2018年03月18日号 06面

 2月26日には大阪市中央区の大阪クリスチャンセンターで講演会が開かれた。2016年の神戸の日本伝道会議で生まれたアナロギア6委員会の一つ、神戸神学アナロギア委員会(鎌野直人委員長=関西聖書神学校校長、日本イエス・キリスト教団・姫路城北教会牧師)と、いのちのことば社共催で行われ、夜の講演会に先駆けて同日午後、関西の神学校7校から神学生や教職員らが集まり『日本宣教について考える会』が開かれた。

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写真=神学生たちのテーブルディスカッション

 大阪聖書学院学院長の岸本大樹牧師(キリストの教会・旭基督教会)は「この企画は関西地域の神学生が日頃から交流があることで実現した画期的な集会です」と、関西ならではの集会を喜んでいた。伝道会議でも神学生の奉仕が会議を後押しした。伝道会議で好評だった、参加者がグループに分かれてディスカッションするコイノニアの時間が今回も設けられて、初めに自己紹介、講演の後は分かち合いをした。

 同委員会の坂井純人牧師(日本キリスト改革長老教会・東須磨教会)の司会で進められ、ヤンシー氏の通訳は正木牧人牧師(神戸ルーテル神学校校長、西日本福音ルーテル教会伊丹教会)が務めた。ヤンシー氏は「ヤンシー、神学生に語る〜日本の教会を担う人たちへのメッセージ」と題して講演した。

 「キリスト教の歴史をたどれば、中近東からヨーロッパに広がり、やがてアメリカ、アジアへと広がって行ったことが分かる。日本もその中の一つ。では、2018年現在のキリスト教の位置づけは?」と問いかけた。

 「ヨーロッパには大教会堂が残っていますが、礼拝者は極端に少ない。多いのは日本人の観光客だ。世界のクリスチャン人口の3分の2以上は白人ではない人たち。今、旅をして楽しいのはアフリカやフィリピンやブラジル、そして未公認の教会のある中国など。驚異的な数の人々が救われた国々だ。国が豊かになり、秩序が保たれてくると、人々は神のことを忘れがちになる。ヨーロッパも、アメリカもそう。人々には教会に行くより楽しいことがあるのだ。神はご自分を押し付けない方。忘れ去られると、違う所に静かに動いて行かれる。人々が苦しんでいるところに行かれて、そこで腰を据えて働かれるのです」

 今回日本で7つの教会を訪ねたことに触れ、「日本の教会は小さいけれど、小さいことでがっかりすることはない」と励ました。「神の国について語られるとき、神は小さな種、一粒の麦のように小さなものに譬えられる。神は一番小さな種を用いられる。1950年代に宣教師を国外に追い出した中国では、残されたのは聖霊様だった。それでも、当時200万人のクリスチャンがいた中国は、その後1億を超えるクリスチャンを生み出した。人を使わなくても、リバイバルは起こされました」

ヤンシー氏と日本の神学生たち “ブーメランの祈り”学ぶ 私たちに何ができるか

 クリスチャンミュージシャンのボノ氏(U2)の例も挙げた。ボノ氏はアフリカでエイズに苦しむ1千500万人もの子どもを目の当たりにして“神様、なぜこんなことをゆるしているのですか”と、祈ったという。すると神は“あなたを用いたい”と示され、彼がアメリカの政界のトップや国連への働き掛けをする背中を押された。「彼は“私はブーメランの祈りを学んだ”と、言った。神は、神の働きをご自分一人でなさろうとは考えておられない。神は、敢えて私たち一人ひとりを用いて事を運ばれることを喜びとしておられるのです」

 教会を音楽にたとえてこうも語った。「私の出身高校にはオーケストラ部がありました。難曲に挑戦するのですが、町の人たちは、不協和音の中で、ごくたまに奏でられる美しいハーモニーに感心したものでした。キリストの体なる教会も、時々は美しい音色を出すことがある」。あるラジオ番組で、インタビュアーから“神のどこがいいのか”と聞かれた体験を紹介。「個人、共同体、国家の観点から“福音にはすべてを変える力がある”と、答えました。“教会のどこがいいのか”という問いには、いつまでも天を見上げて立っているのではなく、苦しむ人々の慰め、貧しい人の助けとなるべく動くものでありたい。そして、私たちにできることは何かを考えたい」と話した。

   「イエス様は一握りのユダヤ人の弟子たちを訓練されて、福音を全世界に広げるようにされました。ローマ帝国でキリスト教が広がったのは、クリスチャンがペストの人々を見捨てず介抱し、捨てられた障がいのある赤ちゃんを育て、苦しむ人の助けになったからです。神の国の入植者として、そこに神のみ国が成るように、あなたが一粒の麦となるのです。イエス様が望まれるように演奏するなら、たいていは不協和音でも、ときどき正しい音程で奏でることができたらいいのです。のどが渇いていることにも気付いていない人々に、命の水を差しだすことができたらいいのだと思います」

日本人の穏やかさ、黙想性を生かして

 コイノニアタイム(グループディスカッション)では、神学生たちから次のような声があった。

 「なぜですか、主よ、というところに神の召しがあると思いました。祈りがブーメランのように帰り、私たちを用いられるのだとわかりました」

   「生活の中でみことばを実践することを問われました」

   「個人的な救いに留まらず、社会にげる取り組みが必要ではないか」

   「一粒の麦が地に落ちて死ぬことで芽が出る。自分が与えられる地とはどこか?」

 「頭で考えることから、どのように足を踏み出せるか。具体的にどのように神の栄光を現せるか考えました」

   「ヤンシーさんは足を運ぶことを強調していた。教会で人が来るのを待つのではなく、出て行かなければ。そのためには日本の教会の伝統を崩し、姿勢を変えることも必要なのでは」

 質疑応答では「日本宣教のアプローチの仕方は?」という問いにヤンシー氏は「罪人よ、悔い改めよというアメリカンスタイルは、日本ではうまくいかないのでは。日本人の多くが、優しく、礼儀正しく、喜んで人助けをする人たち。そんな賜物を誰があなたの心に置いてくれたのか、知りたくないかという働きかけはどうか。日本のクリスチャンを見て、もっと人を大事にしようと思わせる伝道方法はどうか」と、提案した。

 さらに「教会が大切にしている伝統的なことで良いものは何か」という問いには「皆さんの教会の伝統は、多くが西洋から入って来たもの。もっと日本的な教会にしてもいいのでは。皆さんの穏やかさ、黙想的なところがとてもいいと感じています」と、語った。

 夜の講演会は大澤恵太牧師(フリーメソ・桜井聖愛教会)の司会で進められ、「たましいの四季」をテーマに「喜び悲しみを巡る人生の四季にあって、どのような状況にも霊的な意味がある」と、説いた。講演後、神戸神学アナロギア委員会からヤンシー夫妻に記念品が贈られた。【藤原とみこ