2018年09月16日号 01面

「直接、支援活動にいけないけれど何かしたい…」そんな思いから豪雨で被害に遭った西日本の地域を首都圏から支援しようと「西日本豪雨災害支援ナイトdeライトチャリティーコンサート」が8月24日、東京・大田区西蒲田の蒲田シオン・キリスト教会で開催。首都圏近郊の牧師ら有志で呼びかけ、多くの教会、教団、キリスト教団体の協力により実現、170人が集った。当日はゴスペルロックグループ「ナイトdeライト」のコンサートと共に、岡山県から岡山キリスト災害支援室(岡キ災)の吉岡創氏(南輝聖約キリスト教会牧師)が岡山県倉敷市真備町の災害支援の現場を、クラッシュ・ジャパンの山尾研一氏(町田聖書キリスト教会牧師)が、岡山県と広島県呉市の災害支援現場の現状を報告した。

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「岡山は日本でいちばん晴れの日が多く、安全で、支援に行くことはあっても、されることはあるのかと思っていた。そんな岡山が支援を受ける側になった。私たちの働きを通し、やっぱりここにも主の御業がある、もう一度主の前に立ち上がってこの地で仕えていこ
うと思わされている」。吉岡氏はそう語る。

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町の3分の1が浸水した真備町の現状について説明。「真備町は弥生時代からある古い町で町の中央を山陽道が走っており、宿場町として栄えた。倉敷市と合併したことで、倉敷の若い人たちが好んでこの町に家を建てている。浸水した家屋の多くは築3年未満で、夢のスイートホームを買い求め建ったばかりの家が被災した。彼らが背負ったものは実に大きなものだと思う」

その中で、「岡山の教会が何かしていこうではないかと、岡キ災が発足した」と話す。「発生の2日後に岡山県宣教の集いの牧師らによる呼びかけがあり、4日後に発足した。全国から続々とボランティアが集まってくれた。いち早く駆けつけてくれたのは、7年前のお返しをしたいという宮城県仙台市のチームだった」

「宣教の働きから支援の働きが生み出された」とも語る。「岡山は教派を超えて何でも一緒に宣教をする土地柄。かつて開いた宣教大会での基金が、初動のために使われ、今、倉敷にベースを設置し働きを展開している。1か月で千名近いボランティアが国内と海外10か国以上から来てくださり、また行政からも児童館などの作業委託も受けた」

こんなエピソードも分かち合った。「韓国オンヌリ教会の青年たちが児童館で屋根の作業をしている時、上から臭くて汚い泥水が彼らの上に注いだ。でも彼らは一切文句も言わず、ニコニコしながら作業を続けた。その姿を見た館長が『この人たちは信頼できる』と、すべての作業を委ねてくれた」合同祈祷会が始まり、すべての働きが祈りによって進められていることも報告。「真備町には教会がなかったが、1か月に及ぶボランティアの働きを通して人々の心がほぐされ、町の人たちから『ここにきっと教会が建つね』という言葉となって出て来ている。引き続きこの働きのためにお祈りしてほしい」と語った。7月中旬と8月初旬に岡山と広島で奉仕をしたという山尾氏は「わたしがいるところに、わたしに仕える者もいる」(ヨハネ12・26)の御言葉を握って被災地に赴いたという。「神様は、悲しんでいる人、家のない人の所にいる。神様は呉市に、真備町にいる。そこに、私もいるべきだと」

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「被災地は神様の訓練、祈り、賛美、御言葉の実践の場」だとも言う。「私たちは毎朝、牧師による短いメッセージを聞いてから送り出されていく。私たちの働きは御言葉により励まされ、遣わされ、奉仕をし、戻ってくる。単に作業に行くだけでなく、作業の合間に被災された方とお話をする。そうすると、今まで人ごとのように作業していたのが、変えられていく」倉敷市真備町での作業は午前3時間、午後2時間。猛暑のため、作業は20分したら10分休むの繰り返しで、2時間で2リットルのペットボトルの水が空になったと、その大変さを明かす。だが、作業を終え、倉敷ベースに戻ってくると「おいしい夕食が待っているのがうれしかった」と山尾氏。「地域教会の婦人会の方々が協力し、ほぼ毎日作ってくれた。朝昼とコンビニ弁当なので、心のこもった手作り御飯は心身ともに支えられた。ベースにはかげの立役者がいた」。「今でもボランティアを募集しているので、ぜひ行ける方は現場に足を運んでほしい」とも勧めた。

コンサートでは、西日本にエールを込めて、「ナイトdeライト」と会衆が一緒に手を振るシーンも。リーダーの長沢紘宣さんは「4月に、11月18日のライブハウス『Zepp なんば大阪』でのコンサートが決まってから、大阪北部地震、西日本豪雨と立て続けに起こっている。今年は西日本に希望の光が必要だと感じている。後ろ向きでなく前を向いて、一緒に手を取り合って進んでいきたい」と語った。

当日捧げられた支援金は8月29、30日、広島、岡山に届けられた。