[CSD]2013年8月18日号《ヘッドライン》

[CSD]2013年8月18日号《ヘッドライン》

 = 1面 ニュース=
◎被爆68年 平和を祈り続けて——胎内被曝の金信さん 耳に残る両親の遺言

 = 2 面 ニュース=
★「勝つ日本」から「共に生きる日本へ」——英連邦戦没者捕虜追悼礼拝で関田寛雄氏語る
◎ミクタム35周年 東京・大阪でセレブレーション——「今度は皆さんの番」
★キリストの香り届けて——ユーオーディア賛美の夕べ第20回記念
★NCC靖国委員会:ナチス発言 麻生副総理の罷免を首相に要求
★NCC靖国委員会:閣僚の靖国神社参拝は習俗化の伏線
★<落ち穂>タンゴ喫茶から福音喫茶メリー50周年

 = 3 面 =
★<フクシマの声を聴く>[14]母たちからの声?——子どもたちの小さな日常が奪われて 記・中尾祐子
★ナザレン教界世界総会:東日本大震災を報告「まさかの時の友こそ真の友」——石田学理事長が聖会で謝辞
★<オピニオン>参議院選後の最大の国際問題 記・渡部敬直
★<情報クリップ>催し情報・放送伝道ハイライトほか

 = 4・5 面 神学/社会=
◎波紋呼ぶ 米連邦最高裁の同性婚容認判決——福音派は反発より「では、どう対応?」
★日本宣教学会:二代目会長・理事長に小田武彦氏(日本カトリック教会大阪教区司祭)
★「神の忍耐の時」の中で、苦難の救い主に仕える——リチャード・マウ氏講演抄録?

 = 6 面 全面広告=
☆信徒伝道者の養成をめざす 超教派 日本福音学校
新宿校(校長:東海林 昭雄)Tel.047-439-9932
千葉校(校長:森 稔)Tel.043-252-1490
大阪校(校長:平山 武秀)Tel.06-6762-7701
日本クリスチャン音楽大学(学長:カン チュンドン)URL http://www.japan-cmc.jp

 = 7 面 伝道・牧会を考える=
★教会ルポ<ここも神の御国なれば>?[71]単立・藤野福音キリスト教会?——
★<憲法が変わるってホント?>[17]沖縄は憲法の番外地——憧れが「復帰」運動の動力になったが 記・饒平名長秀[3]

 = 8 面 ひと・証し=
★栗原明子さん(くりはら・めいこ、『ヒロシマからの祈り』著者)——フクシマの被災者に思い寄せ



◎被爆68年 平和を祈り続けて−−胎内被曝の金信さん 耳に残る両親の遺言=1308180101

 8月6日、広島は原爆の日を迎えた。米国による原爆投下から68年、平和記念公園(広島市中区)では平和祈念式典が行われ、松井一美広島市長が平和宣言を読み上げ、安倍晋三首相が「核兵器廃絶と恒久平和の実現」への努力を誓ったその日、キリスト者たちは今年も原爆死没者たちに思いをはせ、平和の祈りを神にささげた。

 6日夜8時10分から、平和公園内原爆供養塔前では「2013キリスト者平和の集い」(広島市キリスト教会連盟主催)が行われ、約210人の参加者が集った。司会に立った日基教団・広島東部教会牧師の月下美孝氏は「原爆が落とされたことが昔話とされてもおかしくないほどの年月がたったが、いまだに被爆者は肉体的、精神的に苦しんでいる。8月6日の広島の出来事を決して過去のこととすることなく、語り続けていかなくてはならない。この集会は、被爆者の方の体験を聞くことをとおして、原爆で亡くなられた方々を覚え、今も被爆で苦しんでいる方々を覚えてきた。私たち一人ひとりが平和をつくり出す者としての歩みを始める時としたい」と述べた。
 この日、被爆体験を話したのは67歳の金信美幸さん。妊娠8か月の母の胎内で被爆した。?胎内被爆?である。金信さんは「私には生まれた時の写真がありません」と語り出した。母から聞いた話や姉の作文から当時の悲惨な状況や原爆投下時に外で遊んでいた4歳の兄が「母ちゃん、お日さまが落ちてきた」と言って家に飛び込んできたことなどを話した後、原爆投下後の9月23日に自分が生まれる前後とその後のことを次のように話した。
 |9月に岩国の食糧倉庫に引っ越し。台所もなく道路にかまどを作って煮炊きをした。17日岩国に枕崎台風上陸。暴風と山津波、避難命令が出て、家族は膝の上まで水に浸かりながら命からがら避難した。出産間近の母、家族の状況を思うと、私は生まれなかったかもしれない。よく無事にこの世に生を受けたと感謝でいっぱいです。
 栄養不足のためか産声も上げずに生まれた。もちろんカメラなどない。父は美という字が好きで、子ども5人全員の名前にその字を使ったが、何もない状況で生まれてきた私には「心の美しい幸せな子どもになってほしい」と「美幸」と名付けた。大きなネズミが日中でもうろちょろしている食糧倉庫なので、私が食べられないようにと、母は首の座っていない時から一日中私をおんぶしていた。お乳が出ないので、配給の米のとぎ汁を煮沸して冷まして飲ませてくれた。
 東京生まれの母は、関東大震災、広島の原爆、枕崎台風と3度も怖い思いをしたといい「原爆はいけん。つこうてはいけん」と何度も話していた。多くを語らなかった父も「もう二度と原爆を落としてはいけん」と事あるごとに言っていた。父が亡くなる前そっと私に言った「赤ちゃんの時の写真がなくてごめんね」という言葉は今でも耳に残っている。
 高1の時に授業中に放射線影響研究所から呼び出しを受け、データ収集のため、血液検査はもちろん散々調べられて、泣きながら学校に帰ってきたこともあった。体の弱かった私は子どものころからずっと何人かのドクターにお世話になっているが、命のことは神様に、体のことはドクターに任せて、これからも平和を願いながら生きていきたい。|
 そして浜田桂子作の詩「へいわってどんなこと?」を朗読して自らの平和への思いをその詩に託した。集会は最後に「平和の祈り」(聖フランチェスコ)を唱和して閉じた。
     ◇
 同日午後2時から、中区の日基教団・広島流川教会では「8・6キリスト者平和の祈り 音楽礼拝・平和の鐘点鐘」(日本キリスト教団広島西分区、カトリック広島司教区、広島市キリスト教会連盟主催)が行われた。「平和の祈り」は被爆60周年の2005年から続けられている。
 流川教会の礼拝堂には、当時被爆し黒焦げになった前会堂の十字架と、ひびの入った鐘が架設されているが、この日はその鐘の点鐘から「平和の祈り」が始められた。オルガン、ソプラノ、テノール2人と弦楽四重奏による賛美とともにプログラムは進められ、同教会の沖村裕史牧師が「被爆十字架と平和の鐘が語る平和の願い」と題してメッセージ。この十字架と鐘が「被爆死没者を含む、あらゆる戦争の犠牲者のシンボルとして、罪の謝罪と罪の贖いのシンボルとして、和解と平和を祈り求めるシンボルとして」あることを示し、私たち人間のうちにある罪が引き起こした68年前の出来事を決して忘れることなく語り続けること、キリストの愛と和解によって平和を祈り求めることを、約100人の参加者に語った。
 その後、各自が黙想と祈りの時を持った後「平和を求める祈り」(05年に「平和の祈り」が始められた時の実行委員会による原語からの翻訳)を唱和した。

◎ミクタム35周年 東京・大阪でセレブレーション−−「今度は皆さんの番」=1308180202

 シンガーで作曲家の小坂忠さんと妻のプロデューサー高叡華さん(共にフォースクエア・秋津福音教会牧師)が1978年、日本初のキリスト教音楽レーベル「ミクタムレコード株式会社」を設立してから今年で35周年。それを記念し「ミクタム35周年セレブレーション」(ミクタムレコード&ミニストリー=以下ミクタム=主催)が7月20日、東京・千代田区神田駿河台のお茶の水クリスチャン・センターで、22日、兵庫県西宮市染殿町の基督兄弟団ニュー・コミュニティ西宮染殿チャペルで開催。ミクタムの活動に関わったゴスペルシンガー、演奏家、牧師、伝道者、ボランティアスタッフ、支援者らが会場いっぱいに集まった。
 ミクタムは、「出会いのコンサート」、「ミュージックセミナー」、野外ワーシップイベント「ジェリコ・ジャパン」、町々を行進しキリストを宣べ伝える「マーチフォージーザス」などコンサート、賛美奉仕者育成セミナー、超教派イベントなどを開催。プレイズ&ワーシップシリーズの礼拝賛美やCCM、クラシックとジャンルを問わずゴスペル音楽CDも百数十枚リリースし、日本の賛美音楽界を牽引してきた。震災後は震災支援活動と一般FM局24局でのラジオミニストリーも続けている。
 東京では35年間を映像で振り返りつつ、音楽と祝辞が披露された。小坂忠さんと15年間デュオで歌ってきた岩渕まことさんは「ミクタムはまさに実践賛美神学校。ミクタムがなければ今こうして皆さんの前で歌うことはなかった」、伝道者のアーサー・ホーランドさんは「新宿路傍伝道も日本全国十字架行進もみなミクタムの働きの中で起こったこと。僕自身のスピリットのルーツです」と思いを語った。
 その他、関根一夫さん(ミッションエイド・クリスチャン・フェローシップ牧師)、バーニ・マーシュさん(浜松クリスチャンセンター牧師)、妹尾光樹さん(フルゴスペル成田教会牧師)、細井純子さん(アッセンブリー・十条キリスト教会牧師)が祝辞を、榊原寛さん(特定非営利活動法人ワールド・ビジョン・ジャパン理事長)がメッセージを、久米小百合、上原令子、ユーオーディア・アンサンブル、ASIAHなど、ゴスペルシンガーや演奏者が賛美で感謝を披露。最後に奥山実さん(宣教師訓練センター所長)が祝祷をささげた。
 小坂忠さんは「あとどのくらいできるだろうか、と先日妻と話した。この働きを永久に続けることはできない。でも神様の計画は変わらない。今度は皆さんがこれを担ってくださる番です」と次世代に期待を込めた。

◎波紋呼ぶ 米連邦最高裁の同性婚容認判決−−福音派は反発より「では、どう対応?」=130818040

 米連邦最高裁が6月26日、同性婚の権利を認める判決を出したことが、伝統的な価値観からの脱皮と捉えられ、波紋を広げている。同性婚を認める法律は、欧州でもオランダ、ベルギーなどに続き今年に入ってフランス、英国で成立し、9か国になるなど、法的権利保障の流れは各国に広がっている。この動きは、伝統的に結婚の秩序を重んじ同性愛を「罪」とみなしてきた保守的キリスト教に衝撃を与えている。福音派の米雑誌「クリスチャニティ・トゥデイ」もこの問題を大きく取り上げたが、同性婚を不道徳な「罪」と嘆くような一辺倒な論調とは趣を異にする。性的少数者の権利を認める世論が高まる中で、米福音派はどう受け止めているのか……。

 米国では同性愛者間の結婚を認めるかどうかは州によって違う。現在12州と首都ワシントンで認められているが1996年に成立した連邦法「結婚保護法」は、結婚を「男女間で行われるもの」と規定していた。このため合法の州で正式に結婚した同性婚カップルでも、配偶者が死亡すると連邦相続税の優遇措置が適用されないなど、税制や社会保障上の不利益を受けてきた。判決はそれを是正するもの。
 結婚保護法を差別だとして、平等な権利獲得を求める運動が続けられてきた。世論調査で同法制定時には27%だった同性婚合法化支持は、現在では53%と多数派に転じている。こうした動きを半世紀以上前にアフリカ系米国人の権利獲得に動いた「公民権運動」になぞらえる見方もある。その背景には、2010年連邦調査によると13万1千人が同性婚を実行し、51万4千人が同性カップルという、かつてない多くの同性愛者が身近にいるという現実がある。
 同性愛容認について米キリスト教界では、共和党支持者が多い福音派は反対、民主党支持者が多い主流派(リベラル)は少数者の権利の観点から賛成というのが長年おきまりのパターン。ところが、福音派の良心的言論「クリスチャニティ・トゥデイ」の最近の論調や、その誌面で伝えられる福音派オピニオンリーダーたちの反応は、その枠に収まりきれていない。
     ◇
 「ゲイに友好的なクリスチャン クリスチャニティ・トゥデイは同性婚禁止を望まない」という見出しの記事が目を引く。といっても、ローマ人への手紙1・24?32が明示しているような、同性愛は罪であり神の裁きを受けるというみことばを曲げたわけではない。今日の社会が同性愛を容認する傾向を強めつつあることを、「私たちが背徳の時代に生きている指標」と認識してもいる。
 アメリカは悪のどん底に落ちている、と言う同記事の筆者デイヴィッド・スチュワート氏が挙げるのは、同性愛ばかりではない。4千万以上とされる人工妊娠中絶や、無謀な政府によって10万人以上の罪のないイラク人の殺りくを許してしまったこと……。そうした、福音派が非難してきたこと、あるいは支持してきたことの両方を含めて、現在のアメリカの状態を憂え、スチュワート氏は「クリスチャンが聖書に従い十分に語るべきことを語ってこなかった」ためにそうなってしまった、と自己批判する。
 連邦最高裁の合法化を見越した記事も載った。そのタイトルは「その先どうする?」だ。この事態に牧師や教会はどう応じるのか|ティモシー・ダルリンプル氏は、アルコール依存症者の例を挙げた。クリスチャンコミュニティーの中に歓迎し受け入れるのでなければ彼らが心を開くことはない、と強調する。教会の中で愛されることを通して神の愛を学び、福音に応答する。そうするときにのみ自分を支配している欲望を乗り越える力を得るのだ、と。私たちは、自分がまだ罪人であったとき、まだ常習的な罪のパターンにとらわれていたとき、イエスが私たちのために死なれたことを知っている。
 ある若い女性が不安そうに、自分はレズビアンだと明かしたとき、親しい態度を変えることなく「どのように霊的な生活をやっていくの?」と尋ねた。彼女は泣き始め、「クリスチャンの友達がレズビアンの私を、神との関係を続けることができる者として扱ってくれたのは初めて」と言った。所属教会は、彼女が悔い改め異性愛に転向するまで教会からも神からも切り離されると告げた。この教会は彼女が最も神との関わりを必要としているときにその関わりを切断してしまった、とダルリンプル氏は言う。
 「教会の第一義的な役割はイエス・キリストにある神の愛を証しすることだ。私たちが(同性愛者を)締め出しのけ者にするとき、彼らをご自身の栄光のためにご自身のかたちに造った神の語りかけを聞くことを、さらに困難にしてしまう」