結び目を解く聖母の祈り」を唱える女性との出会いを描いていますね。

ルケッティ監督 ベルゴリオの言動が、時にはグレーに観られたことはあったと思います。彼は内向的な人柄でもあるので、そうした理解されないときには非常に憂鬱な状態になったこともあるでしょう。そうした事どもが最終的には、ドイツにへ行って「結び目を解く聖母」と出会うことで解放されるわけです。ドイツにいた時期に彼は第二の回心を経験したようです。

彼は「まなざしをキリストに向け
たままの生き方をしている人だ」

――監督は、本作を完成した後も無宗教の立場に変わりないとのことですが、本作を取り終えて、フランシスコ教皇をどのような布教者とみていますか。

ルケッティ監督 ベルゴリオは、南米の諸問題の対応や大学の仕事などにもかかわり、有能なマネージャーであり素晴らしい著書を出している分析力に優れた聡明な人だと思います。ただ、枢機卿の時代に出会っていたら非常に保守的な人でしたから、私は彼を嫌っていたかもしれません。以前は、信じるということについて、とても形式的で大勢順応なように思っていました。だが、本作を撮るために調査し、多くの信者に出会い、神父の方々が社会の問題に対応し、苦しんでいる人たちを助け、人間の尊厳を取り戻すことが出来るということを自分自身の目で見てきました。私自身は無宗教の立場ですが、そういう意味では、信じている人たちを信じることはできます。ベルゴリオは、圧政の時代をいきることをとおして、信仰を持ち続けて生き、聡明さと勇気をもって自分を変えることが出来た。ベルゴリオの言い方を借りれば「まなざしをキリストに向けたまま」の生き方をしている人だと思います。

――本作の最初の方で、献身したベルゴリオが、日本に宣教師として派遣されることを望んでいるシークエンスが描かれていますが、日本の映画ファンにも今日に深いことでしょうね。

ルケッティ監督 あの年代は宣教活動がとても活発なときでした。イエズス会は特に宣教的な会派ですし、アルゼンチンもそうですし世界中に宣教していました。ベルゴリオと近しい友人たちから聞いた話ですが、法王フランシスコは、今でも日本にとても関心を持っていて、日本に来たいと思っているという話は聞いています。でも、今は法王フランシススコが行くべき所はもっとほかにあると思います。政治的な問題や貧困がはびこっているような所とか、戦争が起こっているような場所とか、そのような所にまずは行くべきだろうとは思います。

――ありがとうございました。 【遠山清一】

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映画「ローマ法王になる日まで」
監督・共同脚本:ダニエレ・ルケッティ 2015年/イタリア/スペイン語、イタリア語、ドイツ語/113分/原題:Chiamatemi Francesco – Il Papa della gente 配給:シンカ、ミモザフィルムズ 2017年6月3日(土)よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿シネマカリテ、YEBISU GARDEN CINEMAほか全国順次ロードショー。
公式サイト http://roma-houou.jp
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