今年召天100年になる明治期のキリスト教指導者本多庸一は、青山学院で日本人初の院長に就任、メソジスト三派の合同と監督就任、福音同盟会会長就任など、国内外のキリスト教界で重責を担った。

 一方、故郷青森・弘前の伝道、教育、政治の分野で大きな影響をもたらした。1875年、彼が教育に携わった東奥義塾で14人の受洗者が出、10月には東北初の教会、弘前公会が立ちあがる。これは76年の熊本洋学校、78年の札幌農学校の集団受洗に先立つものだった。受洗した東奥義塾生は後に日本の近代化に活躍する。

【詳しくは紙面で】
 本多が創設に関わった弘前教会、弘前のキリスト教学校の今とこれからについても聞いた。
12月23,30日クリスマス年末合併号で特集「本多庸一と『弘前バンド』」を掲載します。