「家庭の信仰継承」「教会の信仰継承」をテーマに、3月28日開催された、2015年度第10回OCC宣教セミナー(お茶の水クリスチャンセンター宣教部主催)。講師は、キリスト者学生会(KGK)総主事の大嶋重徳氏と夫人の大嶋裕香氏。自らの信仰を振り返り、KGKを通して多くの学生と接してきた経験、また2児の親として子育ての最中にある体験を通して、「信仰継承」について語った。その講演内容を抄録する。今回は午前に行われた「家庭の信仰継承」の第1回。(4月10日号に一部既報)

重徳氏はまず、「信仰継承」について次のように語った。「KGKで学生たちに接していると、3、4代目のクリスチャンは非常に信仰が安定していると感じる。初代のクリスチャンのような意気込みや、迫力は無いが、周りが皆クリスチャンという環境で育ってきて、神がいないなどと考える隙間もない。神に信頼するということが、当たり前のように身についている。日本の宣教では、『1%を超えるクリスチャンを』と言われることが多いが、確かな信仰継承を通して、まず彼らのような安定した『本物の1%のクリスチャン』を生み出すことが大事で、それこそが日本宣教の課題だと考える。信仰継承には知恵が必要。教会の中で、先輩の信仰者から伝えられるものもあり、自分たちが信じているものに対する誇りを持って、家族とともに子どもたちに関わろうとする教会の思いが必要だ」とした。
そして、マルコの福音書10章13〜16節から「イエスに触っていただこうとして人々は子どもを連れてきた。子どもにイエスと出会って欲しいと考えた大人がいた。しかしその大人たちを弟子たちは叱った。そのことにイエスは憤られた。子どもが神の国の住人であるなら、礼拝の場に子どもがいるのは当然のこと。母も、子どもの私を教会に連れて行ってくれた。決して立派な信仰者ではなかったが、その信仰を必死に伝えてくれた」と語り、「母が伝えてくれた10の信仰」として、次の点を挙げた。おかんとボク表紙
①夫婦が仲良くあろうとすること|「お父さんはすごい人やで」と母は父を大切にし続けた。クリスチャンではなかった父に従う姿勢を示すことで、従うべき父親像を築いてくれた。それが「父と母を敬え」の基盤であり、神に従う前提。私たち夫婦も、喧嘩をしても、自分から悔い改め、その日のうちに終わらせるようにしている。たとえ喧嘩をしても仲直りができる関係を子どもに見せることが大事。「あのような夫婦に自分もなりたい」と、子どもに思わせたら信仰継承の大半は終わっていると考えていい。
②生きた教理を自分の言葉で話すこと|「私は罪人なんや。こんな私のためにイエス様は十字架に架かってくれはったんや」と母は子どもの私に語ってくれた。自分の弱さと、そこに働く神の恵みを、いつも自分の言葉で話してくれた。それが今の私の信仰の根底をなしている、と言ってもいい。多くのクリスチャン家庭の子は、聖書の「話」は知っていても、それが自分の人生にどんな意味があるのかがわかっていない。そこを自分の言葉で伝えなければ、部活の顧問の話の方が、よほどいい話として子どもの心に残ってしまう。
③信仰は苦しいことを避けるためのものではないこと|私の家では、元旦に父と長男の私が近くのお寺参りに行くことが習わしだった。しかし、高校1年で洗礼を受けた時、母は自分でどうするか決めて父に話すように促した。祈りながらも大晦日まで何も言えずにいた私だったが、最後には「教会の元旦礼拝に行きたい」との思いを泣きながら真剣に父に伝え、了解してもらった。母は、信仰はつらいことから逃げるためのものではなく、信仰者には勝負所があるということを伝えたかったのだろう。そういう場面で、親は子どもの背中を押してやらなければならない。
④み言葉を親子で語り合う|母は、聖書を読んで自分が教えられたことを、よく手紙に書いてくれた。高校の受験に失敗した時の手紙では、ローマ7章から、本当に自分の姿がここにあると思わされた。親が普段からみ言葉にどれだけ教えられているか、その信仰の歩みが問われている。私たち夫婦も、み言葉に教えられたことを分かち合う時として、家庭礼拝を大切にしてきた。(つづく)