2016年03月27日号 6面

 

2015年3月、日曜礼拝での賛美奉仕の準備を駐車場でしていた福原タカヨシさんは、突然凄まじい衝撃と激痛に襲われた。後方から走ってきた車と自分の車との間に両足をはさまれたのだ。左足は動脈がつぶれて壊死の可能性。右足は粉砕骨折。医師は「両足切断」を宣告したが、多くの祈りが捧げられ、8時間の手術は無事守られ、左右の足は、奇跡的に、切断を免れた。福原さんは、11年前に最初のCDをリリース、15年間の音楽活動歴を持つ。関西を拠点に活動してきた最中の事故だった。「あの時は、とにかく壮絶な痛みでした。手術が始まるまでの4時間半、神様しか頼れなくて、『イエス様、癒してください』と、それだけでしたね」【髙橋昌彦】

平安に包まれた入院

当然最初は寝たきりで、食事も自分では取れなかったが、順調に回復し、2か月半で退院となった。今まで3回手術を受け、今年の8月には4回目が予定されている。もちろんリハビリは継続している。昨年10月に、大阪で小坂忠さんが復帰コンサートをセッティングしてくれた。「あの状態で、事故から半年後に歌えたのはすごい恵みでした。神様の力がなければ、とてもそこまでの回復はなかっただろうと思います」
事故の後、入院中から綴られた福原さんのフェイスブックには、このような事態に巻き込まれた人なら当然陥るであろうと想像されるような、否定的、厭世的な匂いは微塵もなく、淡々と事に向き合い、神様に感謝している、そんな姿だけが見て取れる。「事故自体はとても落ち着いて受け止めていました。もちろん痛みは壮絶でしたけど、事故の直後から今まで変わらないのは、心が平安だったということです。不幸とか、闇に落とされるような気持ちになってもおかしくないとは思うのですが、そんなことは一度もなかった。神様の守りの中にあったのは確かですね。クリスチャンでなければどうだったか。フェイスブックを読んだ友達から、『無理していないか』『弱音吐いてもいいよ』とか言われるのですが、本当にあれは無理して書いているわけでもないし、強がってもいないんです。あのときからずっと、神様の愛に包まれて守ってもらっている感じですね。それは僕だけでなく、うちの奥さんもまったく一緒なんです。不思議ですけど」
事故の前と後で、その歌は変わったのだろうか。
「変わりましたね。言葉にしづらいですが、以前より、もっと自然でありたい、ありのままで神様の恵みをそのまま流していきたい、と思うようになりました。以前はどこかで、自分がという、気持ちや気負いがあった。それがなくなりました。もちろん曲作りは苦しみを伴うのですが、神様の恵みを流す管になるだけ、と思えるようになって、すごく楽になった。ライブも、自分を見せるのでなく、一緒に神様の恵みを共有する場になったらいいと、以前以上に思えるようになりました」

日常は当たり前ではない

この取材は、福原さん自身が出演する、3月11日の震災を覚えるライブの直前に行った。
「5年前のその日、僕は新潟にいて、奥さんの出産に付き添っていたんです。陣痛室にいました。ものすごい揺れで身の危険も感じた。そういう状況の中で、翌日娘が生まれました。なんとも表現できない気持ちでした。たくさんの人が亡くなる中で、新しい命が与えられた。本当に今までに体験したことのない悲しみと同時に喜びがそこにあった。実際混乱していましたね」
今日3月11日、被災地では様々な催しや式典が行われ、クリスチャンのアーティストもたくさん参加している。
「今日のライブは『3・11忘れないコンサート』ですけれど、この日に東京でやるのは初めてです。あの日、被災した方々は、本当に大変な経験をされたわけですけど、同時にあの震災は、日本の全国民が共有した体験でもあったと思います。そのことを通して、痛みを覚え、心に傷を負った人は、この東京にもたくさんいるでしょう。その人たちにも、音楽を通して、神様の愛が注がれて、一人ひとりに慰めと励ましが与えられればいいなと思うんです」
「『忘れない』というのは、被災地や被災された方を忘れないということもありますけれど、あの時僕たちはいろいろなことに気付かされたと思います。今まで当たり前だと思っていた日常が、実は当たり前ではない。平和であることがどれだけ幸せであるか。家族と一緒にいられることがどれほどの幸いか。そういうことは絶対忘れてはいけない。あの出来事があったからこそ、僕たちはそのことに気付くことができた。それすら忘れてしまったら、一体何の意味があったのかと思う。そういう意味で、このライブは続けていくことができればな、と思っています」

失ったものは戻らないが

最後に、被災地が「復興」する、とはどういうことだと思うか、聞いてみた。
「以前の状態に復する、戻る、ということではないと思います。そんなことはありえない。僕の体だって、完全な回復はない。失ってしまったものも多いですし、戻ろうとしたら、戻れないという現実にぶつかるでしょう。僕自身は、今回の事故を通して、あの瞬間に新しい命をもらったと思っている。新しい命を頂いて生かされてく時に、単に元の状態に戻るということを超えて、新しく生きていく、ということになるのではないでしょうか。結局、生きていくというのは、毎日新しく生きていくしかない。それはイエス様の復活を通して、僕たちが新しい命を得、それを日々もらっているということだと思う。そこはやはり、神様を知っている僕たちだからこそ伝えられる希望のメッセージだと思います」。イースターにふさわしい答えが返ってきた。