[CSD]2013年7月21日号《ヘッドライン》


[CSD]2013年7月21日号《ヘッドライン》
 = 1面 ニュース=
◎嫌韓デモの街 真実の歴史伝える——私設図書館「文化センター・アリラン」=1307210101=CSD3359=

 = 2 面 ニュース=
★「人権とは神の神殿守る戦い」——いのちの尊厳から見る自死、原発、いじめ…=1307210201=
◎「東北ヘルプ」NPOに——被災地支援長期化に対応=1307210202=CSD3360=
★日本バプテスト連盟:なお続く「改憲危機」を発信=1307210203=
★エジプト:モルシモ大統領解任——コプト教徒は歓迎=1307210204=
★<落ち穂>変わると信じる=1307210205=

 = 3 面 =
★<フクシマの声を聴く>[9]母たちからの声?——住宅ローン、裁判費用、子どもの進路…不安はつきず 記・中尾祐子=1307210301=
★「もう3年自民が野党だったら…」——教会と国家学会で土居隆一氏語る=1307210302=
★<オピニオン>過去への認罪が日本を取り戻す 記・根田祥一=1307210303=
★<情報クリップ>催し情報・放送伝道ハイライトほか

 = 4・5 面 シリーズ/対談=
★バブルで受けた神の取扱い——泉 堅(万座温泉・日進館 代表取締役)vs.中野雄一郎(伝道者)=1307210401=

 = 6 面 関西だより=
◎障害持つ次男が背中を押してくれた——58歳からの開拓伝道 淀川バイブルチャーチの小塚朝生牧師=1307210601=CSD3361=

★「ことばそのものが祈りです」——安田美穂子4枚目のCD「スノードロップス」発売=1307210602=
★ホテルのチャペルで続けられる祈り——100回を迎えたニューオーサカ朝祷会=1307210603=
★エンパワード21:7月21日に関西総決起大会開催——=1307210604=
★ラジオ「聖書と福音」放送700回——8月31日に中之島公会堂で記念公開録音=1307210605=

 = 7 面 伝道・牧会を考える=
★教会ルポ<ここも神の御国なれば>?[57]単立・アドラムキリスト教会?——「厳しいこと言うけれど見捨てない」=1307210401=
★<憲法が変わるってホント?>[13]差別構造の上に国策推進——守るべきは国民の生命より国益? 記・片岡 輝美=1307210402=

 = 8 面 インサイド・ニュース=
★平和の輪が世界に——ケニア・コイノニア教育センターの10年=1307210801=


◎嫌韓デモの街 真実の歴史伝える−−私設図書館「文化センター・アリラン」=1307210101


 在日韓国・朝鮮人を排斥する「ヘイトスピーチデモ」が標的にする東京・新宿区大久保の通称コリアンタウンの一角に、特定非営利活動法人「文化センター・アリラン」(姜徳相館長)はある。韓国・朝鮮と日本、在日コリアンに関する歴史を伝えるための蔵書5万冊以上を所蔵する関東唯一の私設図書館で、研究活動や市民向けの歴史講座など交流の場としての機能も併せ持つ。その運営を支える会員は現在約400人。副理事長の宋富子さん(72)=在日大韓・川崎教会名誉長老=は、「韓国・朝鮮人差別がなくならないのは日本の学校で日本と韓国・朝鮮の歴史の事実を教えていないから」と憂慮し、アリランの活用を呼びかける広報や、千人から1万人を目標とした会員増強に努める。その背後には、聖書に出合って在日2世としての自らの存在意義を見いだし、福音と真実の歴史を多くの人に知らせたいと情熱を傾けてきた、宋さんの半生がある。

 宋富子さんは1941年、奈良県飛鳥地方に在日2世として生まれた。父は富子さんが2歳のときに病死。母はリヤカーを引いてボロ買いをしながら6人の子どもを育てた。学校では貧しい生活や「チョーセン人」とからかわれ、大好きだった母親を憎むように。朝鮮語を使う母を軽蔑し、朝鮮人はバカにされても仕方ない、生きる値打ちなどないのだという意識に染まっていった。心が萎縮し、与えられた命を呪い小学校3年生の頃から自殺ばかり考えていた。
 中学卒業後は、朝鮮人であることを周りに知られるのを恐れて職を転々とし、20歳までに22回も仕事を変えた。唯一の夢は日本国籍を取得して「立派で上品な日本人」になることだったという。
 20歳で在日同胞の夫と見合い結婚し川崎に転居。在日韓国・朝鮮人が住民の2割を占める地域だったがその多くが日本名を名乗っていた。間もなく一男三女が生まれ、この子たちには自分のような辛い思いをさせたくないと、「学校で『韓国人』『朝鮮人』ってからかわれても絶対いじけちゃだめよ」と言い聞かせた。
 だがそんな地域でも、子どもたちはいじめられた。韓国・朝鮮人を見下すこの国の目と心とは変わっていないことに愕然とした。PTAの集まりでも「あちらの方ってなんか怖い」という母親同士の陰口を耳にし、「この国で生きるには、日本人らしくしなければだめなんだ」と思うようになっていった。人間の値打ちは学歴と職業、お金で決まると思うようになった。無理して月賦で着物を買いPTAの集まりに出た。子どもの前では「いじけちゃだめ」と精いっぱい毅然とした母親の顔、だがPTAでは着物で愛想笑い…空しかった。
 そんな頃、同胞のお母さん仲間が在日大韓・川崎教会が開いている桜本保育園を末っ子のために紹介してくれた。園長の李仁夏牧師からこの保育園の根幹にある聖書の言葉「自分を愛するように隣人を愛する」を聞き衝撃を受けた。翌日から聖書研究会に出て聖書を学び、歴史講座で日韓の歴史も教わった。日本が政治・経済・文化に朝鮮半島から恩恵を受けてきたこと、秀吉の朝鮮征伐から戦時までの真実の歴史を知り、祖国を恥じていた思いや虚栄心から解放された。自分は愛されて創られた神の子なんだと気づき、ありのままの自分を受けいれ愛することで他者をも愛せることを知った。ありのままの自分を大切にするため、子どもたちと共に民族名を名乗った。歴史に無知であるための差別と屈辱から自由にされる経験は、家族のみならず地域や周囲に広がっていった。知ったからには知らせたいと、自分を変革した福音と歴史の事実を伝えることが使命になり、人権闘争に関わっていった。
 自らの在日三代史を一人芝居に託して語った。やがて、在日差別を生んだ日本社会を変えるためには、過去の歴史の事実を知らせなければという思いから歴史博物館をつくる夢を持った。この夢は同じ願いを持つキリスト者・市民たちとの出会いを通して2001年、高麗博物館として結実。宋さんはその初代館長を6年務めた。
 「アリラン」は20年前、在日2世の実業家、朴載日さんが日本と朝鮮半島の真の歴史を知らせたいと私財を投じて埼玉県川口市に開設。朴さんが病に倒れ存亡の危機に瀕していたとき支援を頼まれ、
副理事長に。一人芝居で築いたつてで募金を集め危機を脱した。朴さん死去後の10年6月、高麗博物館と同じビル内の現在地に移転。当時40人ほどの会員は約400人に増えた。
赤字は脱したが、まだ運営は困難。現在5万冊に及ぶ蔵書の目録作成を司書の協力で進めており、これから多大な諸経費が必要とされている。
 宋さんは「1日10円、年3千円で誰もが加入できる『友の会』の会員を増員すれば各地に同様の図書館ができる。日本の36年間の朝鮮植民地支配の加害と被害の歴史を学べないがために平気で『韓国人死ね。殺せ』とヘイトスピーチする若者に歴史の真実を伝え、共に生きる平和な社会をつくりたい。これは文化をつくる市民による革命。教会での証し、講演で教会員とつないでいきたい」と協力を訴えている。

◎「東北ヘルプ」NPOに−−被災地支援長期化に対応=1307210202


 震災直後から超教派で被災地支援ネットワークを広げた東北ヘルプ(仙台キリスト教連合協議会震災支援ネットワーク)は、長期化する支援継続のために7月1日にNPO法人化した。川上直哉氏(東北ヘルプ事務局長)に新しい体制と今後の計画、被災地の状況について話を聞いた。
 10万世帯以上の避難生活者の復興住宅への入居、放射線の高線量域に住むことを余儀なくされている数万人に及ぶ避難者たちの帰郷は、2016年以降になる見込みだ。東北ヘルプは3年間の事業計画書で事業目標として(1)被災者の自立支援モデルを確立・普及させる、(2)被災者及び地域指導者を支える、(3)放射能被害の経年変化を補足し発信する、の3点を掲げる。
 ㈰では、特に岩手県で協力してきた編み物による支援「ハートニットプロジェクト」を拡大する。震災後、仮設住宅で落ち込んでいた女性たちが、編み物を通して元気になった。講師を招き、目標を定めることで腕前も上達し、作品が製品化している。教会のバザーなどで利用して欲しいと願っている。同プロジェクトは宮城県南三陸町でも中澤竜生氏(南三陸町を支えるキリスト者ネットワーク現場主事、東北ヘルプ理事)が進めている。
 ㈪では、区長、行政課長などの地域指導者を傾聴して支え、コミュニティーを助ける。また福島県の被災者のために家族単位での短期保養を進める。これらの面談、傾聴などは牧師などの宗教臨床士(チャプレン)が担当する。
 特に福島県の問題が深刻だ。2011年の老衰者数が平年の1・5倍、甲状腺ガンは通常想定されてきた発生率の40倍から2千400倍となっている。川上氏は「医師は放射能の影響関係を判断できないと 言うが、不安が増大している」と言う。
「不安が問題の本質。放射能の影響が出ているという証拠がない。『完全犯罪』としか言いようがない」。それゆえに「今こそ伝道する時期です。それは教会に呼び込むという意味の伝道ではなく、不安に悩む人々の所へ出て行って福音を伝えること。
不安に向き合える力が必要とされているのです」。
 国内だけで放射能問題を語るのは難しいと感じている。「視野を国際的に持ち、三代先まで見据えていかないと今起きていることをつかみそこねる。狭い視野では様々な対立が起こります」
 10月に韓国・釜山で開催される世界キリスト教協議会(WCC)総会では福島について本会議の議題にはないが、ロビーでブースを出す。「本会議でも語る機会が開かれればと願う。国際会議がメディアとなり、国際会議から国際会議に伝わり、世界で福島を語れるようにしたい」。各国の原発問題に関心をもつキリスト者との連携も模索中だ。「政治的な話ではなく、目の前に困った人がいる。
来年には福島で甲状腺がんが大量に発症すると言われている。杞憂であればいいが、本気で腹をすえていかないといけない」「福島の教会を訪ねてほしい。牧師も精神的に苦しんでいる。礼拝に参加することが励ましになります」と呼びかける。

◎障害持つ次男が背中を押してくれた−−58歳からの開拓伝道 淀川バイブルチャーチの小塚朝生牧師=13


 大阪市都島区の単立・淀川バイブルチャーチは、53歳で献身した小塚朝生牧師が、印刷会社の建物の一角をリフォームして4月から伝道開始した教会だ。一目でキリスト教会とわかる大きな十字架を取り付けた正面玄関。オープンな玄関から、近くの小学校から帰宅する子どもたちが気軽に声をかけていく。多くの人に親しまれる教会にしたいと、イベントも積極的に開いていきたいと考えている。

 100年近くも続く会社の建物の一部を教会に提供してくれたのは印刷会社の廣瀬正博社長。しゃれた教会堂に変身させたのは、建築家の小山隆治さんだ。奥行きが広く、天井の高いスペースを生かした、ゆったりと広い礼拝堂。玄関ホールも明るく広々としている。白い壁や天井に、茶色の木製のドアやモビール風にデザインされた照明が調和して、全体にしゃれた雰囲気を醸し出している。
 小塚さんは元銀行マンだ。学生時代に受洗して以来、郷里の香川県高松市に本店のある銀行に就職後も熱心な教会生活を送っていた。30歳の時献身を祈っていたが、次男の和基さんが重症心身障害児で生まれたことで、新たな道を閉ざされる。
 「私がどれほどの涙を流せば、和基の健康を買い戻せるのでしょうか」。
祈り続け、苦しんだが、やがて和基さんは小塚さん一家にキリストの愛を示してくれる存在になっていく。5年前に小塚さんが東京基督神学校に入学した直後に、和基さんは23歳で亡くなった。まるで50を過ぎてとうとう献身にこぎ着けた両親の背中を押してくれたような召天だった。「安心して神さまのために働けと言ってくれたのでしょう」
 和基さんの追悼集『こころ通わせて』(イーグレープ発行)は、同じ経験をしている人たちに大きな励ましとなった。妻のくみ子さんは教会やビジネスマン伝道のVIPクラブ、大学の福祉科でも講演を依頼された。長男の雄基さんも含めて、一家は和基さんがいなかったらできない経験を積み、神の愛にじかに触れるような恵みを得た。
 40代の頃、小塚さんは仕事で大きな挫折を味わったことがある。中傷による理不尽な降格。そんな経験も「すべて神のご計画。すべて神は益としてくださる」という信仰へのステップだったと確信している。
 「成功すると地位が上がり、それがクリスチャンとして証しになるという価値観を打ち砕かれました」
 順調な時にはあれほど伝道しても救われなかった友人たちが、逆境になると何人も救われていった。おかげでVIP香川を立ち上げることができた。認定心理士と産業カウンセラーの資格も取った。これが牧師となった今、用いられるよう願っている。
 「教会にも離婚や親子関係の破綻など、悩みや傷を持った人たちがたくさんいます。また、教会の中で人間関係が破綻することも多いのでは。教会難民が生まれる原因の一つだと思います。恵みと知識、人格のバランスの良いクリスチャンを育てることが、牧師の大切な仕事だと感じています」
 30年以上一信徒だったこと、転勤などで10教会近く所属してきたことは「実績」だ。これを生かして信徒の気持ちがよくわかる牧師になりたい。どのように神さまは切り開いてくださるか楽しみだと、小塚さん。これから目指すのはチーム牧会だという。共に手を携えて伝道する人たちとの出会いを祈っている。