医療は牧会ケアに似ている 医師 陳榮晃さん

 生まれ育った横浜元町・中華街を拠点に医療に従事する医師の陳榮晃(ちん・えいこう)さん。父が台湾出身、母が日本人だ。キリスト教には、父の故郷、台湾で出合った。忙しさの中で教会を離れた時期もあったが、家族を通じて再び、教会に通うようになった。現在は家族ぐるみで教会の奉仕をするのが日常だ。「このように導かれたのは、神の恵み。余暇を自分の楽しみだけに使う生活もありえた。だが教会につながらなければ、道をはずれ、様々なところでぶつかり、問題を起こし、一人で悩む生活を繰り返していただろう。神様が私を救ってくれた。まったく自分で計画したことではなかった。困難はあったが乗り越えられないものではなかった」と話す。陳さんにその歩みと思いを聞いた。【高橋良知】

父の故郷・台湾で信仰をもち、 家族ぐるみで教会奉仕が喜び

 医療に進むきっかけは、兄の死だった。陳さんは、横浜で小中高時代を過ごし、横浜国立大学で工学を学んでいた。「兄は米国で医療を学んでいたが、日本に休暇で戻ったとき、交通事故で亡くなってしまったのです」。陳さんは亡くなった兄の志に触れて、改めて医療の道に進むことにした。父の故郷台湾への関心もあり、台湾の大学の医学部に入り直した。

 入試は英語でできたが、実際に授業が始まってからは中国語に苦労した。成績もふるわず、落胆していた。そのような時に出会ったのが、キャンパス伝道をしていたクリスチャンたちだった。「とにかく祈ってくれたことが本当にうれしかった」と言う。そこから教会に通い、洗礼を受けた。

 卒業後、台湾で働き、結婚し、子どもも生まれた。兄弟たちの説得もあり、日本へ帰国することにした。国家試験を受験したが、生活費をまかなうためにタクシー運転手もしたという。1年後、無事医師免許を取ることができ、鎌倉市などでの病院勤務が始まった。このような日々、医療に追われる中、教会も離れがちだった。「自分の思いだけで生活してた」と振り返る。

 転機は、妻と子どもの洗礼だった。「子どもの学校の先生がクリスチャンだったことがきっかけで、妻と子が先に横浜の華人教会に通うようになった。そこに私もついていくようになりました」

 教会生活に慣れて行くと奉仕をするようになった。ドラムなど音楽ができたので、賛美奉仕をし、やがて執事に選出されるようにもなった。

 華人教会では日本語礼拝があるが、執事、長老が交代でメッセージをしていた。「そんなに聖書を読んでいたわけではなかったので、大変。『情けない、まずい』と思い、JTJ宣教神学校の通信教育で学び始めました」。仕事をしながらの学びは楽ではなかった。2年課程を3年かけて卒業した。

多岐にわたる医療ケアどこまで自分を捧げられるか

 現在勤務するのは3月に開業したグレイスクリニック。月曜から土曜まで勤務がある。土曜は午前までだが、午後に教会の祈祷会があり、子ども向けにドラムやギターを教える教室も開く。日曜日は午前に教会学校、夕方の日本語礼拝で担当があるときは礼拝説教をしている。「妻も子どもたちも楽器が好きで、賛美奉仕をしている。これは家族の負担ではなく、喜びになっている。少しでもこの喜びを他の人に伝えていきたい」と話す。「クリスチャンになってから、人との関係が変わった。怒り、ねたみ、悪い考えではなく、まず人を受け入れて、ゆるし、その人のために祈ってみようということになった。祈るとやはりうまくいく。祈りは大事です」

 同クリニックには、中学校の同級生の医師に誘われた。「新しいクリニックなので、まだまだこれから。中国語での診療ができるということで、県外から診療に来る人もいる。扱う症状も多岐にわたる。救急医療を経験したことや、離島での研修が役に立った。とにかくまずすべて診ていかなくてはらないのです」

 精神的な課題を抱える人もいる。中国から移住してきた人の子どもが、日本の学校に適応できず、不登校になることもある。「日本人でもいじめなどで心が弱ることがある。そのような人にも寄り添っていきたい」と話す。このような医療は「牧会ケアの働きにも似ている」と言う。患者が診療に来ないときも、電話などで声かけをして様子をうかがうこともある。医療は日進月歩だ。積極的に地域の医師会のセミナーに行くなどして、見聞を広げている

 いつも意識するのは、聖書の良きサマリア人の話だ。「このサマリア人は傷ついた人のためにどこまでも助ける。いかに自分を捧げて仕えることができるか。いざ、やろうとしてもできない弱い自分がいる。『そこまでする必要はない』という思いになったとき、いつもこのみことばを意識させられます」

 また最近連続講解説教をしているヨハネの福音書からも学んでいる。「神様が私を救うため、罪のために血を流された。追い詰められ、どん底の中でも救いがあることに感動する。『普通に生活できる』と思う時は平安を与えてくださる、神様が支えているんだ。主に感謝しつつそれを実感できるのはとてもすばらしいことですね」