2000年12月24日号《ヘッドライン》

2000年12月24日号
《ヘッドライン》
 = 1面 =
★降誕節メッセージ:「光よ。あれ」——暗い胎内から生まれたいエス・キリスト 記・神津 喜代子
◎HCJB「アンデスの声」終了——短波からBSデジタルへ
★暴力は報復を呼ぶ——NCCがイスラエル、パレスチナに要望書
★インドネシア:イスラムとキリスト教衝突、死者50人
★「日本一ツリー」観客にクリスマスプレゼント
★<いやしの時代>[26]福音をライフメッセージにして語る 広崎 仁一さん(上)
★<落穂抄>和解は福音の中心  = 2 面 =
◎21世紀日本の教会のあり方を模索——JEA「信教の自由」セミナー
★アッセンブリー:各個教会の主体性重視へ
★音の種は実を結んだ——ブラジル日系キリスト教連盟45周年
★暗い時代に希望伝えたい——大宮駅構内で聖学院が降誕劇
★キリスト者平和ネット:憲法、教育、軍事基地、人種差別などに行動提案
★聖公会中部教区:信徒の死刑執行に抗議  = 3 面 =
★バプ連盟第48回総会:教会間の「相互支援」と次代を担う「人材育成」柱に
★2000年クリスマスに「ジーザス」の名知ってほしい——都内の私鉄などに窓上広告
★クリスマスは伝道のチャンス——スーパーミッション2000大阪
★日本長老教会第9回大会:教職・信徒リーダー育成システム検討委発足
★カンバーランド:日本中会議長に松本雅弘氏
★ノーサイド:震災後も救援活動、ワーカー募集
★<論説>21世紀の行方決める「家族の和解」 記・湊 晶子
★<世界の出来事フラッシュ>米国、英国  = 4・5 面 教育特集=
★教育の明日を考える——現代の若者像と教会
★いじめの発生件数減少中?
★教育の明日を考える——ホームスクーリングで神第一の教育を
★子どもたちと接しながら生き方を学ぶ教育 記・篠田 真宏  = 6面 新会堂建築シリーズ=
★単立・久遠キリスト教会——丸みある天井で「一体感」
出した礼拝堂
★憩いのみぎわ社図書一覧  = 7面 ゴスペル特集=
◎インタビュー:ラニー・ラッカー 「物足りなさ」感じて
★インタビュー:小坂 忠= 利害関係がない場所
★インタビュー:藤波慎也 「ストレートですよね、ゴスペルって」
★インタビュー:アタンダ・アバデヨ 励まし、慰め求め
ゴスペル伝道へ「スピリチュアル・サウンド」設立 田中 武さん  = 8 面 =
★<伝道牧会とリーガルマインド>[8]「献金」と会費・寄付金 記・櫻井圀郎
★<企業社会の生き方ガイド>[8]この世の組織とクリスチャン(上) 記・梅津光弘
★<英語ことわざメモ>[8]「まかぬ種は生えぬ」記・ブルック
★<投稿>日本の報道はパレスチナよりか
★<投稿>中国留学生活から学ぶこと
★<投稿>短歌・俳句 「東京大聖書展」
★<今月の試写室>「流星」 記・高梨 大
★<CDの時間>「Christmas song」上原令子  = 9 面 =
◎短波「アンデスの声」放送終了——南米で日本で福音の励まし
★「真のクリスマス」各地でPR:長野・軽井沢「新名所」イルミネーション今年も点灯
★「真のクリスマス」各地でPR:秋田・2000年アピールのディナーコンサート
★「真のクリスマス」各地でPR:京都・駅ビルシアターで降誕の意義説く
★胡弓で賛美歌——本多定雄氏がチャリティコンサート  = 10 面シリーズ・対談: =
★どん底で主を第一に再出発——寺尾貞亮 vs 岸 義紘 《第2部》
 = 11面 =
◎奈良のアブラハム——7人の子に信仰継承・故 米田善峰さん  = 12・13 面 クリスマス・スペシャル=
★「和」で祝うクリスマス:プロの作る和の味
★「和」で祝うクリスマス:家庭で作るクリスマス料理
★もう一つの降誕物語:<博士>天文台長・矢治健太郎さん
★もう一つの降誕物語:<大工>家具職人・越智 昭さん
★もう一つの降誕物語:<羊飼い>酪農家・中村敏夫さん
★クリスマスデコレーション
★クリスマスおすすめCD:「FIRST NOEL」(レインボーミュージック、2500円)
★クリスマスおすすめCD:「A Christmas Present from LanaMaria&Anders」(ライフ企画、2900円)  = 14・15 面 本と出版のページ=
★クリスマスの子どもと一緒に絵本を開こう
★ハリー・ポッター誕生をめぐる人々
★<書評>「ハドソン・テーラー」 ロジャー・スティーア著(いのちのことば社、2500円)
★<本の紹介>「365日の主」ヴィルヘルム・ブッシュ著(いのちのことば社、1905円)
★<本の紹介>「バイブル プロミス366」CS成長センター編(同センター、1900円)
★<本の紹介>「今日の詩篇 明日の詩篇」羽鳥 明著(いのちのことば社、1905円)
★<書評>「オレンジ色の朝焼け」二神一人著(銀猫出版、1810円)
★<本の紹介>「大作曲家の信仰と音楽」P・カヴァノー著(教文館、2500円)
★<本の紹介>「ニグロ・スピリチュアル」北村崇郎著(みすず書房、3500円)
★<本の紹介>「オランダ大移民」天野ゆり子著(文芸社、1500円)
★<本の紹介>「み言葉の放つ光に生かされ一日一章」加藤常昭著(日本基督教団出版局、3000円)
★<本の紹介>「クリスマス・ブック 光」小塩 節・トシ子編(日本基督教団出版局、1200円)  = 16面 20世紀はどんな時代だったか=
★20世紀とはどんな時代だったのか
★聖書の使信を傷ついた世界に——「アムステルダム2000」世界伝道者会議
★2000年 国内の動き  = 17面 2000年回顧と展望=
★回顧と展望:第4回日本伝道会議「沖縄宣言」の意義
★回顧と展望:災害で試された教会の真価
★回顧と展望:青少年に宣教のチャレンジ
★回顧と展望:キリスト降誕2000年効果
★回顧と展望:雪解けムードの朝鮮半島南北首脳会談と拉致問題の行方
★回顧と展望:なお大きく広がるビジネスマン伝道
★2000年 海外の動き  = 18 面 =
★映画「親分はイエス様」高まる教界の期待——ミッション映画運動が始まる

HCJB「アンデスの声」終了−−短波からBSデジタルへ

一九六四年から三十七年間にわたって国際的な放送伝道団体HCJBの日本語放送「アンデスの声」は、電波宣教師の尾崎一夫、久子氏夫妻によって、南米エクアドルのキトーから放送されてきた。一世の日系人の高齢化や、情報伝達のデジタル化にともない二〇〇〇年の十二月いっぱいで、エクアドルからの放送が終了することになった。十二月一日からは、日本国内ではBSラジオで放送されている。
 「アンデスの声」は、南米に住む日系人の心のささえとなるための宣教放送としてはじめられた。「ふるさとの香りとこころの糧」を届ける放送は多くの日系人に慰めを与えた。
 リスナーは、九九%が教会に通っていない人たち。放送終了の知らせを聞いて、千二百通の手紙が尾崎氏のもとに届いた。そこには、放送続行を要請する声ではなく、「終了することを、とても良く理解する、ねぎらいの言葉」があったと尾崎氏は言う。
 十二月からは、BSデジタル放送にラジオ局として参加した「ビー・エス・コミュニケーションズ(BSC)」の依頼で、日本国内で放送されている。
 「アンデスの声」は、BSC301チャンネルで月曜日から金曜日の九時半から十時、十二時半から十三時、二十時半から二十一時(日本時間)に放送されている。
 十二月三十一日のエクアドルからの最後の生放送番組「さよならアンデスの声」が、B
SC301チャンネルでも同時に放送される。時間は同日の午後八時から九時まで。
 BSデジタル放送を受信するためには、衛星からの電波を受けるパラボラ・アンテナと専門のチューナーが必要。アナログのBS放送を受信するアンテナも利用できるが、チューナーは新規に必要で、テレビやアンテナにつなげることで番組を受信することができる。

21世紀日本の教会のあり方を模索−−JEA「信教の自由」セミナー

日本福音同盟(JEA)社会委員会=油井義昭委員長=主催の第十二回「信教の自由」セミナーが十一月二十七日、二十八日、東京・豊島区駒込の日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団中央聖書神学校チャペルで開かれた。六月の第四回日本伝道会議で採択された沖縄宣言「二十一世紀の日本の伝道を担う教会の伝道・和解の福音を共に生きる」の中で、「私たち教会は『天皇制』に根ざした日本という国のあり方を根本から問い直すことが、二十一世紀の日本の教会に与えられた課題であると自覚」するとの認識に立ったことを受け、今回のセミナーでは「教会と国家・二十一世紀の日本の教会のあり方を求めて」を主題に、丸山忠孝氏(元東京基督教大学学長、歴史神学)が講演したほか、パネルディスカッションや協議を通して日本の教会の課題に迫った。  昨年は国会で「新ガイドライン関連法」「国旗国歌法」「盗聴法」が成立し、今年は森首相の「天皇を中心とした神の国」発言に見られる新しい国家主義の台頭が顕著だ。「新靖国法案」再提出の可能性もある中で、JEA社会委では、信教の自由が脅かされ始めており、教会と国家のかかわりをどのように考えるべきかが改めて問われていると危機感を抱いている。
 そうした問題意識からパネルディスカッションでは「日本国憲法における『平和主義』と日本の教会の課題」を主題に、上中栄(ホーリネス・鵠沼キリスト教会牧師)、山守博昭(福音キリスト教会連合・柿生キリスト教会牧師)、遠藤潔(日本長老・希望教会牧師)の三氏が発題した。  教会的視点、福音
 理解が問われる  上中氏は、日本の教会の課題として、隣人愛などの「キリスト教的な」視点より、キリストのからだとしての「教会的な」視点を明確にもつべきだ、と問題提起。伝道と社会的責任を分けて考える発想に疑問を呈し、教会の福音理解が問われていることを強調した。また日本国憲法を単に神からの賜物としての平和憲法とするのではなく、神のことばによって憲法を相対化する必要に言及。教会が天皇制とどう対峙するのか、その中でイエスは主であるという告白をどのようにするかなどが課題だとした。  聖書に立つ平和
 を神学的課題に  山守氏は、憲法の平和主義が空洞化される現状の中で、日本の教会に必要なものとして?平和主義に関して神学的な課 閧ニして取り組み、みことばに立って平和をつくり出す?社会に対して神の支配の現実を知っているものとしてみことばに基づいて語り、地の塩・世の光の使命を果たす?主に対する子どものような純粋な信仰?社会に対する洞察による危機意識、を挙げた。日本の教会の課題として「社会問題を宣教と別にとらえるのでなく、宣教の最終目標がキリストと一つとなることであることに基づいた教会像・信徒像を日本において問うこと」などを提起した。  「戦争に関する
 公式見解」を解説  遠藤氏は、日本長老教会が九七年十一月に第六回定期大会で議決した「日本長老教会『戦争に関する公式見解』」が、ウェストミンスター信仰告白と日本国憲法の平和主義を調和するととらえた視点を解説。同信仰告白が「正しく、やむを得ない場合には、合法的に戦争をすることもあり得る」としたことを、「見解」は、戦争に対する非常に抑制的で消極的な立場であるととらえ、その基本理念が敬虔と正義を促進する秩序と平和の維持にあることを確認したと説明した。その上で日本の教会の課題として?上への働きかけ。祈る?内への働きかけ。過去の歴史を語り継ぐ?外への働きかけ。声明や見解を出す?憲法の平和主義の原則に立った日本の非軍事的国際貢献の必要性をも訴え、民間レベルや宗教団体との協力などを通して平和的国際貢献への参加を積極的に推進していきたい、と結んだ。
 広田具之氏(日本同盟基督教団総主事)が靖国神社国営化反対福音主義キリスト者の集いでの情報収集と分析に基づき「現在の靖国状況」について報告。様々な政治状況から「祭祀法人靖国神社」実現が可能な環境が進んでいる現状に警鐘を鳴らし「問題はすこぶる天皇制問題。象徴天皇制は旧憲法下の天皇制と何も変わっていない」と天皇神格化の実態に危機感を示した。 象徴天皇制にも偶像礼拝の危険
丸山氏が講演  丸山忠孝氏・写真・は講演で「教会と国家」について、「教会の主体性を前提とし重視しなければ成り立たない」と規定。教会が主体的に自らと国家の関係を問うことによって、国家の中で自らの置かれた座標が見えてくるという意味で、教会の自己理解にとって重要だと指摘。これが聖書に根拠を置き、教会史の中で多様に展開した歴史的概念であることを例証した。その上で、日本における「教会と国家」を築き上げていく使命があるとして、そのためには、教会が明確な責任意識をもつことと成熟度が問われると述べた。
 三十年余り前の靖 走@案に日本の教会は敏感に反応し、多くのキリスト者が反対したに
もかかわらず、靖国的現実が着々と進む中で当初のような支援が得られなくなった理由に
ついて、「靖国問題の背後に天皇制があることが分かり、教会の逡巡がある」と分析し、ここにも「教会と国家」をどうとらえるかがかかわっていることを指摘した。
 国家が時代の流れにのって危険な方向に進もうとしている中で、二十一世紀の日本の教会はさらに厳しい状況に立たされると予測し、「このままでは時代に流され、その結果として悲観主義、逃避主義に陥る危険がある」と警告。日本の文化の深層にある神道的世界観を「すべてを神聖化するブラックホールのようなもの」として、そのブラックホールに向かって「どのように福音を語るのか。日本人はどのようにして福音を理解するのか」と問いかけた。
 最大の危険は霊的な権限を国家自らがとって神格化することにあると指摘し、その点において「過去の天皇制も現在の象徴天皇制も同じ危険をもっている。日本の教会が、これをバアルにひざをかがめる偶像礼拝ととらえることができるかどうかがカギだ」と問題を提起した。

インタビュー:ラニー・ラッカー 「物足りなさ」感じて

「ゴスペルは、天国へ続くハイウェイ」。ゴスペルを教えるワークショップを一九九六年から続けているラニー・ラッカーさん(ラッカー・ゴスペル・ミニストリー主宰)はいう。
 今のゴスペルブームに対して、「精神的な満たしを求めている人がとても多い。そして一般の人が教会に何かがあるのに気づき始めている。流行っている音楽だけでは『物足りなくて』ワークショップにやってくる。その人たちに『ここに来たのは偶然じゃない。神様が招いて下さっているんだ』と話します」
 年々ワーク・ショップに参加する人たちは増え続け、開催地は東京だけではなく、北海道や福岡、大阪、名古屋など、日本各地に広がっている。来年には秋田でも開く予定だ。
ワークショップは、数日間にわたってハイクオリティな音楽技術とともに、英語で歌われているゴスペルソングの歌詞を理解するために聖書を学び、最終日にはコンサートを開く。
 「最近はクリスチャンの参加者も多いです」というラニーさん。この「ゴスペルブーム」が、かえってクリスチャンが「賛美する喜びを再確認する時」ともなっているという。
 一般のメディアにも、最近取材される機会が多いラニーさんは「私たちにとっては、たねまきのチャンス、伝道のチャンスが広がったということ」と喜んでいる。
 日本の「ブームになっても、すぐに冷めてしまう」という傾向をふまえ、「このブームは神様のブーム。スタイルだけではなく、すたれることのない、神様のメッセージを伝えたい」と語った。

短波「アンデスの声」放送終了−−南米で日本で福音の励まし

南米エクアドル・キトーからの短波放送が終了する「アンデスの声」は南米の日系人に慰めを与えただけではなく、日本に住む人たちにも多くの励ましを与え続けた。近年、九六年から三年間にわたり、NHK海外番組コンクールで奨励賞、最優秀作品賞、審査員特別賞を受賞している。
 九八年の受賞作品「マッチ箱いっぱいの幸せ」では、キトーで餅(もち)が食べられるようになった由来は「アンデスの声」であることを紹介している。
 餅米がないエクアドルの「お雑煮とは程遠い正月」の様子を「アンデスの声」を通じて知った、南米の大石春冶さんが、マッチ箱に餅米種をいれて送ってきた。それを、サントドミンゴ農園主の田辺正明さん夫妻が何年もかけて育て、キトーの日本人学校では毎年餅つき大会が行われるようになったという。
 「アンデスの声」は一九六五年からは日本向けの放送も始まっていた。
 日本では七〇年代には、当時の中学生を中心にBCL(ブロード・キャスティング・リスナー)ブームが起こり、多くの短波ファンが地球の裏側から流れてくる「アンデスの声」を聴いていた。
 一九七七年の尾崎一夫宣教師夫妻の一時帰国の際には、ファンの集会に千人を超える中学生が集まったほどだ。そして、尾崎氏は折に触れ、福音を語ってきた。
 一人の受信中学生が、自殺しようとしていた一経営者に尾崎宣教師のメッセージを紹介して、自殺を思いとどまらせたとのエピソードもある。
 「アンデスの声」は短波放送では聞けなくなるが、BSデジタル放送で日本国内に放送され、リスナーはさらに多くなることが見込まれている。

奈良のアブラハム−−7人の子に信仰継承・故 米田善峰さん

ビジネスマン伝道興隆のなか二十一世紀は、さらに多くの新たな人々が、イエス様を救い主として受け入れるだろう。それに続いて、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」(使徒一六・31)とあるように、その家族に信仰を伝え、子らに信仰を継承することが次のチャレンジとなるのではないか。日本の伝道は、その点が最弱点だった。もしそれがうまく行っていれば、クリスチャン人口はとっくに一%の壁を破っていただろうとも…。奈良県の郡部で事業を営みながら、七人の子らにしっかり信仰を継承し、教会の設立に貢献。また広く地域社会にインパクトを与える生き方をした、明治生まれの「奈良のアブラハム」のような人物がいた。故・米田善峰さん(九〇年に八十三歳で逝去)その人である。今やその曾孫の代まで五十四人が、クリスチャン一族を形成している。第三子(長男)であり、会社社長の立場でビジネスマン伝道に取り組む米田昭三郎さん(日基教団・大和キリスト教会員)=奈良市学園朝日町二ノ二=の証言を中心
に、善峰さんの信仰的子育てや、地域への影響力の秘訣を探る。  クリスチャン一族初代の米田善峰さんが生前、八七年に、大阪ルーテル・アワー「ラジオ福音手帖」に出演し、自らの入信を語った証しを再録してみよう。
     ◇
 ――おいくつでいらっしゃいますか?
 「明治四十(一九〇七)年生まれで、八十歳です」
 ――お生まれは?
 「ええ、奈良県の今の御所市。ちょうど葛城山のふもとなんです。当時は村でしたから
…」  ●仏教の家に生まれ
 善峰さんは、その名が四国八十八寺巡りの札所から付けられたように、熱心な仏教の家に生まれた。青雲の志を抱き上京するが夢破れ、商売で身を立てようと染め物屋で働く。二十二歳の時、大阪でクリーニング店を開き結婚した。
 「そのころのこと、縁日の夜店の横で天幕伝道をやっておったので、何気なく入った。その時、牧師が手にしている本に目が行って、三円五十銭の一番高い聖書をもとめました」
 「雑誌でも買うようなつもりでした。信仰なんて大それた考えはなかった。ところがその聖書が、袋に入れて自転車のハンドルにかけてたのが、ちょっとの隙に盗まれちまいましてね。まあ、キリスト教によろめいたがために仏罰が当たったんだと。反発心でその晩も集会に参った次第です」  ●亀水牧師の 祈りの確信
 実はこの牧師、若いころ盗賊だったが監獄でイエス様を信じた亀水松太郎という人物であった。牢中で入信後、「同信の看守が与えられ、集会を導いてもらえるよう」と祈っていたが、あきらめかけたころ、何と監獄伝道に重荷を抱き、牧師を辞して看守になった人が転任してきた。そんな祈りの体験と確信を持つ人物だったのである。
 「『求むる者は得、門を叩く者は開かるなり』と説教しておられた。私は大声で、『先生。私はサラ(新品)の聖書を盗まれました』と叫びましたので注視の的になりました。ところが先生はてくてく講壇を降りて私の前にやって来られ、お祈りして下さった」
  亀水牧師は、「この兄弟は、信仰に入ろうと聖書を買った矢先に盗まれました。どうぞ、この兄弟に聖書を返して下さい。さもなくば、これを盗んだ者が、み救いにあずかります
ように」と祈った。「何とうまいこと言うもんや」とあきれて帰る途上、ふと立ち寄った古本屋に、何とその聖書が並んでいたのだ。
 「冷水をかけられたような気持ちになり、すぐ、先生のところに謝りに行きました。先生が導きをして下さって、今日に至る、キリストに捕らえられた基となりました」
 その聖書はいまだ、米田家の恩寵の原点を示す家宝として、昭三郎さん宅の床の間に飾られている。
    ◇
 その後大阪で事業も成功し、二つの工場、家三軒を持ったが、第二次大戦で応召。インドネシアで「ヤシ油開発」に従事した。その間、残された家族は、奈良県の、教会もない村に疎開(空襲に備え引っ越すこと)。戦後、その吉野の地で、開拓伝道を開始したマックス・ジェームズ宣教師と出会い、一家は共に、教会建立を担うこととなった。それは、大
阪に戻ることに比べ、事業の上でも子供の教育面でも不利な選択に見えたが、十年、二十年たつうち事業も祝福され、子らにも信仰の遺産が引き継がれて行った。 <今や曾孫まで54人のクリスチャン一族に><ビジネスマンとしてどう家族伝道したか>  米田昭三郎さんは、父、善峰さんの生きざまと教えを胸に刻み、大阪CBMC(日本基督実業人会)の前会長を務めるなど長年、ビジネスマン伝道の使命に静かに燃えるとともに、子育ての問題で発言している。
 そんな昭三郎さんの目を通して、「父の信仰」を語ってもらった。  ■信仰より靴でも買うてくれ
 子としての立場から見て、祈る姿が印象に残っているという。「祈りの人でした。入信のきっかけが祈りでしたからねェ。『何かあったら祈りで解決』という式やった。ぼくらの就職であれ結婚であれね」
 家庭礼拝は子供賛美歌を歌い、聖書と聖書日課を読み、父親が一言語って皆で祈るという具合だった。
 両親の熱心な信仰に反発を感じることもあったという。「終戦後、食うや食わずの中でいろんな働きに献金する。稼ぎ時の日曜日に休み、土曜も家族みんなで路傍伝道ですよ。こんな教会のことばっかりするんやったら、ぼくらに新品の靴でも買うてくれたらいいのにと思うわけですわ」
 吉野の地で「呉服染め直し」の商売が当たり、繁盛するに至るまで、経済的な苦境が何年か続いた。「私も六年生のころ、弟や妹と一緒に行商したものです」
 大阪に戻らなかったのも信仰が理由だった。  ■礼拝の「お持ち帰り」
 戦後、吉野の地で開拓伝道を始めたマックス・ジェームズ宣教師とともに米田家は伝道するようになっていた。「なぜかと言うと、大阪まで全員で礼拝に行けない。お金がないですからね。交代で二人とか三人ずつ礼拝へ行き、帰って来た者がどんな話やった、と教え、礼拝プログラムに沿ってもう一度家族で礼拝を守るという具合でした」  ■断食して祈った宣教師
 「そこへジェームズ先生が来られて、こちらの伝道に家族が熱心になった」
 ところが、好条件で大阪に戻れる話が出、善峰さんはその決断をした。それをしたとしても決して悪いことではない。告げられた青年宣教師は、二日間断食して祈った結果、「汝らはこの山に居ること日すでに久し。汝ら身を巡らして途に進み…」という申命記の聖句を示した。
 善峰さんは、証しを次のように語り残している。「その時、聖霊が私の注意を喚起されたか、身の引き締まる思いで即座に、『それじゃこちらでやります』と、この伝道続けますと言い切ってしまいました」
 「私が吉野に踏みとどまろうと決意したとき宣教師は言いました。『米田さん。あなたはもうけた十分の一を献げてごらんなさい』」
 「献げるお金をどこに入れておこうか考えた時、『かめの粉は尽きず』とのみことばが思い出され、手元にあった瓶に十分の一を入れたところが大変余りました。それで吉野の教会だけでない、ギデオン協会や、いろんなところに献金することができました」
 子らがそんな信仰を自らの信仰とするに至ったのは、「やっぱり神様が生きておられ、ともに居て下さることが分かったということに尽きるんやないですか」と昭三郎さん。
 ■母の切々たる祈り
 「母も、ぼくらが熱を出した時なんか、医者もいない田舎で、熱いタオルで胸を湿布して祈ってくれた。『神様、あなたが与えられたいのちを大切にさせて下さい。私の不注意でこんなことになりまして…』と祈ってました。疎開中ぼくらを食べさせるため、夜なべしながら祈ってましたね。だんだん声が大きくなり、ぼくらが寝ている隣の部屋まで聞こえたもんです」
 父親は家庭礼拝など折りに触れて、子供の成長に応じ、さまざまな信仰の教訓を話してくれたという。
 「『十分の一を携えて来て、私(神)が祝福するかどうか試してみよ』というマラキ書のみことばのこともそうです。『十戒にあるように神様を試したらいかんけど、聖書で唯一、神様が私を試してみよとチャレンジしておられるところや』と言ってね」  ■信仰の教訓語った父
 「戦争で、輸送船が攻撃を受けたとき、一人船室でポケット聖書を開き、祈って通読するうち何の不安もなくなった。魚雷を受けて船が棒立ちになり、甲板に逃げた多くの人たちが海に投げ出されたりけがをしたなか、かすり傷も受けなかった。自分の祈りがこの船を助けたのだとさえ思った、とよく話してくれたものです」
 「祈りに対する神様のおこたえは『イエス』だけやのうて、『ノー』や『待て』もある、ということも教えてくれました」  ■一族の結束固める祈り
 子らが成長し、就職、独立、結婚して家を離れて行っても信仰を失わないように。また一族がばらばらにならないようにと、毎週木曜日の朝六時、各家庭が祈りを合わせる習慣を決め、それが現在も続く。
 実家でその祈り会を母体にして、地域の朝祷会が開かれていた時期もあった。「今は、家族だけで祈るかたちに返っていますが、ほかの教会や日本、そして世界のためにも祈っています。今年は特に、奈良の降誕二〇〇〇年大会のため祈りましたね」
 一族は、一月一日には必ず集まって、そのきずなを確かめ合う。  ■一年に一度集まって
 最初に賛美歌を歌い、祈り、だれかが感話をする礼拝。二〇〇〇年の正月は、昭三郎さんの甥で、東京神学大学に在学中の芳生さんがメッセージを語った。
 それから、楽しい団らんの一日。語り合ったり歌ったり、子供は子供同士で遊んだり――。
 そんな時に必ず懐かしく歌われる歌がある。善峰おじいちゃんが作った「明日は日曜日」という歌だ。
 「『あすは日曜日ー、ぼくはクリスチャンー、雨も仕事もかまわない、心嬉しい教会へ。ぼくは祈りと、ぼくは賛美で、胸をたたけばたまらない…』。こういう歌でしてね。今でも私は、仕事中とかふとした時に、この歌を口ずさんでいるんですよ」
<米田家の子育て論><祈って教会につなぐ/幼いとき信仰打ち込めば一時離れても帰って来る>  昭三郎さんは、昨今の日本社会を取り巻く風潮のなか、クリスチャンホームの子育てについて思うところを話してくれた。
     ◇
 「とにかくね、全知全能の神を信じて子供に信仰が継承されるように祈らんといかん。それこそ、母の胎にある時からね。私もそうやって両親や牧師先生に祈って頂いて来ました」
 「それでね、教会へ教会へと連れていくことですわ。母子室みたいに隔離するのはどうかなァ。小さい時から礼拝に出ていると、静かに絵を描いたりしてますよ。もちろん子供は騒いだりすることもあるわけで、教会の理解がないとできないことでしょうが」
 「子供が大きくなると、一時は離れもする。その時は、親はうるさく言わん方がええみたいですな。教会の方が接して下さるんですよ。家の者が言うてあかんかっても、教会の先輩が、『こんど教会学校を手伝うてくれへんか』なんて言うと、案外聞いたりする」
 「小さい時に信仰が打ち込まれ、教会へ行っていると、自分で何が大事か分かるんですな。そやから小さい時は大事。何があっても教会へ行く、という気構えでないと。土曜の夜は遊ばしたりしたらあきまへん」
 「大きくなって進路を決めるとき、世間的な価値観でなく祈って決めることです。私も教会学校の奉仕やらで志望校に入れず、浪人する余裕もなかった。せやけど、『英語で仕事をしたい』という夢が実現できる会社に就職し、中小企業だからこそできることがいっぱいあった。社長になるとは思わなかったけど、祈って仕事ができるというのは大きな特権です」
 「父親の役割は大事。率先して信仰の模範にならなければね。自分がまず信仰の姿勢、生き方を問われる。「親の後ろ姿を見て」という通りです」