2017年12月24・31日号 16面

 今年、核兵器禁止条約が採択され、国際NGO、ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)がノーベル平和賞を受賞するなど、核廃絶に向けた世界的な取り組みが進展し注目された。戦後、被爆の証言や非核平和の取り組みに、キリスト者も関わってきた。被爆経験者や平和問題に取り組むキリスト者に聞き、課題を考え、祈りや行動につなげる。

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核廃絶への取り組み  WCC、WEA

 核廃絶推進に協力してきた世界教会協議会(WCC)は、ノーベル平和章決定の知らせを受けて、ICANの記者会見を10月にスイス・ジュネーブのエキュメニカルセンターで主催。ICANのベアトリス・フィン事務局長は会見とともに、WCCをはじめとした各国の協力者への謝意を表した。WCC総幹事のオラフ・トヴェイト氏は「希望への印であり、平和への道」と祝福した。

 WCCでは、核利用全般への警鐘を鳴らし続け、東京電力福島第一原発事故後の2014年には、「核からの自由への声明」を発表している。

 世界福音同盟(WEA)でも核兵器問題対策チームを設ける。同リーダーのタイラー・スティーブンソン氏とWEA総主事のエフライム・テンデロ氏は15年に被爆70年の広島市、長崎市の催しに参加した。以下は当時のインタビュー(2015年8月23日号掲載)の抄録。

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 スティーブンソン氏WEAは核兵器問題に関する立場を明確にしてはいないが常に意識して取り組んできた。核兵器問題では、①不拡散、②縮小、③廃絶、というプロセスが国際的な流れ。核抑止力の発想から解放されるには全廃しかない。核兵器問題ではWCCなど主流派が先行するが、福音派ならではの視点も表明したい。核兵器こそ偶像崇拝。人間の造った兵器に人々がひれ伏す状況があるからだ。放射能被害は神が創られたいのちの尊厳を脅かす。

 テンデロ氏広島、長崎の被爆の現実と人々の思いを感じ、核兵器の非人道性がよく分かった。キリストの福音の中心は魂の救いだが、同時に救われた者が福音をどう生きるかを含む。人のいのちと尊厳を守り、キリストの十字架による真の和解と平和をもたらすことは、神が福音によって成し遂げようとしておられること。私たち福音派キリスト者は自分たちが信じる福音を世界で表して行く必要がある。核兵器のように人類全体の課題に取り組むには他宗教との連携も必要。そのことで福音の内容を薄めたり、妥協するのではなく、むしろキリスト者の在り方が明確になる。私たちキリスト者は地の塩、世の光となる使命がある。

シャロームの実現を求めて   寄稿 松見 俊(西南学院宗教局長・西南学院大学神学部教授)

  剣を取る者は皆、剣で滅びる

 2017年度のノーベル平和賞がICANに贈られた。喜ばしいことであり、核兵器禁止条約の成立のために労してこられた方々におめでとう、と言いたい。

 しかし、喜んでばかりはいられない。この条約の成立の過程で、日本政府は議論にも加わらず反対したからである。そのような日本政府が10月27日に提案した核廃絶決議案に賛成したのは核保有国であり、いわゆる「核の傘」の下にあると信じる国々である。この決議案には従来の「あらゆる」核廃絶の「あらゆる」が削除され、限定付きで核兵器の使用を認めるというものである。

 「唯一の被爆国」である日本が核の抑止力という名の力の均衡論を打ち破ることができない事実はまさに自己矛盾そのものである。安倍晋三首相が国連演説で、北朝鮮への圧力を声高に叫ぶ場面がテレビで放映されたが、一瞬映し出された聴衆席は圧倒的に空席が目立っていた。国際社会の日本へのまなざし、あるいは、嘆きを映し出しているのかも知れない。そのような時代の風の中で、私たち、クリスチャンに託された「平和」の実現について考えてみたい。

 シャロームの到来

 ヘブライ語聖書と新約聖書を貫くメッセージは、イエス・キリストの到来による「シャローム」の実現への終末論的希望である。シャロームとは、単に神との関係における人間の内面性の「平安」を意味するだけではなく、全人的なことがらであり、さらに、人と人との間の社会的な平和、そして、人と他の被造世界との間の平和のことである。

 シャロームとは、神と人、人と人、そして、人と被造世界との関係の豊かな充満である。詩編85編11節には「慈しみとまことは出会い/正義と平和は口づけし」(新共同訳以下同)とわれており、シャロームとは、慈しみがまことと関係づけられているように、戦いのない静的な状態ではなく、人が神の正義(公正と悔い改め)に生きることである。

 「平和」のキリスト論的基礎づけ

 エフェソ2章14〜16節は「実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、… 双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました」と告白している。

 また、主イエスは「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる」(マタイ5・9)と宣言された。ギリシャ語を直訳すると「平和を行う人々」である。人が何か人為的に平和を造り出すこと(Peace‐makers)でも、単に待ちの姿勢で「平和のために準備している人々」(Friedfertigen)でもなく、あるいは、両方を含みつつ、イエス・キリストにおいて成立している「平和」を行い、生きることを意味している。

 私が奉職する西南学院は、昨年4月、「西南学院創立百周年にあたっての平和宣言−西南学院の戦争責任・戦後責任の告白を踏まえて−」を発表したが、ヘブライ語聖書の奴隷解放の神と、平和のキリスト論的基礎づけの上で、今日のクリスチャンの倫理的責任を明確にし、「敵対する異質な他者にさえ、しっかりと向き合い、問い合い、愛し合うことこそ人としての普遍的価値である、と私たちは信じます」と宣言している。異質な他者の脅威を声高に叫び、軍備を拡張し、画一的統合を目指すのは歴史が教える権力者の常とう手段である。

 核兵器の登場による劇的変化 もはや勝者など存在しない

 キリスト教会は、その歴史において、「聖戦論」(神の名による撲滅戦争)と「正戦論」(正義の戦争)を提唱し、実行してきた。

   「正しい戦争」とは、一、正統な最高権力機関による宣戦布告、二、正当な意図、三、最後の手段としての戦争(外交交渉の努力)、四、釣り合いが取れていること、五、成功の見込みのあること、六、節度ある武器使用、七、戦勝した場合の敗者への憐れみなどをその条件としてきた。

 正戦論は、権力者たちに、外交交渉の余地や自己反省を迫るという利点はあろう。あのイラク戦争の際には、米国の軍事介入は国際的に「正戦」とは認められなかった経緯もあった。しかし、人は自己流の「正義」の名の下で戦争を行うものである。そして、今日、何よりも重要なことは核兵器の登場によって、成功の見込みや節度ある兵器の使用や、戦勝した場合の敗者への憐れみなどは全く意味を持たなくなってしまった事実である。地球規模の破滅が核戦争の結果であり、もはや勝者も敗者もなく、すべてが敗者となるのである。核戦争は愚かさの極みであり、核兵器の均衡論は最も危険な企てである。

 クリスマス 平和の君の到来を生きる

 待降節・降誕節、「平和の君」(イザヤ9・5)と唱えられるキリスト・イエスの到来を待ち望む季節である。世界の現実に絶望することは容易い自然の成り行きである。しかし、キリストに希望を見出し、平和の実現のために生き、行動することは信仰と意志の事柄である。「剣(核)を取る者は皆、剣(核)で滅びる」。

希望の光があるから 寄稿・天野文子

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  「生か 忘却か!」

 受賞発表の10月6日は、ICANの構成団体の1つ、国際NGOピースボートの事務所で大勢のスタッフ、先輩たちとその瞬間の感動を分かちあった。事務局長のフィン氏は「この賞は、核廃絶を願って働いたみんなのものです」と喜ぶ。この日を見ることなく、でも、信じて「非戦の願いと核廃絶のために、一身をげた」多くの先輩と、支えて下さった友を思う。

 わたしが証言の旅の一歩を踏み出したきっかけは、1978年の第1回国連軍縮特別総会(SSD)への参加だった。ひるむわたしに強く要請されたのは、今回、ノーベル平和賞授賞式に被爆者代表として出席された被団協代表委員田中さんだ。「母であり、幼稚園の先生、そしてクリスチャンでしょう。米国では教会が先頭に立って運動していますよ」と。その夜、渡された「被爆の実相とその後遺に関する国際シンポジュム」を読み進み、最後のアピール「生か忘却か!」にわたしの目は、釘付けになった。

 〈広島・長崎の被爆者から世界のヒバクシャへのよびかけ〉として、「世界の核軍備競争に生きる恐怖に終始符をうち、世界の資源を死と破壊にではなく、人類の幸福と福祉のために用いよう! 世界のヒバクシャよ、団結せよ。輝かしい未来はわれらのもの」と。今、生き残っている地球市民みな「世界のヒバクシャ」としたのアピールだった。

 あの日地獄の淵に立った者に〈沈黙は、許されない〉主のご命令と従い、40年になる。

 このアピールが59年にノーベル平和賞受賞のノエル・ベーカー卿の言葉と知ったのは、ボストンでわたしの通訳をして下さったYWCAの関屋綾子さんの著書『風の翼』による。翻訳チームを主導した関屋さんは、サーロー節子さんにも、依頼したとある。

兄のき「イ・タ・イ」から                      

   「この72年、爆心地で死んだはずだった」という思いで生きてきた。8月6日朝、兄の入院に付き添うはずだった病院が爆心地だったと、に知った。学徒動員先の工場で被爆。爆心地から1・2キロの自宅にいた両親は家の下敷き、縁側にいた兄は、熱線で全身をかれた。目鼻、耳を除き全身包帯の姿に、妹は貧血で倒れ、兄の傍に来れなかった。

 田舎の伯母宅で日本の敗戦を知ったのは16日。とっさに納戸へかけこみ、こういた。「お兄ちゃん、戦争は終わったよ。日本は勝ったよ」……その3日後、兄は逝った。かに「イ・タ・イ」といて。14歳の愚かな軍国少女が死にゆく人についた!

 いかに自分が洗脳されていたか。一晩中天空を焦がすように燃えた夜明け、死者に囲まれ、生きてここに立っているのは自分ひとりと思った瞬間、「戦争は人殺しなんだ。東洋平和の聖戦なんて嘘だ!」と思ったわたしなのに。この悔しさ、申し訳なさに、歴史の真実を知りたいとって生きてきた。証言の旅のなかで、戦争で殺された人、傷ついた人々、特にアジアの人たちの呻き「イ・タ・イ」は、身にみ、心に刻まれた。

 マレーシアの男性は「14歳だった自分と母の目前で弟を殺された」と傷跡を示し、「日本の平和憲法は、アジア2千万の血で贖われたもの。あなたたちだけのものではない」と。

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 「抑止力に頼ることは、自分も核兵器の標的になること」とフィン氏。わたしも言いたい。「『核の傘の下にいる』からこそ、軍備拡張でなく非核を宣言してほしい。日本が変わればアジアも変わる。一端戦争をはじめたら、国民のいのちは守れない」と。

 広島の平和公園内に唯一、遺骨の納められている供養塔の前で毎年、各宗派の慰霊式がある。戦後の生涯をこの供養塔に捧げられた佐伯敏子さんとある夏、話した。「ここでは、声なき声が聞こえてくる…山と積まれた遺体を焼く夕闇の炎の記憶と共に」と。

 ピースボートの旅で出会った長谷邦彦さんは、父の顔を知らない、出張で泊まった宿が爆心地近くとだけ。被爆遺児になったさんは、新聞社、大学での教職を経て「被爆者証言の世界化ネットワーク(NETーGTAS)を立ち上げた。学生、留学生によって多言語に翻訳し、世界に発信する活動は、国立広島・長崎原爆死没者追悼祈念館のサイト「平和情報ネットワーク」から視聴できる。

 ICANの働きと相まって、世界のヒバクシャを広げる大きな助けになって、子どもの未来を希望ある世界にしてほしい。

 もうわたしは問わない、「主よ、いつまでですか?」とは。希望があるから!

「人から人へ」出会いが変化に  近藤紘子さん

 「うれしい。戦後、ずっと被爆者たちが訴えてきた72年。やっとそこ(ノーベル平和賞)まで届いた」と近藤紘子さんは受賞の知らせを喜ぶ。

 父・谷本清は、広島で被爆した牧師。戦後被爆者の権利擁護と平和活動に従事してきた。紘子さんは被爆当時生後8か月だった。

「父は米国で教育を受けてきた。敵国であるよりも、学びを受けた国という思いのようだった。『キリスト教の国なのだから』と訴えてきた」と戦後の活動を振り返る。

 ノーベル平和賞授与式に参加した被爆者の1人、サーロー節子さんとは親しい。サーローさんは当時、広島女学院の学生で、教会学校教師でもあった。サーローさんは、谷本牧師が設立したヒロシマ・ピース・センターが企画する谷本清平和賞を、2014年に在外被爆者として初めて受賞した。「サーローさんの活躍はうれしい。7月の国連核兵器禁止条約のための演説で、あの顔を見たときはうれかった。父がいちばん喜ぶのではないでしょうか」

 谷本牧師の言葉「大きなものを動かすのは難しい。でも『人から人へ』を大切にすれば、必ずいつの日か変わる」を大切にしている。「庶民の力は大事だ。オランダは当初核兵器廃止条約に調印する予定はなかったが、市民の声で最終的に調印することになった」と話した。

   「本来なら日本が条約に参加しているべきだった」と憤る。「被爆者たちが一生懸命動いてきたのに、日本よりも海外の人たちが一生懸命。『核の傘』は問題ではない。広島、長崎2つの町の被爆を経験した日本だからこそ、核兵器反対を主張するのは当然。世界も認めるはず」

 宗教者ならではの平和の思いに期待する。「クリスチャンであれば世界の平和を考えていたい。宗教はみな平和を教えている。

ベトナム戦争後、父はベトナムの仏教僧を招き、日本の牧師、神父、仏教僧、神主らと平和について対話した。互いを敬い、共に平和のために歩むことができる。私も世界を回り、宗教、言語、民族の違う人たちと出会ってきた。違いを受け入れ合うことをいつも考えてきた。今や日本は信仰心も失われていることが心配です」

 「日本では大学生でも8月6日、9日、15日が何の日か知らないという現状がある。

被爆者のみならず、全国に戦争体験者はいる。その経験を聞いてほしい」と勧めた。

 「うれしいことは、米国の多くの学者が、日本への原爆投下は間違いだったとはっきりと言っていること」と言う。また、かつて広島に近藤さんたちの元へ学びに来た米国の大学院生などが教授や教員になって、原爆の悲劇を学生たちに伝えている。「語り継いでくれていることがうれしい」

 学校などでの講話では「戦争は負けた方だけでなく、勝った方も苦しむ」と話している。原爆を投下した米軍機エノラ・ゲイに搭乗していたキャプテン・ルイスに米国で出会ったエピソードは有名だ(近藤紘子著『ヒロシマ、60年の記憶』参照)。戦後苦しんだルイスの思いを知り、自分の中にも憎しみの心、悪があったことに気づかされた。ある小学生からは「自分も喧嘩になりそうなときに近藤さんの話を思い出したい」と感想を寄せた。「自分自身の中にもある間違いに気づいてほしい。特にキリスト者ならわかるはず」と近藤さんは話した。

 大学生で海外で勉強する人が減っていることも心配する。「ぜひ、いろんな人と出会う体験をしてほしい。平和活動のツアーで一緒に世界を回ったある小学生は『世界中に友達ができた。その国に対して鉄砲は向けられない』と語った。広島にも世界中からいろんな人がきてくれた。ある米国人は『責められるのでは』と広島に来るのを恐れていた。しかし実際に訪問したら、『温かく迎えてくれて安心した』と話した。そのような体験が平和に結びつく」

 最後に「やはり日本は世界に向けて行動してほしい」と繰り返した。「オランダは市民が動いた。ましてクリスチャンは祈っていきたい。すぐに目に見える解決はないかもしれないが、私はあきらめていない」 【高橋良知