冷酷な親衛隊曹長フレンツェルと大脱走をリードしたユダヤ人ソ連兵サーシャ (C)Cinema Production

アウシュヴィッツ=ビルケナウなどポーランドには、ナチ親衛隊が管理した6つの絶滅収容所の一つソビボル。1943年10月14日、収容されていたユダヤ人らが蜂起して約400人が一斉に脱走を実行した実話。この大脱走は、ソビボルに移送されて22日後に収容者たちの反乱を導いた一人のユダヤ人ソ連将校のリーダーシップと知略によることはあまり知られていない。ソビボルは、計画の当初から収容者の大量殺戮を実行するために建設された収容所。シャワー室を装う毒ガスでの惨状は、胸に詰まるものがある。だが、惨たらしさを強調していないカメラワークと映像美には配慮を感じる。少人数ではなく収容者全員での脱走を実行した結果は、必ずしも大成功とはいえないが、わずかに生き残った人たちの証言が、極限状況を作り出していく人間の狂気性と、それに打ち負かされない尊厳と勇気の決断を現代の私たちに訴え続けている。

ソビボルに移送され
22日後の大脱走実行

森林に囲まれたソビボル駅に機関車がゆっくりと入線してくる。チェロ、バイオリンなど弦楽器が歓迎の曲を奏で、貨車の扉が開くと大勢のユダヤ人らが降りてくる。「ようこそ、ソビボルへ。新しい生活が始まります」とスピーカーから歓迎の言葉が発せられる。ミンスク捕虜収容所で脱走に失敗したユダヤ人ソ連将校アレクサンドル・ペチェルスキー(通称サーシャ。コンスタンチン・ハベンスキー)たちもミンスク収容所解体のためソビボルへ移送されてきた。ユダヤ人たちはまず旅行かばんなど手荷物に番号を付けて預けさせられる。集合場所では大工、お針子、仕立て屋、宝石職人など仕事を与える職業人と一般人に分けられる。一般人、女子どもらは予防衛生のためとしてシャワー室へ押し入れられていく。そこは毒ガス室。ユダヤ人らが苦しみ悶え死んでいく状況を、ソビボルの責任者ナチ親衛隊曹長カール・フレンツェル(クリストファー・ランバート)が確認するかのように天窓から眺めている。1942年9月23日、サーシャがソビボルに収容された第1日目が暮れていく。

2日目。ユダヤ人が密かに祈り合っているのをサーシャも遠巻きに見ていた。すると、仕事を与えられ生き延びてきた者たちから、脱走に失敗したのになぜ殺されなかった? スパイだろうと疑われたサーシャは、割礼を受けいる身体を見せてユダヤ人であることを証明する。

9日目。フレンツェル曹長らによる収容者への虐待は、日常となって行われていた。虐待を受ける理由はない。サーシャもフレンツェル曹長から「5分で切り株を割らないと、ここにいる10人に一人を殺す」と理不尽な命令を受ける。仲間を救うため必死に叩き割ったサーシャだが、フレンツェル曹長には要注意人物として目を着けられてしまう。そのサーシャに、収容所内の地下抵抗組織を結成している男レオ(ダイニュス・カズラウスカス)が、サーシャの軍隊経験を見込んで反乱を起こすリーダーになってほしいと頼ってきた。だが、ミンスク捕虜収容所の脱走に失敗し多くの仲間を失ったサーシャは、すぐには受ける決心がつかなかった。

反乱を起こし収容者全員での脱走を決意するが… (C)Cinema Production

12日目。ソビボル駅に列車が到着した。だが、貨車の中はおびただしい死体の山だった。ソ連軍の進攻によってナチスが解体したベウジェツ収容所から証拠隠滅のために運び込んだものだった。収容者はもちろんナチ親衛隊の下で監視役や死体処理を担わされていたユダヤ人カポやゾンダ―コマンドらも始末されている。近くゾビボルも同様に処理されるだろうと察知したサーシャは、レオの依頼を受けて反乱を起こし脱走することを決意した。しかも、計画と準備に関わる少人数の脱出ではなく、収容者全員での脱出を計画するという。収容者のほとんどは戦闘経験のない一般人だ。彼らがナチ親衛隊の将兵たちと戦い、殺すことなど出来るのだろうか。反乱を起こすグループの連携は、武器の準備は? 大脱走決行に向けて準備を進めていく…。

日々虐待する親衛隊らの狂気性と
耐え抜いて信念を持つ収容者たち

ナチス・ドイツのユダヤ民族絶滅政策を忠実に実行していく親衛隊直轄の絶滅収容所。本作は、収容所内での作業など日常の様子がしっかり描かれている。殺害されたユダヤ人らの遺物を分類し、革製品や宝飾品をたちの黙々と加工処理したり作業を黙々と続ける収容者たち。一方、親衛隊らは宝飾品や自分に合った趣向品は横取りして悦に入る。収容者たちは人間ではなく絶滅すべき存在として理由もなく殺してしまう。その狂気性は、残虐な夜会の宴のシークエンスでは、なにか心の疼きを押し隠すような苦悶の表情にも思える。

命令の遂行だけに忠実の行動する親衛隊とは正反対に、極限状況に在ってもユダヤ人収容者の日常は人間同士の信頼と、屈辱に耐えて耐えて信念を持つために励まし合う姿を垣間見せられる。そして、冷酷に収容者を殺していく親衛隊に対して、反乱を起こそうとする一般の収容者は“人を殺せない”という両親の叫びに苦悶する。

本編の冒頭に使徒言行録10章47節の聖句がテロップで表示される。ローマ軍の百人隊長コルネリオが異邦人として初めて洗礼(バプテスマ)を受けようとするとき、使徒ペテロがいぶかるユダヤ人キリスト者らに「わたしたちと同様に聖霊を受けたこの人たちが、水で洗礼を受けるのを、いったいだれが妨げることができますか」と告げて、神の前にはユダヤ人も異邦人も隔たりの無いことを明らかにされた言葉。この聖書の言葉をどのように吟味すればよいのか、ハベンスキー監督の問いかけに想いをはせたい。 【遠山清一】

監督:コンスタンチン・ハベンスキー 2018年/ロシア=ドイツ=リトアニア=ポーランド/118分/映倫:PG12/原題:Sobibor  配給:ファインフィルムズ  2018年9月8日(土)よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国順次公開。
公式サイト http://www.finefilms.co.jp/sobibor/
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