「沖縄慰霊の日」を前に「沖縄恨之碑追悼会」 元朝鮮人軍夫らに祈り

6月23日は「沖縄慰霊の日」。1945年3月のアメリカ軍慶良間列島上陸、4月の本島上陸によって本格化した地上戦は、沖縄防衛第32軍司令官牛島満中将が自決したこの日をもって組織的には終結したとされるが、その後も兵士以外の一般人をも巻き込んで多くの犠牲者を生み、その数は20万人以上に上った。
その沖縄戦から75年を迎えた今年は、新型コロナウイルスの影響で、県と県議会主催の「沖縄全戦没者追悼式」ほか県内各地の追悼行事や集会が縮小、中止される中、「慰霊の日」に先立つ20日、朝鮮半島から強制動員され沖縄戦時に犠牲になった軍夫らを追悼する「沖縄恨(ハン)之碑追悼会」(主催・NPO法人沖縄恨之碑の会)が、読谷村村瀬名波にある同碑の前で開かれた。

 

沖縄「恨之碑」強制連行犠牲者を追悼、ゴスペルを歌う 平和の可能性は「恨」に

レポート・神谷武宏=普天間バプテスト教会牧師

日本兵に連行される青年と泣き崩れる母親を描いたレリーフ

6月20日、沖縄「慰霊の日」を前に、第14回「恨之碑追悼会」が沖縄県読谷村にて行われ約70人が集まり、不戦の誓いを新たにしました。「恨之碑」は、アジア太平洋戦争時に朝鮮半島から日本軍による強制連行が成され、沖縄で「軍夫」、「慰安婦(性奴隷)」とされ、殺された無辜(むこ)の韓国、朝鮮の方々を追悼し、過去の過ちを記憶し、平和な未来を築くため1999年8月12日韓国・慶尚北道英陽に、2006年5月13日沖縄・読谷村瀬名波に建立されました。ブロンズ像は、読谷村在住で沖縄戦をテーマに活動を続ける彫刻家の金城実さんの作品です。
「韓国・朝鮮語」の「恨(ハン)」とは、日本語の「恨み」だけを意味せず、悲しみ、不満、怒り、後悔などが長い間、しこりとなった感情を意味します。その意味について、日本基督教団・沖縄教区牧師の平良修さんは、そういった感情を乗り越えようという意味も含まれていると解説し「痛みが一つのバネになり、苦しみがあって友達になろうとしているのが恨だ。ここにしか新しい平和の可能性はない」と訴えています。
キリスト者でつくる「普天間基地ゲート前でゴスペルを歌う会」は、辺野古新基地建設阻止運動の座り込みにも参加する中で、恨之碑の会の方々と出会い、お声をかけて頂き2015年6月の追悼会から毎年お招きを受け、追悼の思いを込めて、聖書朗読、祈祷、ゴスペルの賛美を歌わせて頂いています。
今回の追悼会で、同会の安里英子共同代表は「ややもすると沖縄人だけの犠牲が強調されがちだが、沖縄には朝鮮半島だけでなく、中国や台湾からも強制連行された人がいた。その事にも思いを致す必要がある」と挨拶されました。
恨之碑のブロンズ像には、日本兵に連行される青年と、その足元で泣き崩れる母親の姿が彫られていますが、そこにまぎれもなく「恨」の歴史が刻まれていることを、私たちは知る必要があります。日本のアジアにおける植民地政策、日本が繰り広げた戦争の実相に触れて行くことは、日本人の責務と言えるでしょう。