「現代の治安維持法」とも呼ばれる「共謀罪」法案が5月23日にも衆院通過するのではと予測される中、「祈らなければ何も始まらない」と危機感を覚えるクリスチャンたちが集い、心を合わせて祈りをささげた。「5・15ピース・メーカーズ・プレヤー・ミーティング@国会(5・15PMPM@国会)3」が15日、東京・千代田区永田町の参議院議員会館会議室で開催。明日の自由を守る若手弁護士の会弁護士の長尾詩子氏が「『共謀罪』法案の危険なねらい」と題して講演した。 【中田 朗】

長尾氏は、「『共謀罪』はこれまでの刑法体系から逸脱する」と指摘する。「近代刑法は、行為を犯した時点で罰するというのが原則。ところが、共謀罪は犯罪行為がないのに処罰される。殺人行為がなくても、危険思想を持っているだけで処罰されるので、内心の処罰と呼ばれる」長尾詩子
「行為も結果もないのに、悪いことを考えている人を捕まえるには、共謀を探知する必要があり、自ずと監視社会に向かっていく」とも危惧する。「どんな会話をしているのか、誰とどんなやり取りをしているのか、手っ取り早く回収できる方法は、メールやSNSを使って、誰が、どこで、どんな会話をしているのか探すこと。共謀罪ができたら、そういうことがどんどん広がっていく。警察は『この人は危ない』と目を付けた者を見張るようになる」
「政府案・維新修正案でも危険性はなくならない」と言う。「菅義偉官房長官は『テロなどの準備行為があって初めて罰する法案であり、従来の「共謀罪」とは全く違う』と言うが、準備行為自体あまりに無限定なので意味をなさない」
共謀罪の必要についても、「個別に予備罪を新設すれば済むことだ」とし、「共謀という要件が必要な共謀罪(テロ等準備罪)を作る必要はない。277に絞った対象犯罪もテロと関係ない犯罪がほとんど。むしろ、小さく産んで大きく育てられる(対象犯罪が加えられる)危険性を軽視してはいけない」と注意を促した。
最後に「平和をつくり出す人たちは、さいわいである」(マタイ5・9、口語訳)という言葉に出合った体験を明かし、こう締めくくった。「15年、国会前に集まった時、この言葉に出合い、勇気をもらった。私はクリスチャンではないけれど、多くの人の意見がやり取りされ、暴力的な方法でなく、話し合いによって平和をつくり出していくその過程がとても大切だと思った。やはり一人の人がつくり出す平和は、本当の平和ではない。共謀罪強行採決というつらい思いも含め、皆さんと気持ちを一緒にさせていただき、平和をつくり出すことを諦めずに生きようと思います」祈り
講演に対し、星出卓也氏(長老教会・西武柳沢キリスト教会牧師)が応答。「今の国会答弁と戦前の治安維持法の時の政府の答弁は、そっくり。1925年、28年、41年と法は改正され、強められ、警察が何でもできるようになり、無辜の民にも捜査が及ぶようになって、42年にはキリスト教界にも捜査の手が及んだ。ホーリネスの牧師たちが逮捕された時、日本基督教団のある牧師は、仲間が逮捕されたことに抗議をするどころか、むしろありがたいことであったと言った。そのことで、教会の中に分断が起こった。そんな教会、社会、日本にしたくない。そうならないためにも、次世代のためにも、大事な使命を果たしていきたい」と決意を述べた。
続いて、野田沢氏(学生キリスト教友愛会主事)の導きで、司会者と参加者で祈祷文「平和を求める私たちの祈り」を交読。その後グループごとに分かれて祈り合った。参加者は「後悔がないよう今すべきことを教えてください」、「為政者をも支配しておられる主よ、私たちを守り導いてください」などと祈り合った。
最後に山口陽一氏(東京基督教大学教授)が、1941年11月30日に高知警察署で行われた第3回尋問調書で、「神の支配は絶対的であり、天皇の支配は二義的である」と語った耶蘇基督之新約教会の信徒の言葉を紹介し、「我が国が二度と剣を取らないと決意して歩んできた70年記念の年、この理想がなお一層広がっていくことを願う。どうか平和をつくる者のわざを励まし、つなげ、用いてくださいますように」と閉会の祈りをささげた。