2017年10月22日号 1、4、5面

 急速な社会の変化、様々な宣教課題、メディア状況の移り変わりの中で、クリスチャンメディアには何が求められるか。クリスチャン新聞創刊50周年を機会に開かれた記念シンポジウム「クリスチャンメディアに今求められるもの」(9月11日、東京・千代田区のお茶の水クリスチャン・センター会場)では、牧師、伝道団体、他メディアとともに、課題と展望を討議し、話題は尽きなかった。同シンポジウムの内容を紹介する。

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写真=左から髙橋、朝岡、大嶋、松谷、郡山の各氏

登壇者(敬称略)  朝岡 勝:日本同盟基督教団 徳丸町キリスト教会牧師 大嶋重徳:キリスト者学生会[KGK]総主事 郡山千里:世界キリスト教情報[CJC]主宰 松谷信司:キリスト新聞編集長 髙橋昌彦:クリスチャン新聞編集長

髙橋 クリスチャン新聞(以下、CS)は教会に仕えていくのがいちばん基本的な姿勢です。教会は一体クリスチャンメディア(以下CM)にどんなことを求めているのかというご意見をうかがいたいと思って、牧師である朝岡先生にお越しいただきました。大嶋先生はKGKで、大学生伝道をされている伝道団体の責任をお持ちの方です。キリスト新聞(以下、KS)社代表取締役社長で、キリスト新聞編集長の松谷さんは、同じメディアの立場で来ていただいております。郡山さんは世界キリスト教情報(以下CJC)という、世界のキリスト教の情報を私たちのメディアに配信してくださっている方です。日本経済新聞の記者をされ、CMにも50年以上も関わってくださった方です。それぞれの方からご意見を伺いますが、まず朝岡先生に教会の牧師という立場からお聞きしたいと思います。

朝岡 CSが1967年創刊で、私は68年生まれ。同時代を生きてきました。創刊以来最初の25年は福音派の教会が大きく成長した時期でもあり、記事も「羽ばたく日本の福音派」みたいな明るいトーンだったかなと思います。しかし私が伝道者になった90年代以降は、日本や世界の複雑な状況をキリスト者の視点でどう読むか、をCSから得てきたように思っています。かつては比較的多くの教会で新聞りのスタンドがあって、そこにCS、KSが毎週号じられていたましたが、今はそのような教会が減少しているように思えます。日本新聞協会によれば、2000年の新聞発行部数は約7千200万部、日刊紙は122紙、1世帯当たりの部数が1・13でした。16年は約5千300万部。2千万部近い減少です。日刊紙は117紙に減少、世帯当たりは0・78。電子媒体などで新聞を読む人もあるかもしれませんし、新聞そのものを読まなくなったこともあるかと思うんですね。おそらくキリスト教界でも同様かと思います。

 大事なことは無くさないということです。4つ期待したいことを述べます。

 1つ目は情報量。「キリスト教界の情報を知りたかったらCS」と言われるほどの、圧倒的な情報量が求められます。SNSも活用し、読者との間の双方向的なことなどへの取り組みもあります

 2つ目は良質な記事。フェイクニュースとかポスト・トゥルースなどが言われる中で、聖書的な視点からの良質な記事を期待したい。論説委員や読者の自由なオピニオンというだけでなく、CSとしての社説、論説などが復活すると良いのではないか、あるいは紙面作りに対して、審議委員のようなものが作られて、読者も交えた紙面作りもなされたら良いのではないでしょうか。

 3つ目は定点観測。過去の出来事の中でも、東日本大震災のように、継続報道すべき出来事はあります。私たちにそのことを忘れさせないで意識づけてほしい。

 4つ目はCSのスタンスです。いろんな批判も受けるかと思いますが、それらに対しても誠実に応じ、らずに、を持って進んでいただくことが大事ではないかと思っています。

 豊富な情報発信のためにはマンパワーが必要。私たち読者も情報はタダではないんだということをよく知って、コストをお互いに負い合っていくことが必要ではないかと思います。

髙橋 CSの情報の量はどうでしょうか。

朝岡 今は情報を新聞だけで得ることはまずないだろうと思います。かつては朝食を食べながら新聞を広げて隅々まで読んでいましたが、最近は1日の終わりに新聞を読むようになりました。様々なニュースを新聞ではどう言うかとチェックする読み方です。ただキリスト教界内の出来事や、社会で起きていることをキリスト教的な視点でCSがどういう風に切り取るかなど関心がありますので、量的な増加も必要かと思います。

髙橋 大嶋さんはいかがでしょうか。

大嶋 私が自覚的にCSを手に取った記憶は、洗礼を受けたばかりの16歳の時でした。京都北部にある福知山という人口6万人ほどの田舎町で、自分にとってのクリスチャンの世界は60人ほどの教会員がすべてでした。クリスチャン生活の始まりのときにCSを開いて、日本全国のみならず世界で、神様が生きて働いておられることを見られたのが大きな感動でした。またCSの果たしてきた役割には、この時代に起こっていることをどう見るかという、預言者的使命があると思います。90年代の大嘗祭を始めとした天皇代替わりの時期、私は学生でした。CSが記事として書いたことは、あまり教会と国家の問題や社会的関心は強くない教団に属していた私にとっては、物の見方を教えていただいたようにも思います。

 今の若い世代は紙媒体の新聞を読むことがありません。大学生何人かにCSについて聞いてみましたが、「聞いたことはあります」とか、「SNSで時々シェアされているクリスチャントゥデイでしょ」とか言われるわけです。「ニュースは無料」という時代の中で、CS創刊当時からの物の見方、聖書信仰に立った物の見方を次世代にも伝えていくためには、ネットにおける無料ニュース配信へ踏み出していただきたいと思います。

良質の言葉に出合わせて

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写真=編集長どうしで丁丁発止の場面も

 

大嶋 今若者たちが右傾化している理由の1つにはSNSのLINEニュースなどで無料配信されている産経新聞系のニュースがあります。クリスチャンの若者たちがスマートフォンで見ているニュースの中で、すぐれた言葉に出合っていく機会が必要です。CSの記事だけで、すべてのものの見方が形成されるのではありませんが、「こういう本を読まなきゃいけない」「この人の言葉をこれから聞かなきゃいけない」という扉の役割があります。良書へ出合える質の高いネットサイトを早く作っていただきたい。論説の復活も願います。メディアが中立公正であることなどありえないと、もうこの時代の人々は知っています。世の中が右傾化したり左傾化したりしたら、中立それ自体が左右に動くわけですから。論説がSNSでシェアされ、若者が鋭い言葉に出会い、物の見方の形成をしてほしい。

次世代の読み手、書き手を

 さらに新しい書き手の発掘です。私がCSで初めて青年伝道について連載記事を書かせていただいたのが20代の後半でした。自分の記事が紙面に載るという緊張感がありました。若い伝道者や神学生、あるいは全国の様々な教会のリーダーの中に書き手を見つけ、ぐ役割がCSにあります。いい加減なこと書いちゃいけないという緊張感が50年の歴史から生まれていると思います。それが新しい出版、次の時代のオピニオンリーダーを生み出すことにつながると思います

髙橋 実際に「書きたい」と思っている若い人たちはいるでしょうか。

大嶋  「書き手を育てたい」と思うことも重要だと思っていて、育てて、繋げていくということであれば彼らは書くと思うんです。彼らの言葉はおそらく記事の体裁に合わないかもしれませんが、ネットならば可能でしょうし、記事の書き方を学ぶ機会があれば書ける人がたくさんいるのではないかと思います。今はSNS、ブログで発信することができる時代なので、昔よりも書ける人は多いのではないかと思います。私もツイッターで「センスいい文章だな」と思う若者にはたくさん出会います。自分の記事が載れば、本人はおそらくシェアするでしょう。新しい書き手の発掘は新しい読み手の発掘につながります。無料配信がCSのみならずいのちのことば社への大打撃になるとはあまり思いません。むしろ良書の展開も含めて、新しい展開が見えるんじゃないかと思います。

髙橋 では松谷さんに。うちのライバル社です。

松谷 今お二人がCSに求めることをおっしゃっていましたが、ことごとくやられてしまうと、うちは商売上がったりなので、控えめにしていただきたければありがたいんですが(笑)。そういうライバル関係に長くあるKSの松谷と申します。KSは戦後翌年の1946年創刊ですので、創刊71年目。その後発として、KSだけではだめだろうという方々がCSを立ち上げたとうかがっております。CSに限らず福音派自体の姿勢もやはり、いわゆる主流派と言われるような、NCC(日本キリスト教協議会)系ではない方として立ち上がった流れかなと。↖

 業界全体の流れの中ではCSとKS、カトリック新聞の3紙と、かつてのリバイバル新聞(月刊誌『舟の右側』に継承)がありました。人口1%未満と言われているクリスチャンの中で専門紙がいくつもある状態がいいのか分からないですが、住み分けとしては、福音派ではない人たち向けの新聞をKSの役割としてはやってきたのかなと。最近は福音派も福音派でない人も一緒になって何かをやろうという流れになってきて、いいことかなと思います。KSは、取材対象としては福音派も取材をするし、カトリックや聖公会、コプト教会も取材します。網羅的に報道するところが特徴かなと思います。もう一つは文書伝道という言い方をCSさんはされてきたと思うんですが、KSはどちらかというと一報道機関として客観的中立公平公正な立場から報道するキリスト教ジャーナリズムの方に寄っているというのが、違いとして言えるかなと思います。

 KSは最近ちょっとオシャレなタブロイド判になりました。体裁だけでなく意識して変えたのは信者ではない人、クリスマスを祝うけれど、大晦日はお寺、新年は神社に行く、という人も含めて、キリスト教になんとなく関心を持っている人とか、そういう方が読んでも面白いと思ってもらえるような媒体にしたいなということです。人口1%未満の人だけを対象にして、新聞だけでは生き残れません。それ以外から読者を獲得していかないと、ということで最近はアプリも展開しています。

髙橋 それは伝道とは言わないということですか。

松谷 そこは微妙なんですが、いわば信者のマーケットではないところにも乗り出していこうかなというのが、今のKSの立場です。

髙橋 福音派、主流派が相互乗り入れをしてきているということですが、大嶋さんの現場の感覚ではどうですか

 大嶋 ここ10年ほど前から、KGKに来る学生たちも主流派と言われるところからペンテコステ派と言われるところまで、様々なところから参加してくださるようになりました。私も先日、日本基督教団の青年伝道担当者会議に講演で呼んでいただきました。日本福音同盟の広瀬薫理事長が言うには、「NCCが大変だった時期に福音派が十分にお手伝いしなかったことを悔い改めなければいけないんじゃないか」と。「自分たちだけが良ければいい」というところから、むしろそこに痛みがあるならば痛みに寄り添っていく、相互に役に立っていく、という時代に入ってきたのではないかと感じています。

髙橋 次は郡山さん。

郡山さん

写真=記者経験豊富な郡山氏。戦前から現代まで縦横無尽に語った

郡山 CS創刊の頃から知っている、付き合いのあった人は私しかいないということでお招きを受けました。私の生まれた年が1938年の早生まれですから、みなさんの中で数少ない空襲と機銃掃射の経験者です。今でも東京を歩くと、ここは昔は焼けたな、焼け残ったなと大体見当が付きます。日経は2004年に退社しました。いろんなところに出向しましたが、今はCJC通信をやっています。CJC通信は、松谷さんがウィキペディアに書いてくださったところによると1973年10月にできたとのこと。本来は、こういう通信をやる者は顔をさらさない方がいいんです。今日を機会にCJCというクレジットを見たら、「ああ、あの人がやってんだな」とみなさん思うでしょ。これは良くないんです。

 引き出しがたくさんありすぎて、どれを引いたらいいのか分かりませんので、後はみなさんの質問に応じてお話ししたいと思います。

髙橋 ありがとうございました。後半は会場のみなさんからのご意見を取り上げながら、話を進めていきたいと思います。

立ち止まり考え、問いを生む

髙橋 随分と意見をお寄せいただきました。順番にご紹介します。

 ①部数減のときに取る方策は編集長を変えること。

 髙橋 編集長を変えるのは有効な手段でしょうか。

 郡山 編集長を変えたっていうことを、どう読者に伝えるかです。有名な人でなければ読者は何とも思いません。それが気になるのは追っかけの人だけです。

 ②今のキリスト教界に2つも新聞は要らない。KSと合併して一つになるべき。

 ③KSと一緒になる、編集長を松谷さんにする。

 松谷 記者は数少ないんで、取材したいところすべてに記者を派遣できない。交通費がかかる、など制約がある中で取材先で記者が重なるともったいない、と前から思っていたので、合併大賛成。編集長は髙橋さんでいいんですが(笑)。日本の教会には4種類ありまして、2紙取っている教会とKSだけの教会、CSだけの教会、どちらも取っていない教会。2紙取っている教会は見識の高い教会です(笑)。

 朝岡 かつては福音派で起こっていることはCSで読み、主流派はKSで読むということがあったと思いますが、今は内容が重なり合っています。違いはあるでしょうから、たとえば週ごとに、1週目はKSが編集し、2週目はCSが編集するなど。

 松谷 朝日と産経くらい異なっていれば2紙を続ける意味はあると思いますが。ただ同じ取材の記事でも、「負けたな」みたいなときもあります。

 髙橋 でも「勝ったな」というようなときも、当然あるでしょ。

 松谷 まあ、そっちの方が多いですけど(笑)

 髙橋 リニューアルされ、KSは今までの読者を捨てるのかなと思ったんですけれど、どうですか?

 松谷 捨てられた感を抱いてしまった読者も少なからずいると思いますが、意外に「慣れたら違和感無いよ」という方もいらっしゃいます。想像したほど部数は減らなかったので、慣れの問題かなと納得してます。大きさを変えたのは一つには電子版を同時に始めた時に、大判のままでは、タブレットでも、スマホでは読みづらい。時代の流れで変えざるを得なかったとは思っています。

 髙橋 見た目の新聞らしさを残したい気持ちがある。CSもタブロイド判になったときに「新聞らしくなくなった」と言われました。1面を写真と見出しだけで、というのはなかなかできないですね。

 ④フリーペーパーにしてクリスチャン全員に配ってはどうだろうか。

 朝岡 実際に新聞作成のコストをどう捻出するか。相応の分のコストを読者側もちゃんと負担をしていく、お金を出して読むということは必要かなと思うし、一方ではお金出して新聞を読む時代ではなくなっているというのも事実で、その辺をどう考えるかというのは作り手側と読み手側の意識がけっこう違うかなと思うのです。

 髙橋 購読者の方がいらっしゃるというのがもちろんいちばん大きいのですが、同時に広告を出してくださるスポンサーがいるということも本当に大きいんですね。今年創刊50周年特別号を3回出しました。その中で名刺広告という広告をたくさんいただいています。広告を出すことで新聞を支えてくださる人たちがいらっしゃるのは本当にありがたいことと思っています。広告営業を一生懸命やっている人間もいるということは、大きいかなと思っております。

 郡山 CSでもKSでも広告を出す人はお布施みたいな感じでね、効果は全然信じてない可能性がある。これに出したらこういう効果があるということを伝えないと、結局私たちの甘えにがってくると思います。これではメディアも将来性はない。敢えて言わせていただく。

 ⑤紙の新聞の使命はもう終わった。人的資源を他に振り向ける。

 ⑥今はネットで情報を得る時代。若い人は紙の新聞など見たことはないのでは。紙は止めてネットの新聞に注力したほうがよい。

 ⑦教会が公同の教会として存在するということをもっと正しく理解し意識すべきです。いのちのことば社は採算を度外視してもCSを発行し続けてください。

 髙橋 一言、いのちのことば社社長に。

 岩本 いのちのことば社社長の岩本です。霞を食べているわけではないので採算度外視っていうのは難しいのですけども、宣教の意味とそれからなるべく経営的な工夫をして発行し続けたいと思います。

   ◇   ◇

 郡山 CSもKSもタブロイド判にしても、結構読めるんです。ただ画面が小さければ小さいほど読む量が少なくなってくる。そうするとニュースへの接し方が刹那的になる。今問題になっているのはフェイクニュース。CSでもKSでも編集者がちゃんと仕分けしていかないといけない。

 朝岡 ネットで読む新聞の場合、見出しの訴求力、ある意味では、記事そのものが見出し化して刺激的な扇情的な言葉で人々を惹きつけることがあります。情報がこれだけ圧倒的なスピードで流れていく中で、それを追いかけるだけではやっぱりいけないんじゃないか。やはり新聞の中で読者が立ち止まって考えて、反論したり、そこから新しい問いが生まれることが大事かなと思います。

 紙媒体で見て新鮮なのは紙面の割り付けです。ネットだと同じ価値の情報として流れていくんだけれども、新聞では1面、2面、その中での記事の扱い、見出しの大きさ、フォントなど紙面構成に編集者の意図が表れます。情報が情報としてなるべく生のまま提供されることも大事ですが、新聞という一つの媒体になるときの編集者の存在は大きい。今日も髙橋さんと松谷さんのやり取りを聞いてるだけでも面白い。編集者の顔が分かると新聞を読んでまたすごく面白い。

 髙橋 郡山さんが先ほどおっしゃったのは作り手は顔を見せないほうがいいということでしたが。

 郡山 それは編集者とは違って、私が通信をやってるからです。たとえばみなさんはご存じないかもしれないが地方にいらっしゃる方が地方紙を読んだら、国内外のニュースで地元のもの以外は共同通信から流れてきます。

 その昔、労働組合の機関紙に、共同デスクという発想がありました。たとえばCSの記者が取材にいくならば、最初の2節くらいはオープンにしてKSが使ってもいい、というような方法もありますね。

 読者について言うと、教会員なり役員なり仲間に一緒に見せて読書会を勧めたい。5部なり10部なりをまとめて買うときには少し安くするとかね。ただ牧師は忙しく、教会に届いたものが机の上に載ったままということがある。信徒や役員が新聞を掲示板に貼り出すとかしてCSを支えるということが必要だと思うし、その結果としてCSが教会に仕える新聞になっていくんではないかな。

 ⑧海外の情報をもっと伝えて。日本の教会はガラパゴス化しているのでは。

 髙橋 CJCの働きはまだまだ続けていただけると思いますのでよろしくお願いします。

 郡山 今、私の目から見て一番発信力のあるのはカトリックのローマ法王です。希望と平和の巡礼者として福音派の人も主流派の人もローマ法王の行動に注目してもらいたい。

 ⑨信者に知られたくないことも載せてほしい

 ⑩牧師のスキャンダルなども隠さずに積極的に報道すべきなのではないか

 郡山 これは難しいところですね。まずやっぱり神様のために遣わされている人の仕事というのは簡単に批判はできません。

 カトリック教会にも大きな問題があり、福音派でもメガチャーチの問題とかがあります。それなりにCJCでも載せますけれど、なるべくみなさんに申し訳ないような扱いにはしないようにしている。ただし、最低限これだけは知っていただきたいというような形でやる。これは編集者の務めだと思っている。

 髙橋 ありがとうございます。本当に多くのご意見を頂き感謝しています。私たちも自分自身の新聞をもう一度考えるときとなったことを感謝しています。今日登壇頂いた4人のみなさんに感謝いたします。