国体無謬の信仰で大東亜戦争は「聖戦」とされた 戦後80年特別連載 【教会の土台を〝共に〟考える】⑤
戦後80年となる。世代交代が進み、戦中、揺さぶられた教会の歴史を考える機会が減っているかもしれない。本連載では、日本キリスト教史を専門とする山口氏が戦中の教会を考える上での重要テーマを解説し、次世代のクリスチャンが応答する。連載第五回目(毎月1回掲載します)
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「神の栄光を現わす」が「皇運を扶翼する」となったのは致命的 戦後80年特別連載 【教会の土台を〝共に〟考える】④
⑤戦争協力 ~皇国のキリスト教~ 山口陽一 東京基督教大学特任教授
1874年の台湾出兵から1945年まで、日本は国際紛争を解決する手段として戦争を行い続けた。日清・日露戦争は、近代の日本がその存亡をかけた戦争と言われたが、その武力による勝利がアジア太平洋戦争の敗北と皇国の滅亡をもたらした。
日清戦争(1894~95年)では、清から日本への領土割譲(遼東半島・台湾・澎湖列島)と賠償金2億両を得た。戦死・戦傷死千417人、病死1万千894人。日露戦争(1904~05年)では樺太の南半分、遼東半島の租借権、東清鉄道の長春〜大連の支線、朝鮮半島の監督権を得た。戦費18億円、賠償金は得られず、戦没者8万8千429人(戦死・戦傷死は5万5千655人、病死2万7千192人)。日本は韓国を強制併合(1910年)した。
満州事変以来の日本の侵略は「三光作戦」と呼ばれ、日中戦争に拡大した戦争は、南京大虐殺、重慶爆撃を繰り広げる。アジア太平洋戦争の日本の戦死者は310万人と言われるが、その実数さえわからない。アジア太平洋地域全域の死者は2千万人(中国1千万人、インドネシア400万人、ベトナム200万人、インド150万人、フィリピン111万人)と言われる。日本人の戦死者が多いのはフィリピン51・8万人、中国4千657万人など中国と太平洋地域であるが、特に南洋諸島での戦死の多くは餓死と病死である。
教会は日本の戦争を是認し積極的な加担もした。1894年8月1日に日清戦争の宣戦の詔勅が出されると、翌日には井深梶之助らの発起により、本多庸一を会長に「清韓事件日本基督教徒同志会」が組織され、義捐(ぎえん)金を呼びかけ、海老名弾正、巌本善治、松村介石らが各地で戦争支持の講演を行った。以後、教会は日本の戦争に協力してゆく。明治学院のインブリーは、二度の戦争を振り返り、「キリスト教に対する中傷を証明することになるのではないかと恐れられていた戦争は逆に助けとなりました」と言う。
キリスト教は戦争に協力することで日本のキリスト教として認知されたのである。とはいえ、教育や福祉などと違い、クリスチャンが軍人として大活躍するということはない。主計少将の日匹信亮は東亜伝道会、陸軍主計大尉の利岡中和はコルネリオ会で、それぞれ伝道に活躍している。日露戦争でスパイとして処刑された正教徒の横川省三は、財産をロシアの日赤に寄付したことで知られ、関根文之助『声なき凱歌 基督者軍人殉国物語』は、38年から41年に戦死した20人のクリスチャン軍人を紹介し愛国心の査証としている。
日本基督教団は大東亜戦争を「聖戦」と呼び、布教指針に「国体ノ本義ニ徹シ大東亜戦争ノ目的完遂」を掲げた。「国体ノ本義」とは、天皇を現人神と仰ぐ「皇国」と天皇の赤子としての臣民の生き方である。御真影を礼拝し、、、、、、
嫌われても、友の暴走を止めたい 応答 金道均(キム・ドギュン=日本同盟基督教団 塩尻聖書教会牧師)
2007年の夏、日本の学生たちと靖国神社を訪ねた際、韓国で学んだことと異なる展示に戸惑っていた。幸いなことに隣には「これは一部の人の考え方で、私たちが同意しているわけではないよ」と声をかけてくれた日本人がいた。その夏以降、彼らは私の大切な友となった。
しかし、彼らと友となれたのは、その優しさだけによるものではなかった。日韓の課題について議論し、時に批判しながらも、同じ心を持つ人間同士であることを確認し、この人たちと友になりたいと願ったからである。
今は日本の教会の一員として、この社会の友となることについて考えている。本当の友なら、好かれる時もあれば、嫌われる時もある。友のことを最優先に考え、嫌われ役を買って出る時にこそ、報われず心打ち砕かれる経験をする。そうして友のためにいのちを捨てて愛することを真に学ぶ。
戦時下の教会は、日本社会の友となることを願い、「日本のキリスト教」となるため努力した。「国民と共に苦しみ犠牲を払った」ことは、友への愛を意識してのことだっただろう。しかし、それを友の愛と呼べないのは、暴走する友を嫌われても止めようとする愛が欠けていたからだ。今、嫌われ者の愛が問われている。
(2025年06月01日号 07面掲載記事)
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