2018年02月11日号

89012201逝去
平成が終わる。政府は来年2019年4月の天皇退位、また5月の新天皇即位の予定を発表した。

1988〜90年の「天皇代替り」時期には、社会全体を「自粛」ムードが包んだ。キリスト教会では、様々な議論や行動があった。

 「これが信仰にかかわることならば、忘れ去ることはできない。いや、忘れ去ってはいけないはずだ…」。これは「天皇代替り」の一連の出来事をまとめた90年末(12月23日号)の本紙記者の言葉だ。はたして現在はどうだろうか。世代も変わってきている。

 平成の「天皇代替り」では、生前退位をはじめ昭和とは異なる天皇の姿勢がうかがえる。一方政権の近くに天皇制を強める勢力があることも指摘されている。昭和が終わる時何があったか、残された課題は何かを考えることは、日本宣教の深層のテーマ、精神土壌、社会の在り方などを考えることにもつながるだろう。当時交わされた議論は、今後も繰り返されることが予想される。まず昭和を思い出そう。

 88末〜90年末の本紙記事から天皇重体、逝去、大喪の礼、大嘗祭などの主な事件、それらへの反応、議論などを中心に振り返る。【高橋良知

 本紙オンライン(https://xn--pckuay0l6a7c1910dfvzb.com/?p=18676)でも主要な記事をPDFで公開します。

88年

 88年は秋に「天皇重態」が報じられた。当時の「回顧と展望」(12月25日号)では靖国神社訴訟、外国人登録法訴訟の動向に触れ、「こうした問題の根源」として天皇制を指摘。緊急出版、教団教派、協力組織からの指針、声明が続々と出されたことを伝えた。注目したのはNCC(日本キリスト教協議会)系ばかりではなく「福音派の間でも問題意識の高まりが見られつつある」点だった。

89年

 89年の「回顧と展望」(12月24日号)では、教界からの抗議や是正要望が続いた様子を伝え、「これまで公的な文書でこの種の意思表示をすることが少なかった福音派の諸教派・団体、特に比較的保守的と見られてきた、しかも地方に本拠を置く教団からも出された」と指摘。

 日本福音同盟(JEA)はアジア福音同盟に連なる各国の福音同盟から天皇問題について、連帯の意思表示を受けた。日本福音主義神学会は第5回研究会議で天皇制をテーマとした。外国人登録法の差別性に反対してきた人々は、天皇「崩御」(逝去)の恩赦によって外登法違反事件を決着しようとすることを問題視していた。

90年

 90年は「ポスト大嘗祭への潮流」(12月23日号)としてまとめ、教界の反応として大きく3点を挙げた。1つ目は「憲法の政教分離・信教の自由を守り、神社参拝をアジアの諸国民にまで強いたようなかつての国家主義の復活を許すな、という声」、

2つ目は日本人の「内なる天皇制」「日本人性」の問題、3つ目は大嘗祭に代表される天皇制のもつ宗教性に「悪の霊」の力を見、霊の戦いとしてとらえるものだった。

 天皇制の問題を宣教の課題、信仰告白の問題と自覚したこと、関心の推移として、「政教分離だけではなく、次第にキリスト者としての立場や信仰を明文化したものが増」えたことも挙げた。

 いずれの年においても言及されている課題は、各個教会・信徒レベルまで深められたかどうか、という点だった。

天皇重態

 天皇重態の第1報は88年10月7日号。「キリスト教会・キリスト者の対応には戸惑いや疑問、自信のなさが見られる」という問題意識から靖国問題連絡会(中台孝雄代表・当時)による緊急集会開催を伝えた。

天皇「崩御」

天皇逝去(89年1月7日)は1月22日号で報道。1面では横浜、東京で開かれたキリスト教関係の緊急集会の様子、JEAや日本基督教団、各団体が7日付けで政府などへの要望書、声明を発表したこと、日本福音自由教会(関東協議会)では新年聖会を自粛せず挙行した様子を伝えた。2面では天皇制問題で関係者のコメントを掲載。皇室との交流があった滝元明氏(日本リバイバルクルセード主幹)は、新天皇皇后への期待と「救霊のために祈りたい」、山崎鷲夫氏(東京聖書学院名誉教授)は、「国民感情を逆撫でする」と天皇個人への責任追及や天皇制廃絶に否定的。西川重則氏(政教分離の会事務局長・当時)はテレビの特別報道をみて、「日本が依然として偶像崇拝の国である」と認識。戦争責任の不問やアジアからの批判に触れた。泉田昭氏(JEA理事長・当時)は、天皇の歴史的評価を問い、「人間的側面の評価に傾いている」状況を憂えた。

大喪の礼

89031201大喪

 「大喪の礼」は3月12日号。神道色がありながら、国事行為として挙行されたことについて、問題意識をもった人々で緊急集会、祈祷会が開かれた。

その後も2月11日「信教の自由を守る日」、8月15日「敗戦記念日」などの各種集会が報じられ、論考、投書などで意見が交わされた。日本キリスト教協議会は11月までに大嘗祭問題署名運動センターを、JEAも12月までに署名活動を開始した。

 90年は大嘗祭問題への動きの拡大とともに、紙面での議論も活発にされた。稲垣久和氏(東京基督教大学助教授・当時)は著作『大嘗祭とキリスト者』刊行とともに、本紙で「大嘗祭と教会」を連載。これに関する投書や論説が相次いだ。本紙では天皇観に関するアンケートを全国の教会・個人に向けて実施し、意見も募った。読者投稿では、大嘗祭や戦争責任への問題意識を表すもの、反天皇キャンペーンが日本社会にマイナス効果を与えるのではと心配する声、伝道、証の機会に用いようという声、信仰と社会の二元論的捉え方に注意する声などがあった。

銃撃テロ

90020401長崎銃撃

90050601フェリス銃撃
「言論封鎖」を思わせるテロも起きた。天皇の戦争責任に言及した長崎市長(カトリック信徒)が、右翼団体の銃弾で重傷(2月4日号)。キリスト教学校4校長が大嘗祭問題で声明を出していたが、その1人、フェリス女学院大学の弓削達学長宅に銃弾が撃ち込まれた(5月6日号)。

大嘗祭
90112507大嘗祭当日

 大嘗祭直前の11月11日号ではキリスト教各界に当日をどう迎えるかインタビューしている。本田弘慈氏(日本福音クルセード主幹)は「イエス・キリスト以外に救いはないと伝えることが、どんな論争にもまさって国を動かす」。同時に「教会は正は正、邪は邪と大胆に証しし発言すべき」と述べた。滝元明氏は政府の国費投入には反対する一方、天皇批判よりも「天皇の救いを祈りたい」と語った。教会幼稚園を運営していた山口昇氏(JEA理事長・当時)は、保護者に配慮して休園するが、国旗掲揚などの通達には従わない姿勢を示した。壺坂国三氏(岐阜県キ教連代表・当時)は、「教会で学習会を重ねてきた」として、幼稚園は開園した。この年、千葉県に開校したばかりの東京基督教大学の学長、丸山忠孝氏は通常授業、チャペルでみことばに聞き、祈ることを表明。ほかにもクリスチャン議員の竹村泰子氏、西川重則氏、明治学院大学学長の中山弘正氏、日本のためのとりなしの会委員長の皆川正一氏が意見を述べた。

 大嘗祭当日のキリスト者の動きについては11月25日、12月9日号などで報道。徹夜や断食での特別祈祷会、JEA大嘗祭問題協議会などでの議論など、ポスト大嘗祭への動きも報じられた。神学校、神学生らから要望書、声明、集会開催などの動きもあった。

国際宣教の時代

 88〜90年の「回顧と展望」を参考に当時の世界、キリスト教界の動向も概観しよう。「2000年紀の大宣教命令の達成」を目標に各宣教団体が伝道戦略を発表していた。第2回ローザンヌ世界宣教会議など、国際的な伝道会議が催され、日本でも91年の日本伝道会議に向け、国際化と日本の各地をつなぐ地区宣教会議が順次開催されていた。

 89年には、中国では天安門事件、ドイツではベルリンの壁崩壊が起きた。ビリー・グラハム氏は香港クルセードを挙行。全世界で衛星中継され、大都市以外での協力伝道のあり方を示した。ペレストロイカ以降東欧での宣教活動が拡大。東欧における伝道集会で多数の回心者を起こしたルイス・パラウ氏は大阪、沖縄でも集会をした。日本国内でも放送伝道への取り組み、また各種伝道大会、伝道キャンペーンが実施された。