父・一明さんの漁師仲間や家族らに聞き取りをする川口美砂さん(右) (C)南海放送
父・一明さんの漁師仲間や家族らに聞き取りをする川口美砂さん(右) (C)南海放送

2年前に公開されたドキュメンタリー映画「放射線を浴びた[X年後]」は、1946年から62年にかけて100回以上実施された太平洋上核実験では、第五福竜丸だけでなく多くの漁船が被ばくしていた事実と日本全国に及ぼした被ばく状況を米国の公開資料などによって追った。東京で広告代理店を経営する川口美砂さん(59歳)は、同作を観て小学6年の時に36歳の若さで急逝した父親の死に疑問を抱いた。それから故郷の室戸で父とマグロ漁船に乗っていた世代の元漁師を訪ね当時の様子を聞き取っていく。50年代に太平洋上で操業していた漁船乗組員の多くが、自分の健康や家族の将来などを案じて口を閉ざした。福島原発事故以後、放射能汚染の問題が日本を駆け巡るなか、かつて父親の漁師仲間たちは、閉ざしていた口を開き話し始める。

川口さんは、妹が暮らす室戸に月一度は帰省する。今年1月から始めた漁師たちを訪ねての聞き取り調査。命を懸けて海を渡り、マグロを獲って寄港した懐かしい仲間たちとの記憶がよみがえる。マグロ漁船の船長だった父・一明さんが一緒に写っている古い写真を持っている人もいる。少しずつ語られる懐かしい話。やがて、獲ってきたマグロが漁港での放射能検査に反応し全部廃棄させられた辛い話が出る。そして、数年たつろ多くの漁師仲間が、様々ながんを発症して「バタバタと逝ってしまった」。

一方で、取材チームは放射線防護学者の野口邦和准教授とともに、当時の日本全国に降り注いだ放射能雨調査で放射能性物資が高い測定値を示した9か所訪ねて独自に土壌調査を行なった。当時は更地だったところに建てられた民家の床板をはがして測定される放射能性物質。半世紀後の現在、それはどのように影響しているのだろうか。

父・一明さんの航海日誌などが見つかり大きな手掛かりになった川口さんは厚生省に情報開示の手続きをする (C)南海放送
父・一明さんの航海日誌などが見つかり大きな手掛かりになった川口さんは厚生省に情報開示の手続きをする (C)南海放送

かつてマグロ船漁労長だった山田勝利さんは、放射能汚染が騒動になった当時、子どもたちの結婚や将来を考え「船員手帳のあの年のページを破いた」と振り返る。船員手帳にはどの船に乗船していたかの記録が残るため、同様にした漁師は多くいた。山田さんは、船を降りた後に市議会議長などを務め、土地の人たちの信頼も厚い。今は経営する食料品店の2階を手作りの資料館に改造し、「海の仲間たちの誇りを取り戻したい」という思いから、核実験による漁師たちの被害にも心を砕いている。それは、父・一明さんが36歳で急逝したとき、「酒の飲みすぎで早死にした」と言われて辛い思いをした川口さん姉妹の心にも響いた。

前作の「放射線を浴びた[X年後]」は、高校教師と学生たちがビキニ核実験での高知船舶籍漁船の被ばくについて聞き取り調査してることをきっかけに、南海放送が取材制作したドキュメンタリー放送を基にして映画にまとめられた。第2弾の本作では、3月に起きたビキニ水爆によって降り注いだ放射性物質が騒動になり、全国5か所の漁港で行っていた放射能測定検査が、同年12月には政府の安全宣言によって行われなくなった事実を再提示している。そして、幾度も太平洋で操業し、知らずに放射性物質を浴び、汚染されたマグロを船上で食していた漁師たちの多くが不健康な早世として真の原因は顧みられなかった。2011年の3月に起きた福島原発事故でも、同年12月に政府の安全宣言が発せられたが、同様に10か月というスパンは何を意味するのだろうか。

60年前の出来事のドキュメンタリーを、福島原発事故に絡めてアピールしようとしているとの批判は当たらない。いま現在、福島原発事故の放射能被害の影響について真摯に向き合うことを避けようとする風潮は、60年前の流れとほぼ同様に推移しつつあるからだ。同じ道程を繰り返すべきではない出来事なのだ。被ばくした漁船と漁師たちのその後を聞き取り調査する地道な活動が継続され、いくらかでも[X年後]の事実が掘り起こされることでフクシマの今と[X年後]への予防が進展するようにと願わされる。 【遠山清一】

監督:伊東英明 2015年/日本/90分/ドキュメンタリー/ 配給:ウッキー・プロダクション 2015年11月7日(土)より愛媛:シネマサンシャイン大街道、11月21日(土)より東京:ポレポレ東中野ほか全国順次公開。
公式サイト http://x311.info/part2
Facebook https://www.facebook.com/x311movie/timeline