2015年01月04・11日号 1面

 そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。(ローマ12・1、2)
2015年になりました。どんな思いで新年を迎えていますか?
ちなみに昨年を振り返る時、あなたには良い思い出と悪い思い出のどちらが多く浮かんできますか? 「いやー、あれは大変だったなー…。これも、きつかったなー」と悪い思い出の方が初めに浮かんでくる方もいらっしゃるかも知れません。共にこの新しい年を迎え、何か新しいことがこの国に起こることを主イエス・キリストにあって期待したいですね。
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牧師として様々な人の人生に関わらせていただく中に“依存症”に苦しむ方々がおられます。その方々の思いには“期待”、よりも“不安や不満”、そしていろいろな“痛み”がその心の大部分を占めています。良い思い出なんて何の意味もない、などと悲観的、否定的になりやすい傾向がこれらの人々です。
社会問題にもなっている薬物依存やアルコール中毒、DVの習慣、ポルノ依存など。これらのものはまず、神様から与えられた私たちの体を汚してしまうことになります。自分の体だけではなく、相手の体をも傷つけてしまうことが起こり、決して生きた供え物とは言えません。
何らかの依存症になってしまう時、そこには現実からの逃避があり、自分の抱える問題に対しての自己流の解決法だという考え、思い込みがあります。実はクリスチャンの中にもこのことが起こっている現実があります。

考え方を変えることの大切さ

私たちの神様は私たちを変えてくださる方です。ローマ人への手紙の著者パウロは「この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい」(ローマ12・2)と教えています。
英語の訳ではDo not be conformed to this world, but be transformed by the renewal of your mind, that by testing you may discern what is the will of God, what is good and acceptable and perfect. (Romans 12:2 ESV)

特に「心の一新によって自分を変えなさい」という個所に注目する時、“自分の思考、考えを新しくすることで変えられなさい” と英語では訳され、いかに私たちの思考、考え方を変えることが自分自身の変革のために大切かを知ることができます。依存症の方々の脱却、回復のミニストリーの中で考え方を変えることを徹底して学んでいただいています。
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『思考という名の戦場』の著者ジョイス・マイアー師は「私たちの戦いは思考の中にある。心配、疑い、混乱、憂うつ、怒り、自責の念……これらはみな、私たちの思考に向かって仕掛けられた戦いです」と言っています。
牧会や様々なミニストリーを微力ながらもさせていただく中で、私自身も間違った考え方はないか? 勝手な思い込みはないか?神様の御心かどうか? 十分に自分自身を吟味して前進していきたいと、この新年を迎えるに当たり思わされています。

イエス・キリストに目を向ける

私たちは弱く、小さな存在です。罪によって壊れていた状態から主イエス・キリストの流された十字架の血潮により義とされ、主と同じ姿に変えられるプロセスの中に入れられ、生かされています。まさに恵みであり、ここに希望があります! 日々主イエス・キリストに目を向け、あらゆるおおいを取り除いていただき、御霊によって私たち自身が変えられることを体験していきましょう!

「しかし、人が主に向くなら、そのおおいは取り除かれるのです。主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります。私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」(Ⅱコリント3・16〜18)