東日本大震災から3月11日で8年。岩手県では三陸沿岸道路が一部を除き3月末までに開通、三陸鉄道リアス線が23日に開業。下閉伊郡山田町では公共施設が高台移転し、復興住宅群もほぼ完成とインフラは整備されてきた。そんな中、OMF岩手支援プロジェクトの時期も含めて7年間、山田町の住民の憩いの場として用いられてきた交流ぷらざ「いっぽいっぽ山田」(以下いっぽいっぽ)が3月9日に閉所。同日、閉所式が同所で行われた。【中田 朗】

「ただただ感謝、感謝です!」。利用者も奉仕者・支援者も、開口一番「感謝」を口にした。
午前10時、最後のカフェが開店。いつものように「常連さん」が一人、二人と集まり、テーブルを囲み、コーヒーをゆっくり味わいながら談笑していた。記者は1年前もここを訪れたが、その時と全く変わらない光景がそこにあった。
11時からはバイブルタイム。一般社団法人いっぽいっぽ岩手前代表理事の松元潤氏(JECA・北栄キリスト教会牧師)は「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです」(ヨハネ14・6)を引用。「これをもって閉所するが、神様がここにつなげてくださった一人ひとりがイエス様を受け入れ、神様の祝福を受け取ってくださいますように」と祈りをささげた。
午後の閉所式は現地スタッフリーダーの篠原めぐみ氏(JECA・青森福音キリスト教会)が、これまでの経過を報告。「私たちは、一般社団法人いっぽいっぽ岩手を2014年に立ち上げ、支援活動をしてきた。だがその前に、OMFという宣教団体が震災後すぐ、支援を続けてくださったが、それを引き継ぐように私たち社団法人はやってきた。なので、計7年、この山田、大槌、釜石の地で支援活動を続け、苦しい時も楽しい時も、一緒に時間を過ごさせていただいた。その思い出を感謝と共に覚えたいと思います」。「震災は大きな傷痕を残す出来事だったが、その痛みを通して私たちの出会いがあり、神様の愛を様々な形で見せていただきました」と、神に感謝の祈りをささげた。デオ「共に歩んだ日々」を観賞。また、最初の2年間、山田町で支援活動をしたマイク・マギンティOMF宣教師が「いっぽいっぽのスタッフと一緒に働くことができて感謝。私たちが蒔(ま)いた種を、神様が祝してくださるようにと願っています」と動画で挨拶した。
3・11いわて教会ネットワーク・コーディネーターの近藤愛哉(よしや)氏(保守バプ・盛岡聖書バプテスト教会牧師)は「ここに立って伝えたいと思ったのは『ひたすら感謝』です」と挨拶。「岩手県外から来られた方々を迎え入れ共に歩まれた山田町の皆様に、この建物はなくなるけれども教会としてここに残り続ける決断をしてくださった先生に、感謝したい。日本中、世界中の祈りの中でいっぽいっぽの歩みは続いてきたが、この祈りは続いていく。この祈りに神様が答えてくださるように」と語った。
センド国際宣教団のデビッド・バークマン宣教師は「いっぽいっぽの働きを通し、イエス様にある神様の愛の広さ、長さ、高さ、深さを知るようになった。閉所はドアが閉められた感じがするが、神様は別のドアを開いてくださると信じる。今日は感謝の気持ちを込め、これから始まるすばらしい未来をご一緒したい」と期待した。
その他、釜石市・野田団地町内会長の黒田至氏、山田町社会福祉協議会事務局次長の黒澤寛氏が来賓挨拶。キャサリン・ポーター宣教師(盛岡聖書バプテスト教会)が「新しい年になっても昔からの出会いは忘れない」という思いを込めて「ほたるの光」を、「私にとっていっぽいっぽがホームになった」という意味合いを込めて「埴生の宿(英語名ホーム・スイート・ホーム)」をハープ演奏した。
一般社団法人いっぽいっぽ岩手代表理事の徳永大氏(JECA・門戸聖書教会牧師)は「あなたのみことばは、私の足のともしび 私の道の光です」(詩篇119・105)を引用し、「私たちが灯せる場所は本当に小さいが、一人ひとりの灯火が集まる時に世界を照らすことができる。いっぽいっぽがこの地に灯した灯火は本当に小さなものだが、その灯火を次の人に分けてくだされば大きな炎になる。共に灯火を灯し続けていきましょう」と語りかけた。
最後に、JECA岩手開拓伝道委員会の本多公久氏(JECA・こどもの国キリスト教会牧師)が祈りをささげた。
いっぽいっぽの働きは、JECA岩手開拓伝道委員会が開拓伝道として引き継ぐ。礼拝は毎週日曜日午前10時半〜。山田町中央コミュニティセンターで。ビーズ教室、英会話教室は山田町まちなか交流センターで継続する。また、山田町飯岡仮設団地・町民グランド仮設団地、釜石市野田団地公民館のお茶っこを継続する。
式の間中、目を腫らしていた「常連さん」の女性は、「いっぱい悩んでいる時にいっぽいっぽさんができ、交流がもてた。ただ感謝の言葉しかない。なくなるのはさびしいけれど、礼拝やビーズ教室に参加できる時は参加したい」と語った。