2018年05月27日号 04面

DSC01500
テーブルの上に様々な物体が並べられた静物画のような印象。木の十字架、骨、釘などキリストを連想できるものもあれば、おもちゃやゴム手袋、小さな機械などが不思議に配置される。この独特の雰囲気を持つ写真シリーズがプロの批評家たちの目をとらえた。写真界の次世代を発掘する公募展第18回写真「1_WALL」展のファイナリストに稲田フランコタデオさんが選ばれ、3月に合同展示された。
イエスの生涯
写真=稲田さんの作品の1つ。洗礼の水や鳩、十字架などキリストの生涯を身近な素材を使って表している

 作品は聖書の言葉を視覚化した試みだ。稲田さんは「現代でも世界中の人々に読まれ、多くの人と寄り添って生きている聖書というものを過去のものとしてではなく、今を生きる者としての新しい切り口で表現した。その世界観を伝えるためのモチーフを選び、必要であればそのモチーフも制作した」と言う。

 展示主催スタッフからも「聖書に詳しくない人にとっても視覚的に面白く、クオリティが高い」と評された。グランプリは逃したが、審査したベテランの批評家からは「見たことがない表現」と評価された。

 聖書を題材にすることについて、「海外ならば受け入れられやすいのでは」という声もあったが、「クリスチャンの人口が1%という日本においてこのような作品を投げかける事は大きな挑戦」と稲田さん。一般からの評価も受け、「福音を伝える方法としても、アートとしても可能性が見えた」と手応えを覚えた。そして「『聖書を使う』表現ではない。あくまで聖書が主で、聖書を伝えたいからやり続ける挑戦」と強調した。

 出身はアルゼンチン。9歳で三重県に来日した。カトリックの文化をもつ家庭だったが習慣的なものになっていた。「3人兄弟で貧しくて、おもちゃはお下がりか、自分でつくった。それは嫌ではなく、楽しかった。自分はものを作る働きをするだろうな、と思っていた」と振り返る。「言葉や勉強が遅れ、自分を守るものとして、美術があった。大学に入ってからも、

自分の頑張りを人を攻撃するプライドにしていた。自分の世界観を求めて頑張ることがアイデンティティーになり、『こんなに頑張っているのにできない』と常にスランプの状態でした」

 独学で写真も始め、卒業後は東京に出た。「様々な写真家のもとでアシスタントをしたが、人を見て嫌になってしまい長続きしなかった」

 やがて仕事も貯金もない、という状況に追い込まれた。そのとき家族からもらった聖書を開き、「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」(Ⅱコリント12章9節)に目がとまった。「何もないのに、平安がすごくあった」と言う。当時家族はプロテスタント教会に導かれていて、信仰の確信をもつようになっていた。

 稲田さんも東京で教会に通うようになった。「聖書の真理を分かるにつれ、聖書を題材にした作品を制作するようになった。様々な経験を通して、自分のいらないパーツが削ぎ落とされ、主に向かうようになった」と話す。

 学生時代から交際していたイラストレーターの近藤圭恵さんも稲田さんの変化を見て、一緒に教会に通うようになった。昨年は結婚式と同時に2人で洗礼を受けた。

 風景、人、物…。稲田さんの写真には様々な被写体があるが、「見たいものは1つ」と言う。「コップがあるとしたら、その物体のコップ以外の側面を見てみたい。人が勝手につけた価値や機能ではない。その物の存在全体を知りたい。今思うと神様のことだと思うが、その感覚は昔から変わっていない所かもしれません」

「自分のためだけに作品を作るのではなく、まず主のため。許されるならば人のために作りたい。こんな思いが少しずつ与えられていった。今回の展示は現時点での自分の表現。信仰の成長によって作品の表現方法も変わってくるでしょう」

「すべてのものが神から発し、神によって成り、神に至るのです。この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン」(ローマ11章36節)を引用して今後への思いをこう語った。「制作だけでなく、生きていくうえで、何をするにも、みことばにあるようにすべてが神から始まり、神のために、そして神に終わるべきだと思って、やっていきたいと思っています」