日本から海外に派遣されている宣教師、またこれから海外に遣わされる宣教師を覚える「世界を結ぶ宣教祈祷会(結祈〔ゆいき〕)」(アンテオケ宣教会主催)の第30回が5月16日、オンラインで開催。今年6月にインドネシア在住の邦人宣教のために派遣される高橋央也(ひさや)、恵夫妻が証しをした。
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大阪府箕面市萱野にある日本福音教会(JEC)箕面福音教会の牧師として奉仕してきた高橋夫妻は、6月からジャカルタ日本語キリスト教会(ジャカルタJCF=以下JCF)で宣教を始める。
インドネシア宣教に導かれた経緯について、初めに妻の恵さんが語った。「1985年に受洗し、14歳の頃には宣教師になると思っていた。自分が所属するJECから大田裕作先生ご夫妻が宣教に出て行かれ、私も心ワクワク、胸躍らせていた。だが、結婚後もなかなか扉が開かれなかった。そんな中、『マケドニアの叫びに応えて』(アンテオケ宣教会編)の本が励ましとなった。宣教に赴くための霊的備えとして、昨年、再度熟読した」

高橋央也、恵夫妻

現在、ビザ発給を申請中だ。現地では、日本語教師として週3回、現地の大学生に教える。「使徒の働き13章47節には『わたしはあなたを異邦人の光とし、地の果てにまで救いをもたらす者とする』とある。私たちは宣教の熱い思いを抱いてきたが、大田先生から『ジャカルタの日本語教会に行ってみないか』と言われた時、『えっ、日本語教会?』という感じだった。だが、日本人が海外で多く救われていると聞き、その働きの一部を担わせていただけるのだと頭を切り替えた。日本人だけでなく、日本語教師の働きを通して、ムスリムやヒンドゥーの人たちにも救いをもたらしたい」とビジョンを分かち合った。

央也さんは、こう語った。「インドネシアを最初に意識したのは大学生の時。大田先生がインドネシアの神学校で教えていると聞いたのでジャカルタを訪問。その時、大田先生が説教をされた所がJCFだった。その時は私がJCFの働きをするとは思ってもみなかった」

結婚し、恵さんと宣教のために祈っていた。だが、二人が思いを向ける国は違っていた。200
3年に関西聖書学院を卒業し牧師になったが、央也さんがバーンアウトして5年ほど休んだ時期もあった。あれから20年。「『測り綱は、私の好むところに落ちた』(詩篇16・6、第三版)とあるように、神様はいちばん良い時、良い場所に導いてくださった」と信じる。

「二つ願いがある。一つ目は海外で救われた日本人が日本に戻った時に、日本の教会にフィットするように。二つ目はJCFが成長していく中で、JCFからインドネシア人の人たちに福音が届くように。主の言葉を待っている人たちに御言葉を伝える、そのことのため召されたと信じて前進していきたい」と結んだ。

2023年05月28日号02面掲載記事)