[CSD]2014年1月26日号《ヘッドライン》

[CSD]2014年1月26日号《ヘッドライン》

 = 1面 =
◎憲法9条にノーベル平和賞を——一人の母の願いに賛同者・推薦人ノミネーチへ
★本郷台サッカースクール エスペランサ——砂埃グラウンドが人工芝に

 = 2 面 ニュース=
★祈り会「きんぱち」:為政者、フィリピン台風災禍、東北のため——ただただ主に祈り求める
★安倍首相の靖国神社参拝にキリスト教界から相次ぐ抗議声明
◎四国クリスチャン県人会——開放感を教会に生かして
★ローザンヌ運動新総裁マオケル・オー氏就任講演会——3月3日に東京・OCCで
★<落ち穂>NHK「軍師 官兵衛」とキリシタン大名

 = 3 面 =
◎<フクシマの声を聴く>取材を終えて(前)——のどかできれいな福島が… 記・中尾祐子
★逝去:平山正實氏(精神科医、北千住旭クリニック院長、聖学院大学・大学院教授。75歳)
★逝去:秋山憲兄氏(元新教出版社社長、96歳)
★逝去:山本 昴氏(やまもと・のぼる、聖学院大学元副学長、88歳)
★逝去:中島省吾氏(なかじま・せいご、フェリス女学院元理事長、同名誉顧問、91歳)
★逝去:吉本美枝氏(国際基督教団代々木教会牧師、101歳)
★<情報クリップ>催し情報・放送伝道ハイライトほか

 = 4・5 面 特集/日本ケズウィック・コンベンション=
★説教が語るケズウィック——バイブル・リーディングの恵み

 = 6 面 関西だより=
★精神障がい者福祉「キリスト教がやらないでどうする」——ミッションからしだね 坂岡隆司さん
★神の愛伝えるステージ届ける——音楽イベント手掛ける久野まさみさん
★映画「ふうけもん」試写会——故梅津正彦さん偲び全国公開期す

 = 7 面 伝道・牧会を考える=
★<見上げる空>[9]信頼できる仲間——こころのゆくえに寄り添う 記・米内宏明
★<迫られる宣教と教会の再構築>[11]——信仰生活マンネリ化の原因 記・石田 学

 = 8 面 ひと =
★鷹巣直美さん(「憲法9条にノーベル平和賞を」提唱した二児の母親)——みんな戦争は嫌いなはず…



◎憲法9条にノーベル平和賞を−−一人の母の願いに賛同者・推薦人ノミネートへ=1401260101

 「戦争しない」平和憲法を70年近くも保持している「日本国民」がノーベル平和賞候補に──。「憲法9条にノーベル平和賞を授与してください」と、ノルウェー・オスロにある平和賞の選考機関「ノルウェー・ノーベル委員会」にメールで呼び掛けてきた主婦の鷹巣直美さん(バプ教会連合・大野キリスト教会員)。その活動に共鳴した人たちにより昨年8月立ち上がった「憲法9条にノーベル平和賞を」実行委員会は、ノーベル平和賞推薦資格者に推薦を依頼したところ、大学教授や平和研究所所長らで構成される1団体と1教授がノミネートを表明。2月1日の推薦締め切りまでにノミネートされることが決まった。昨年からネットや街頭で呼びかけている賛同者の署名も1万人を超えた。

受賞対象は日本国民
 現在、ノーベル委員会に推薦状を書くことを表明している人は、「憲法9条をノーベル平和賞に推す神戸の会」の岩村義雄(神戸国際支縁機構理事長)、大田正紀(梅花女子大学名誉教授)、勝村弘也(神戸松陰女子学院大学教授)、沢知恵(歌手)、白方誠彌(淀川キリスト教病院名誉院長)、新免貢(宮城学院女子大学教授)、久松英二(龍谷大学教授)、樋口進(関西学院大学教授)、本田哲郎(釜ヶ崎反失業者連絡会共同代表)、水垣渉(京都大学名誉教授)、宮本要太郎(関西大学教授)、村田充八(阪南大学教授)の各氏。また、光延一郎氏(上智大学教授)が表明している。
 推薦者の村田氏は「『国の交戦権を認めない』とうたう憲法9条は国際平和にとって最も大切な条文で、国際紛争を解決する重要な手段。9条があったからこそ、日本は日本国憲法公布以降、一度も戦争せずに来られた。9条は大きな歯止めになってきた」、勝村氏は「世界の至るところで国際紛争がある中、戦争をしてこなかったことに重い意味がある。日本は世界に対してメッセージ性をもった憲法をもっている」と、受賞に値すると高く評価する。
 鷹巣さんは、欧州連合(EU)が受賞(12年)できるなら9条にも資格があるのではと、昨年1月からネット上で「9条にノーベル平和賞を」というキャンペーンを開始。集めた署名は随時、ノルウェーのノーベル委員会に送っていた。だが、委員会からは「個人か団体ではなく、憲法のような抽象的なものは対象にならない」との返信が来た。それで、「9条を保持する日本国民」という形で活動したいと、地元の市民団体「9条の会」のメンバーに話したところ賛同を得、実行委員会が立ち上がった。委員の一人、岡田えり子さん(JECA・主都福音キリスト教会員)は「活動する中で、9条が改めてノーベル平和賞に値するかけがえのないものだと確認しています」と語る。
 鷹巣さんと岡田さんは「非戦・非暴力は神様の御心と信じ、戦後、戦争の歯止めとなってきた『憲法9条』を守り、広め、輝かせたいと祈りつつ、地元の9条の会の方々と一緒に活動しています。この取り組みは人権の尊重や民主主義、さらには信教の自由をも支えていくと考えます。推薦資格をお持ちで2月1日までに推薦文を書いてくださる方、共に祈り、賛同・署名してくださる方々はぜひご協力をお願いします」と呼びかける。
 詳細は署名サイトhttp://chn.ge/1bNX7Hb 、フェイスブックhttps://www.facebook.com/nobelpeace9jou で。

◎四国クリスチャン県人会−−開放感を教会に生かして=1401260203

 全国のふるさとのために祈り合うクリスチャン都道府県人会(長谷川与志充代表)は、昨年11月30日に「四国」を愛する集会を東京・千代田区のお茶の水クリスチャン・センターで開いた。第2部では、都内の料理店で四国料理を食した。 
 香川は沖縄に次いで、人口に対する教会数が多い。同じく愛媛6位、高知7位だ。教会未設置市町村数は香川0、愛媛2。瀬戸内海側では各市町村に教会があるものの、徳島10、高知15であり、特に四国内陸に教会がない状況が分かった。四国の「お遍路」など民間信仰の地盤もある。
 講師は、徳島県出身の妹尾光樹さん(日本フルゴスペル教団純福音成田教会担任牧師)。徳島県で中2まで過ごし、父の仕事の関係で、中高を香川県高松市で過ごした。音楽好きの父の影響で光樹さんも幼い頃にはNHKのど自慢に出場した。地元のラジオ放送で音楽DJをしながら、高校演劇に没頭した。
 東京の演劇学校を卒業後、劇団に入団。俳優活動をしながら、年半分はアルバイトだった。当初は「のぼりを立てて、フェリーで四国に帰るのだ」という夢があったが、2、3年で自分の限界を知った。「このまま続けても勝てる世界ではない」
 東京駅を見るたびに、「田舎に帰った方がいいか」と思った。だがたんかを切って役者の世界に来た。朝から酒を飲んでバレエレッスン。演出家からはダメ出し。自分自身何のために生きているのか分からなかった。
 そのころ、後に妻となる、るかさんと出会う。カトリックの家庭に生まれたが、教会からは離れていた。東京の音楽大学に通っていたが、人生の行きづまりを感じていた。知人の紹介を通じて純福音教会でのピアノ演奏に関わる。集会に参加する中で新生した。
 光樹さんもるかさんに誘われ、年末の年越し祈祷会に参加。「イエス様こそ、大事だ」と確信し、新生を体験する。
 現在、牧師となって、「過去のひとつひとつが神さまの準備だった」と実感している。演劇のトレーニングは、様々な超教派集会の賛美リードの奉仕につながった。
 最後に四国の人たちの人柄に触れた。「悪く言えばいい加減だが、器が大きい。四国の開放感をいい方向に、聖書的に用いたい。教会が開放されることで、地域にいい影響を与えるでしょう」
 四国の宣教状況を知り、四国のクリスチャンと教会未設置地域のため、各県知事のため、県人会発足のために祈った。

◎<フクシマの声を聴く>取材を終えて(前)−−のどかできれいな福島が… 記・中尾祐子=1401260

 私は父の転勤で福島市の中通りに中学時代と高校1年まで住んでいた。家のそばには一級河川の阿武隈川が流れ、河川敷では学校や地域で、また友人同士で何かにつけて芋煮会が開かれた。みんなで豚汁を作ったり焼き芋をしたりするのだ。中学を囲むようにある土手のサイクリングコースを部活で走っていると、近くにある福島競馬場の馬が散歩するのとすれ違ったりもした。
 当時はそれが当たり前だと思っていたが、今考えると、なんてのどかな光景だろう。春の川原は青々とした緑の草がしげり、野の花がいっぱいだった。
 しかし今では「そのゆたかさがあだになっている」と伊達市の神愛幼稚園副園長の板垣恵さんは言った。確かにそうだ。山があり川があり、土や木や草花のあるところに東京電力福島第一原発事故によって出た放射性物質は蓄積されていく。4年しか住んでいない私でも残念に思うのだから、地元の人たちの心痛はいかばかりかと思う。
 夏には浅いところで遊ぶこともできた阿武隈川の、川底にたまった土の放射線量は非常に高いという。川だけではない。学校の校庭や外の公園で遊ぶこともためらわれる。もう気にしない、いつまでも我慢できない、慣れて麻痺してきた、いろいろな声が聞こえ、交錯する。その中である人は妥協しつつ、しかし不安を持ちつつ、またある人は割り切ってしまっている。
 小さな孫を日中預かっている福島市内在住のSさんは、子どもの遊び場に頭を悩ませる。家のすぐそばの公園は線量が高い。わざわざ車を出して離れた室内の、または線量の低い遊び場に通う。孫もいまは元気だ、でもいつかこの子の体に何か起きたら…そんな不安がつきまとっている。「新聞やニュースなどの情報を聞くのもいやになってしまった。だって、あまりにも状況が改善しないのだから」とSさんは話した。
 原発事故から一口に3年というけれど、もう3年、でもまだ3年。この3年のうちに福島の人たちは疲弊している。特に放射線量の高い地域の人たちは常に不安を持っているだろう。あれ以来ずっと避難したいと思っている人も大勢いる。でも、家賃やローンの問題、仕事はどうするのか、子どもが学校になじめないのでは、同居や近くに住む両親からの反対など、避難できない理由がある。
 外野は「危ないと思うなら押し切って逃げたらいいじゃない」と言うかもしれないが、それでは片付けられない、行動できないそれぞれの家庭の事情がある。仮に避難できたとしても厳しい現実が待っている。昨年12月24日、復興庁のデータでは県外避難者数は約4万8千人。新しい生活をしている人もいるだろうが、生活は楽ではない。
 福島市から京都へ避難した菅野千景さん一家もそうだ。京都市は福島からの被災者対象に市営住宅を無償提供しているが、それも最長3年間。福島県からの応援要請が昨年12月末で終了したため、新規入居も打ち切られた。他の自治体でも同様だ。今後は自力で家を借り、同時に福島の家のローンも払わねばならない。私たちはどれだけこのことを知っているだろうか。これがフクシマからの避難者たちの現状だ。