死去ではなく住所を変えただけ 生前のグラハム氏の横顔 本紙編集顧問 守部喜雅

1956年と言えば、終戦から10年が過ぎ、日本の教会も回復の兆しをみせていた頃です。アメリカの大衆伝道者、ビリー・グラハムの来日は、大きな反響を呼び、大会会場の両国国技館は満員となり、会場で販売された著書『神との平和』は飛ぶように売れたといいます。特に、その単純明確な福音のメッセージは、多くの人々を信仰の決心に導いたのです。

2度目の来日は1967年、クリスチャン新聞が創刊した年であり、その年の10月、武道館で開かれたビリー・グラハム国際大会では、週刊になったばかりの本紙を会場の前で頒布。1面は大会の詳報で占められました。この大会には一般紙も注目しました。この年のグラハム氏との会見は公式記者会見に出席することで終りましたが、以後の来日の折には個人的な会見の場が与えられ、その素顔にも少し触れることができました。ビリーグラハム氏

いつお会いしても、記者のぶしつけな質問にも丁寧に応対してくれたその謙遜な姿を忘れることができません。たとえば、「先生は、何万人もの人々の前で福音を語っておられるが、時には責任の重さに押しつぶされることはないのですか」と言った記者の質問に対し、こう答えられた。「私にとって、集会に慣れるということはありません。毎回が新たな献身をする時なのです」

また、こんな質問をしたことがあります。「もし先生が大衆伝道者として働かないなら、どんなことがしたいですか」。この質問には、笑いながらこう答えてくれました。「実は、私が個人的にしてみたいことは、晩年になってそんなに大きくない教会で、聖書を通して青年たちの霊的訓練をすることです」。この願いは聞かれることはありませんでした。グラハム氏は終生、福音を単純明確に語る伝道者としての使命を全うされたのです。福音を伝えた人の数は、放送伝道を含め、実に20億人に達するといいます。

1956年のグラハム氏初来日から3年後、東京で、アメリカの伝道者でワールド・ビジョン創設者のボブ・ピアス氏を講師に招いて東京クリスチャン・クルセードが開かれました。19歳の筆者は、この伝道集会で初めてキリストの福音を聞き、その年のクリスマスに東京の教会で洗礼を受けたのです。それから10年後、東京で出会ったピアス氏にそのことを告げると、ピアス氏は涙を流し、筆者の名前を持参していた聖書の隅に書いてくださり、「祈っているよ。困ったことがあるなら連絡してね」と抱くようにして言ってくれました。その時、ピアス氏は、「サマリタンズ・パース」という援助団体を立ち上げており、これは後に分ったことですが、グラハム氏の長男であるフランクリン氏が生きることに苦しみ悩んでいた時、彼を霊的に導いたのがピアス氏だったのでした。

そして、フランクリン氏は後にサマリタンズ・パース総裁として活躍すると同時に、グラハム氏引退後はその使命を受け継ぎ、伝道者として世界中で活動しています。世界的大伝道者の息子としての重圧に押しつぶされ、一時は非行に走ったこともあるフランクリン氏。それだけに、人の痛みが分かる伝道者として、そのメッセージは混迷する時代に生きる人々の心を捉えています。

グラハム氏逝去の報に接し、筆者がすぐに再読したのが伝記『フランクリン・グラハム…逃避から希望へ』でした。そこには、非行に走る息子の存在に苦しみ、それでもなお、神の圧倒的な恵みの現実に生きる父親としてのグラハム氏の姿を見ることができ、世紀の伝道者でありながら終生、謙遜な主のしもべとして生きた姿があります。

生前、グラハム氏はメッセージの中でこんなことを語っています。
「いつの日か、みなさんはビリー・グラハムが死去したということを聞くでしょう。しかし、それを信じないでください。私は新しいいのちに生きるからです。私は私の住所を変えたに過ぎません。私は神の御元へ行くのです」

グラハム先生のトーチを受け継ぎ、御国建設のために立ち上がって ジャーナリスト フィリップ・ヤンシー

 ビリー・グラハム氏逝去の報を受け、ヤンシー氏は以下のようにコメントした。
──私自身、ビリー・グラハム先生とは、2回、交わりがありました。1回はグラハム先生の自叙伝を出版した時、あと一回はリーダーズ・ダイジェストの記事のためでした。グラハム先生は誠実、そして神様を喜ばせることにフォーカスをおかれた方でした。また、カトリックとプロテスタント、リベラルと保守派の橋渡し役をされた先生です。全世界2億1千500万の方々にライブの、メディア、ラジオ、テレビで、数えられないほどの人々に福音を伝えました。日本には4度来日し、クルセードを行ったと聞いています。先生の紳士的な態度、忠誠、親切を日本の方々に示されました。一つ一つの大会で神の愛、恵みを訴え、日本の方々に神の愛を体験して欲しいと願われました。今、私たちの住む世界は分裂し、何が真実か分からない社会です。そんな中でぜひ、日本の方々がグラハム先生のトーチを受け継ぎ、御国の建設のために、立ち上がってくださいますように。──