img4f0cf79de92a9 映画フィルムにこだわるタル・ベーラ監督が、自身で最後のメガホンと宣言した作品は、モノクロームの世界へと誘い、観るものに生きることの本質的な問いを投げかける。
イタリアのトリノで、鞭で打たれる馬を守ろうとしてその首にすがりついて泣き崩れ、そのまま発狂といわれる19世紀の哲学者フリードリヒ・ニーチェの逸話。その後、その馬はどうなったのだろうかという着想から、人間としての尊厳と生きることの厳しさを淡々とした6日間の日常を通して描く。

町での仕事を終えて、吹きすさぶ風の中を帰路に着く馬車と老人。小高い丘の一本道を下ると、やせた土地に建つ一軒家に着く。家から出てきた娘の手を借りて、母屋の隣りに建つ小屋に馬を入れ荷車を片づける。父親が着替えている間に、少し離れた井戸まで強い風に抗いながら水汲みしてくる娘。鍋で湯を沸かしジャガイモを茹で、会話もなく黙々を食べる2人。食べ終われば娘が窓辺に座り、外を見やる。ただ丘の上にたつ一本の木と吹きすさぶ風の音。夜になれば眠るだけ。

 

朝目覚めれば、パーリンカ(焼酎)を一杯飲んで馬車を仕立て、町へ仕事に行く父。見送った娘は、窓辺に座って手仕事をしながら外を見やる。その単調な日々が、ほとんど台詞もなく6日間描かれていく。全く変化がないわけでもない。ある日、1人の男がパーリンカを借りに訪れてきた。なぜ町に行かないといぶかる父に、町で何か異変が起きていることを告げる。どこからともなく2頭立ての馬車でやって来た男女7人は、勝手に井戸から水を汲み馬にやろうとする。近寄ってきた父には、町から新天地へ向かう途中だと言う。

img4f0cf7a992be2 そして、飼っている馬は飼葉を食べなくなってきた。何かが失われていく中で父娘は。。。

「神は死んだ」と宣告し、超人的な意思によってある瞬間とまったく同じ瞬間を次々に、永劫的に繰り返すことを確立するという永劫回帰を説いた後期のニーチェ。この作品は、その思想そのものを説明的に描こうとはしていない。しだいに何かが壊れ、失われていく6日間の日常をとおして生きていることの厳しさとその意味を、観ている’私’たちに投げかけてくる。「神は生きておられる」という答えを持つものとして、どのような色合いが見えてくるのだろうか。   【遠山清一】

監督:タル・ベーラ 2011年/ハンガリー=フランス=スイス=ドイツ/154分/原題:The Turin Horse 2月11日(土)よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次公開。

公式サイト:http://www.bitters.co.jp/uma/