2018年02月25日号 08面

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写真=“ゴミ捨て場”で。右がバスカさん

 Every Home for Christ(EHC)という働きをご存知だろうか。1953年、一組の宣教師夫婦の祈りによってスタートしたこの働きの目的は「すべての家庭に、福音文書(トラクト)を通してイエス・キリストを証しする」こと。日本では全国家庭文書伝道協会という名称で、いのちのことば社の一部門として位置付けられている(岩本信一総主事)。アメリカに国際本部を置き、現在、世界189の国と地域でその実情に応じて、働きとビジョンが広がっている。その一つ、モンゴルEHCから総主事のバーサンドゥオーリ(通称バスカ)さんが来日し、1月28日から2月4日まで、関東圏を中心に7つの教会で集会を持ち、自身の救われた証し、現在進めている遊牧民伝道、子どもの貧困支援の働きを紹介した。【髙橋昌彦】

 モンゴルの面積は、約156万平方キロメートル、人口約300万人。日本の約4倍の国土に、約40分の1の人々が暮らしている。1924年から70年近くにわたって社会主義国として、ソ連から多額の援助を受け、文化的にも経済的にもその強い影響下にあったが、91年のソ連崩壊に伴い92年に民主化し、新たな「モンゴル国」として新憲法を制定、信教の自由も保証された。それまでクリスチャンはほとんどいなかったが、民主化後宣教活動が活発になり、モンゴルEHCも97年にその働きをスタート。現在人口の5%、15万人がクリスチャンになっているという。

 日本のEHCもその当初から交流をもち、今までに2台の自動車をモンゴルEHCに贈呈してきた。1台目は19年前、ある教会の協力を得て、ワゴン車を送った。今もなお使われ続け、走行距離は60万キロを優に超えている。2011年には新たに四輪駆動車の要請を受け、日本全国の教会に献金を呼びかけることで2万ドルが与えられ、翌年の購入が実現した。これが、バスカさんたちモンゴルEHCが力を入れている、遊牧民伝道に用いられている。

 「15万人のクリスチャンの多くは都市部に暮らす人々です。多くの伝道団体の働きが実を結んでいます。EHCのトラクト配布もそうですし、今は1枚のトラクトから、そこに書かれているアドレスを見て、多くの人がEHCのサイトを訪れてくれます。モンゴルでもインターネットの普及率は高く、ほぼ全ての家庭にその環境が整っていると思われます。もちろん全ての人が信じるわけではありませんが、都市部においては大体福音は伝えられたと考えています」

 「一方で、およそ100万人の人口がいると言われる遊牧民の人たちにはまだまだ福音が届いていません。彼らは当然街中には住んでいませんし、こちらから出ていかなければなりません。モンゴルの冬は寒く、零下30度にもなります。伝道できるのは、夏の3か月です。一か所に定住せず、家畜を追って移動していく彼らに福音を届けるには、4WDが必要なのです」

 ただ、4WDさえあればどこへでも行けるわけではないらしい。車を降りて馬に乗らなければ行けない地域、さらには徒歩でしか行けない地域もあるという。「それでもこの5年間で洗礼を受ける人も出てきました。訪ねていかないと、なんで来ないんだ、と携帯電話がかかってくる人もいます。彼らは皆純朴で、心優しい人たちばかりです。ぜひ一緒に伝道に行きましょう。日本から来た人を彼らはきっと歓待してくれます。ちょっと顔を出せば羊を一頭、一日そこにいるようなら牛一頭を振舞ってくれるでしょうね」

「私も路上の子だった」
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 バスカさんは現在42歳。2人の息子がいるが、神様を知るまでは、身寄りのないホームレスだった。マンホールで暮らしていたこともある。酷寒の地では、暖を取ることのできる貴重な場所だが、当然環境は劣悪だ。マンホールチルドレンは1990年代に数千人いたと言われるが、政府の取り組みもあり数百人に減ってきた。「でも2年間で200人くらいが行方不明になっています。誘拐されて外国人が関わる臓器売買の犠牲になる子も少なくないと思います」

 バスカさん自身、17歳で神様を知るまではすさんだ生活を送っていた。飲酒に明け暮れ、喧嘩、強盗まがいのことは日常茶飯事で、いつ死んでもいいと思っていた。ある時、ホームレスの人が集まる場所で福音に出会った。渡されたトラクトには「イエス・キリストはあなたを愛しています。教会に来てください」と書いてあった。聞いたことのない名前だったが、どうせ死ぬのだから、死ぬ前に教会に行って一度その人に会ってみよう、と思った。酒の臭いをぷんぷんさせていたので断られるかと思ったが、出迎えてくれた牧師は「イエス様はあなたを愛している」と言って、その臭い自分を抱きしめてくれた。涙が出た。

 それから4年間教会の地下で暮らしたが、暖かくて食事もくれるところに居ついただけで、信じていたわけではなかった。それでも伝道にはついて行った。伝道映画が上映される中で、「私について来なさい」というイエスの言葉に触れ、自分も従おうと決心し、神学校に行くことになった。「これは神様からの祝福でしかない。同じ祝福をみんなにも分けてあげたい。神にできないことはない、だから神を信じよう、といつも言っているんです」

 10年前からは、ウランバートル郊外のゴミ集積場で生活する子どもたちの支援を行っている。彼らは、地方から仕事を求めて街にやって来た家族の子どもだ。住民登録も簡単ではない彼らに就職先を見つけるのは困難で、住むところもなく、そこへ行き着いて住み始めた人たちだ。ゴミの中からリサイクルできるものを集め、業者に買ってもらう。1日働いて千円にもならない。親は何もせず、子供だけが働かされている家庭も少なくない。家庭内暴力も目に余る。

 そこにいる200人の子たちに学びの機会と食事を提供している。定期的に来ることのできる子は60人ほどだが、週末には200人、クリスマスには千人が集まる。子どもたちの信仰は純粋だ。「冬の寒い日に、教会の外で泥酔して寝ている人がいたんです。礼拝が始まろうとしていた時でもあり、大人たちは、起こすと面倒だからそのままにしておけ、と言ったんです。しばらくしたら、4歳と6歳の子どもが入って来て、あの人を家まで連れて行ったと言うんです。『バスカ牧師が、困っている人を助けなさい、といつも言っているから』。恥ずかしくなりましたね」

 肝硬変を患い、余命数か月と宣告された時も子どもたちに助けられた。教会の4歳の女の子が子どもたちを集めて「バスカが死んだらどうする。ゴミを集めて治療代を稼ごう」と呼びかけた。「治療は海外に行く必要があり、費用は莫大でした。その額を考えたら子どもたちが集めたものはわずかでしたが、その後から治療代が祝福されて、満たされるようになったのです。今はまったく元気になって、日本にまで来ています」

 子どもたちの置かれた状況は依然過酷だ。飢えは常態化し、一つのパンを手に入れるために体を売る子もいる。腐ったものを食べたことがもとで命を落す子もいる。ごみ集積場ではトラックが着くたびにごみの争奪があり、車に引かれる事故が後を絶たない。病院に連れて行っても、身分証が無いことで診療を断られる。家庭の暴力がひどくて警察に保護を求めても、両親の承諾が得られないために結局は親の元に戻されてしまう。「そんな子どもたちに何としても神様を伝えたいんです」

 学校の運営資金はどうやってまかなっているのか聞いてみた。「私はEHCから与えられる給与の半分を捧げています。もちろんそれだけではとても足りません。でも、その時その時、食べ物だったりお金だったり、どこからか与えられて今まで続けてきました。愛があればできないことは無いんです」

 今、どうしても必要だと思っているものは、子どもたちが生活できる宿舎と病院に運ぶための車。それぞれ155万円、77万円。バスカさんの話を聞いていると、神様が与えてくれないはずは無い、という信仰がひしひしと伝わってきた。