2017年11月26日号 01面

 日本福音主義神学会第15回全国研究会議が、11月6日から8日まで、東京・千代田区のお茶の水クリスチャン・センターを会場に開催された。今年のテーマは「3つの『のみ』の再発見〜宗教改革500年によせて〜」。初日の開会礼拝、基調講演に続き、「聖書」「恵み」「信仰」の3つの「のみ」をめぐる講演と、「宗教改革の神学と今日の福音主義神学」をテーマに、異なる教派背景を持つ3人のパネリストによるディスカッションが行われ、宗教改革の原点を確認するとともに、福音主義に立つ教会に今求められるものとこれからを展望した。【髙橋昌彦

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 開会礼拝では準備委員長の大坂太郎氏(アッセンブリー・ベテルキリスト教会牧師)が、「恵みは0円、我等は乞食」と題して、エペソ2章8〜10節から説教。「拝金主義が渦巻く現代において、キリスト者は恵みが本当に『タダ』であることを宣言しなければならない」「そこには人間の行いの入り込む余地はなく、ルターが、私たちは神の乞食、と書いたように、徹底的な自分の無力さの自覚と、神の恵みと憐れみへの希求、これこそがプロテスタンティズムの真髄である」「救いの真の喜びは、抽象的な議論ではなく、その人自身が他者への恵みとなるはず。内的な敬虔に退却するのでなく、恵みを社会にもたらす大胆な福音主義者でありたいし、福音主義神学会はそのような場所であると信じている」と語った。

 基調講演では内田和彦氏(JECA・前橋キリスト教会牧師)が「宗教改革五百年」と題して3つの「のみ」を考察した。

  「聖書のみ」に関しては、①聖書こそ唯一の究極的な権威であるという時の「聖書」とは、ラテン語訳ウルガータ版ではなく、ヘブル語ギリシャ語の旧新約聖書であり、その原語による研究からウルガータ版の不正確さが示されたこと、②原語からの聖書翻訳が行われ、識字率の向上のために初等基礎教育の必要が訴えられたこと。また、宗教改革者たちは民衆に分かる言葉で説教をし、その思想を文書化する努力として、彼らの著作や、「アウクスブルク信仰告白」に始まる数々の「信仰告白」が誕生したこと、③教皇、教会の権威を、聖書の権威に従属するものとして相対化したこと、④しかし、教会の伝統を全否定すべきではなく、教父たちの聖書解釈や三位一体などの伝統的な教理は、宗教改革者たちも受け入れたこと、⑤聖書の解釈においては、ルターはその「字義通りの意味」に従属させるように、比喩的、道徳的、寓意的な3つの「霊的な」意味を置いたこと。また、カルヴァンは、聖書の解釈を原著者の意図の解明と考え、テキストの「字義的解釈」に「適応の原則−神は人間が理解できるようにご自分を描く−」を合わせたものが、聖書解釈の基本原理であったこと、の5つの要点を確認した。

 その上で、今日の日本の教会の課題として、①「聖書」における「外典」の問題はいまだ決着していないこと、②聖書言語の習得と聖書テキストの釈義訓練の不十分さ、③聖書を読まない人の増加と、教会での聖書そのものの解き明かしの減少、④教会の伝統の、相対化と継承、⑤歴史的文法的な聖書解釈の尊重と、歴史的な信仰告白文書の継承と現代にふさわしい言葉による新たな告白の努力、を指摘した。

 続いて、「信仰のみ」「恵みのみ」「全信徒祭司」を、「信仰義認」のくくりで考察、ルターから昨今の議論までを概観した。

 ルターにとって「神の義」は「受動的」な義であり、神の賜物である。「義認」において、神と信仰者の間には何者も介在しないが故に、「全信徒祭司」という理念が生まれ、信徒同士が互いに祭司的な役割を果たすことで、聖徒の交わりが実現し、教会共同体が形成された。

 マルティン・ブツァーは「不信仰者の義認」と「信仰者の義認」の「二重義認説」を唱え、カルヴァンは、第一の恵みとして「罪の赦しと義の転嫁」、第二の恵みとして「キリストに与ることによる再生」が、ともに聖霊の働きによりキリストと一つにされた結果として起る、と主張した。しかし、ローマ・カトリック教会は、義とされる宣言と聖霊の働きによって義と化していく過程の両者が「義認」であると主張し、宗教改革者たちの「義認」論を排斥した。

 N・T・ライトが主張する福音理解、「パウロが『福音』と言うとき、それは救いのシステムではなく『イエスが王であるという物語の宣言』」であり、「契約に対する神の真実を啓示している」との主張に対しては、「軽々な判断は下せないが」と留保しつつ、「イエスが王であるという告知であるから」「神の義は契約に対する神の真実であるから」

、「信仰義認ではない」とは言えない、そして、これらは「二者択一ではない」として、疑問を呈した。

 以上を踏まえ、今日の教会に求められることとして、①罪の意識が希薄になる現代における「信仰義認」の教理の再興、②慎重な対話と共同研究による、カトリック教会との「信仰義認」の共通理解の模索、③救いにおける人間の完全な無力さの認識と、「信仰のみ」「恵みのみ」の徹底、④洗礼をゴールとするのでない、聖化と再生に至る信徒教育の必要、⑤「全信徒祭司」と教会共同体の構築、を挙げた。

 最後に、「改革は継続していかなければならない」として、たくさんの教派、教団に分かれたプロテスタント教会は、キリストの教会としての一体性をどのように創出し、証しすることができるのかが問われている、と語り、「わたしたちが愛において一つであるように、彼らをも一つにしてください」とのみ言葉を引用して祈った、メランヒトンの祈りをもって講演を閉じた。(その他の講演については、「クリスマス特別号」で報告します

 

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