2000年6月18日号《ヘッドライン》

2000年6月18日号
《ヘッドライン》
 = 1面 =
◎注目される沖縄からの視点——第4回日本伝道会議迫る
★光州事件から20年——地元教会でも記念礼拝
★首相発言に抗議続く
★「東京大聖書展」会場、新宿・東京オペラシティに変更
★国際飢餓エチオピアへ緊急派遣
★<いやしの時代>[8]韓国民主化運動の先駆け 朴 炯圭さん(上)
★<落穂抄>本になった「21世紀への対話」
 = 2 面 =
★楽観視できない「昭和の日」廃案——法案再提出は必死 記・西川重則
★「降誕2000年が証しとなるように」——東京で一日断食祈祷聖会
★第4回日本ペンサコーラ聖会——真に必要なのは魂の癒し
◎<論説>ジュビリー2000と沖縄サミット 記・油井 義昭
★<あかし文学・ろばの子の歌>[7]真子の復活の朝…眠りから覚めて 作・今村真子・和彦
 = 3 面 =
★教会学校43.6%が減少傾向——第4回日本伝道会議教育委員会が調査報告
★「沖縄宣教の課題」発刊——日本伝道会議への副読本に
★琉球ゴスペルCD「感謝さびら」
 = 4 面 アーティスト特集 =
★墨で光を描く——水墨画家・堀江 春美さん
★神の造られた生き物を撮る——水中写真家・海島 晴由さん
★痴呆症の87%に効果——アートセラピー・芸術造形研究所
★絵を通して神様を賛美できる——画家・渡辺 総一さん
★第24回キリスト教美術展——特別シンポジウムも
 = 5 面 特集・障害者とともに =
★すべての視覚障害者に福音を——視力障害者伝道協会の箱田さん夫妻
★教派超え広く点字良書を提供——静岡改革派キリスト教盲人伝道センター
★視覚障害者クリスチャンの集会——行くまで躊躇、帰りは「行って良かった」
★点字にすると、こんなに量が増える
★ギリシャ語から手話訳聖書——ビデオでテサロニケ人への手紙発売
★森 祐理さんの手話賛美の本製作中
 = 6面 信仰と生活のページ =
★<伝道牧会とリーガル・マインド>[2]教会墓地と牧師 記・櫻井 圀郎
★<企業社会の生き方ガイド>[2]すべての人が経営者 記・梅津 光弘
★<英語ことわざ聖句メモ>[2]APPEARANCES——外見 記・ブルック
★<投稿>=日本の首相はめずらしい遺物?
★<投稿>森首相の発言を憂う=0006180605= ★<投稿>短歌=0006180606= ★<CDの時間>「友よ歌おう again」 歌・山内 修一=0006180607= ★<今月の試写室>「サイダーハウス・ルール」 評・高梨 大=0006180607=  = 7面 建築特集=
◎三谷幸子さん(91歳)囲みミレニアムコンサート——信仰と賛美の理念遺そうと教え子らが三谷記念会設立
★「牧師さんバンド」活動再開——万代英嗣さんらの「がんばるばんど」
★神の愛に聞き入る未信者——若者の心とらえる「ブレッシングナイト」
★三浦綾子さん偲ぶ各種企画
★10分聴くだけのディボーション——CD「チェリオット」
★<召天>作間 一雄氏(ブラジル日系ホーリネス教団引退教師)
 = 8 面 =
★<聖書66巻>エレミヤ書(3)弱さ認め回復の希望を 記・杉本 智俊
★<書評>「一切の秘訣なるキリスト」鈴木 一郎著
★<新刊書紹介>「カルト宗教のトラブル対策」山口 広ほか共著
★<新刊書紹介>「教会 なぜそれほどまでに大切なのか」
★<情報クリップ>催し情報ほか      
 

注目される沖縄からの視点−−第4回日本伝道会議迫る

「21世紀を担う日本の教会の伝道|和解の福音を共に生きる」をテーマとして、第4回日本伝道会議が6月27日から30日、宜野湾市の沖縄コンベンションセンターを主会場に開かれる。
当初1700人を目標にしていた参加登録者は、全国からと沖縄県内を合わせ約2000人と、これまで最大の規模となる見込み。
準備の主軸となった日本福音同盟(JEA)以外の教派からの参加も200人を超えると見られる。
日本伝道会議が沖縄で開催されるのは初めて。
特有の文化、戦争と国策に翻弄されてきた歴史、今なお多くの基地を抱え平和の問題が避け得ない課題であるなどの痛みを持ちつつ、一方で全国一の対人口比教会数・クリスチャン人口をもつ沖縄に、全国から集まる教会代表者らは、そこで何を見、聞き、学び、考え、それをどう受け止めるのか——日本伝道の課題の深化が注目される。
第4回日本伝道会議が沖縄で開催されることは、単なる開催場所以上の意味を持った。
準備の主軸である日本福音同盟(JEA)は、総会などの折りに沖縄の牧師を招き、歴史や文化、現在の問題などについて学びを重ねてきた。
JEA社会委員会は昨年、「信教の自由セミナー」を沖縄で開き、沖縄の現実から日本宣教の課題を見ようと現地からの声に耳を傾け基地や戦跡も視察した。
昨年6月には、那覇市で沖縄地区委員らと合同の実行委員会を開くとともに、宜野湾市で「沖縄宣教フォーラム」を開催し、沖縄側と「本土」側それぞれから伝道会議への期待について発題した。 JEA外の参加者1割超 JEA関係以外でも超教派の宣教講座が沖縄をテーマに取り上げたり、教団の研修にも反映。
数教団が年会や教師研修プログラムを6月の伝道会議前後に沖縄で計画している。
開催地が沖縄であることが参加動員にどう響くかが注目されたが、結果は積極的にこの機会を生かそうとする方向に働いた。
また、いわゆる「福音派」外からも、日本伝道会議は関心を呼んでいる。
沖縄キリスト教協議会系の諸教会が中心となり、福音派、ペンテコステ・カリスマ派、カトリックを含む全教派レベルで98年11月、初の「沖縄宣教・伝道会議」を開催。
沖縄の宣教の課題を見いだし日本全土・世界に発信していこうという趣旨だが、これには日本伝道会議関係者も参加し接点を持った。
昨年夏には、日本基督教団、日本キリスト教会、沖縄バプテスト連盟などに属する沖縄の牧師有志らが、日本伝道会議実行委員会に対して、沖縄を単なる会議開催地にとどめず、沖縄の諸問題に目をとめるよう要望した。
伝道会議プログラムでは、沖縄地区委員会が準備し初日に沖縄の夕べ、現地の平和委員会(渡真利文三委員長)を中心に、2日目午前には沖縄の教職者から戦争体験などを聞く。
同日午後の9つのシンポジウムの一つでも「『沖縄』から見た日本における教会形成と伝道」をテーマに、4つの分科会で論議を深める。
3日目の特別セミナーの中にも「沖縄に聞く」がある。
分科会の時間に並行して企画した「体感!沖縄ツアー」は定員の100人に達し、高い関心を集めている。
シンポジウムで参加者が多いのは「キリストの教会と伝道|教会教育と教会形成」「『日本』と伝道」「21世紀における教会の伝道|若者にとって教会は」など。
分科会では「牧師の役割と信徒の役割」「子どもへの伝道と信仰の継承」などが注目されている。

<論説>ジュビリー2000と沖縄サミット 記・油井 義昭

沖縄で開かれる先進国首脳会議(サミット)に向かって国際NGO(非政府組織)「ジュビリー2000」は、先進国に「最貧国債務帳消し」の前進を求めている。
昨年のケルン・サミットで、途上国が抱える累積債務の帳消しを求めてジュビリー2000は、会場を3500人の「人間の鎖」で囲み、1700万人の署名を独首相に届けた。
ジュビリー2000は世界の最も貧しい国々が先進国から借りて返せなくなっている借金を、21世紀が来るまでにキャンセルしようという世界最大の国際的市民運動である。
ロンドンに拠点を置く国際運動組織で、キリスト教諸団体、労組などで構成し、日本を含む40か国以上に活動の場を広げる。
この運動は1990年、アフリカキリスト教協議会が2000年までに最貧国債務帳消しを求めたことから始まった。
英語のジュビリーとは、旧約聖書レビ記25章にある「ヨベル」の年のことで、聖書では50年ごとの贖罪の日に、土地や家屋を元の所有者に返し、奴隷を解放するように神がイスラエルの民に命じたのである。
このヨベルの年にはすべての債務は帳消しにされた。
社会正義の理想を実現することを目指し、国連は2000年をジュビリーの年と定めた。
世界のプロテスタントとカトリックは2000年をヨベルの年の理想を生かす年にしようとしている。
ヨベルの年の土地の定めには貧しい者、悩める者への配慮があふれている。
貧しい国では国家予算を教育・保険に十分回せず、アフリカなどで一日に1万9000人の子供が亡くなっている。
ウガンダを例に取ると、年間の国民所得の七七%が債務負担となっている。
「一日1ドルしか収入のない国民が、一日100ドル以上稼ぐ国民に支払いを続けている。
ウガンダでは、子供1000人中、162人が五歳前に死亡し、女性の平均寿命は42歳である」(ニリンギエ牧師談・朝日新聞4月8日)。
ジュビリーの運動の結果ケルン・サミットでは重債務貧困国の債務削減が合意された。
重債務貧困国とは一人当たりの国民総生産(GNP)が695ドル以下で、債務が年間輪出額の200%、GNPの80%以上の国とされ、現在はアフリカ諸国を中心に41か国、13億人。
そのうちの7割が女性である。
ケルン・サミットでは重債務貧困国への政府開発援助(ODA)債権のうち700億ドルの削減を含めた「ケルン債務イニシアティブ」が発表された。
その後、米英仏が2か国間の債務を一方的に100%放棄すると宣言した。
独とカナダもそれに続いた。
Drop the Debt Now!(今、借金を帳消しにして!)という運動が日本政府にとって厄介なのは約1兆円(90億ドル)という先進国で最大の援助債権を持つ国が「一番消極的」とNGOなどに受け止められている点であり、ユダヤ・キリスト教的な価値観になじみの薄い国内世論の理解をどのように喚起するかという点である。
そのため日本は先進国へ「放棄に伴う負担の公平」などの条件を強く要求している。
ケルン・サミットの合意に基づいて、日本は四千億円規模のODA債権放棄を打ち出しているが、もう一歩進めて完全な帳消しが求められている。
日本はサミット議長国として、2000年において、最貧国41か国の債務総額2050億ドルを2000年中に帳消しする働きを各国に働きかけ、宣言し、そのため国内立法を制定することが求められている。
ジュビリー2000の運動は、世界の民がキリストによってすべての束縛から解放されるという神の約束のうちにあることを祝うものである。
イエス・キリストは貧しい者をあわれんでおられる。
21世紀に、地球上のすべての人が人間らしく生きる世界にしたい。
「わたしの好む断食は、これではないか。
くびきのなわめをほどき、しいたげられた者たちを自由の身にし、すべてのくびきを砕くことではないか」(イザヤ58:6)

三谷幸子さん(91歳)囲みミレニアムコンサート−−信仰と賛美の理念遺そうと教え子らが三谷記念会設立

5月30日に東京の同盟基督・世田谷中央教会で開かれた三谷クワイヤーミレニアム・コンサート。
今年91歳の三谷幸子さん(元東京基督教短大名誉教授)の指揮に、今はベテランの牧師、牧師夫人、事業主といった40人ほどのOBクワイヤーが20数年前の神学生時代の表情に帰りのびのびと主を賛美した。
三谷さんは「賛美は生活からわき出る神への応答」という。
その信仰と理念を受け継ごうと教え子たちは三谷記念会を設立し、三谷さんの証しと父・種吉氏(1868~1945、伝道者、聖歌作者)の日記を本にまとめ出版の準備をすすめている。
三谷さんは東京基督教大学の前身、日本クリスチャンカレッジ・東京基督教短期大学の創立当初から1982年までの27年間、教会音楽を教え聖歌隊を指導した。
今回のコンサートのクワイヤーはその卒業生たちによる編成。
「まさか自分の年でミレニアムにコンサートを指揮できるとは思っても見なかった」と語る三谷さんだったが、矍鑠(かくしゃく)と指揮する姿に会衆も主を賛美する思いへと導かれていった。
これまでにも何度か卒業生らによるクワイヤーの練習場所にもなってきた世田谷中央教会の安藤能成牧師は、「僕らの神学生時代は全校生徒の80パーセント位がクワイヤーに参加していたのではないか」と言う。
音楽好きだった安藤さんのような人ばかりでなく、音譜を読めないような人でも賛美したい人であれば拒まなかった。
「よく、石垣の石に例えて『大きい石ばかりでなく小さい石も組み合わさってしっかりとした石垣になる。
一つでも足りないと困るから辞めたりしないで』といってみんなを大切にする教え方でした」と振り返る。
三谷さんにとって賛美は「歌っているときだけではなく、すべての生活を通してわき出てくる神様への応答」という。
だから賛美は信仰告白でもある。
今回のコンサートのコーディネーター的な役割を果たした松下景子さん(同盟基督・横浜白山道教会牧師夫人)は、「賛美の指導を通して霊的にも養われ、歌詞をとても大切にして作られた賛美を教会でもっと歌ってもらいたい」と、三谷さんが編曲したクワイヤーブック『主イエスの歩みし道』を3年前に同窓生たちと出版し、記念コンサートの開催に尽力した。
昨年、軽井沢で三谷さんの賛美セミナーが行われたときにも、集まった同窓生たちで三谷さんのために何か残せないだろうかと話し合ったことから三谷記念会が作られた。
会長になった溝口捷支(しょうし)さん(福音キリスト教会連合・甲府キリスト福音教会牧師)は、話し合っていくうちに「三谷先生の父・種吉先生が発行した基督教新聞や写真、日記帳などは隠れたプロテスタント史の貴重な資料になると思うので、散逸しないように保存する」ため、まず種吉氏の日記を整理し、三谷さんの証しとの2部構成で本にまとめることになったという。
この話し合いのときは、身よりのない三谷さんのために葬儀の話まで出た。
三谷さんは大乗りで「私の葬儀には喪服で来ちゃダメ。
明るく賛美葬にしてみんなで歌ってね。
私はひつぎから手を出して指揮してあげるから」と葬儀の式次第まで三谷さん自身が書いた。
今回のコンサートは、種吉氏と三谷さんの本の出版記念会として企画し準備してきたが、本の完成は少し遅れている。
『主イエスの歩みし道』の収録曲を歌った前回と今回のコンサートはCDになる予定。
「三谷先生は私たちのためにすべてをささげてきてくれました。
私たちが先生のためにできることは先生の信仰と賛美が教会で用いられていくこと」と松下さんは願う。
クワイヤーブック、CDなど三谷記念会への問い合わせはTEL045・783・0915(松下)。 神癒の信仰に歩んだ音楽伝道者の父・三谷種吉氏 三谷さんの父・種吉氏は二代目のクリスチャンで神戸の外国人商社に勤めながら音楽を学び、宣教師の通訳としても奉仕した。
召命を受けてからB・F・バックストンの日本伝道隊に加わり、全国を音楽伝道で歩いた。
「見ゆるところによらず」「流し給いし」「神はひとりごを」「ただ信ぜよ」など賛美歌作者としても知られ、文語の歌詞でありながら今も歌い継がれているものは多い。
まき夫人と共に神癒の信仰に歩んだ人でもあり、三谷さんが5歳のとき、10日間も高熱が続き生死をさまよったときも医者には診せようとしなかった。
見かねた親類が医者を呼び診断させたが、「熱は下がっても、後遺症が出るかもしれない」との言葉に、「それならイエス・キリストのなさる癒しのみ業の方が完全だ。
たとえ死ぬことになってもそれは主のみこころによる召しだ」と言って治療させなかった。
三谷さんは癒されたが、種吉氏の日記には「医者に診せことが悔やまれる」と記されているという。
溝口さんは「音楽伝道者として全国を歩いた記録も知ることができ、日本の教会史から抜け落ちているところを埋める貴重で興味深い資料」という。