[CSD]2003年2月16日《ヘッドライン》

[CSD]2003年2月16日《ヘッドライン》
 = 1面 =
◎えひめ丸沈没事故のワドル館長が手記——加害責任に信仰の苦悩
★米国:2月16日を「イラクのために祈る日」に——戦争になればまた迫害?を懸念
★スイス:イラクキリスト者、戦争前に日々の祈り
★パキスタン:西洋人殺せと扇動パンフレット
◎難病患者・障害者らの手記を募集——ありのまま舎
★<恵みのどんでん返し>アルコール依存症の彼との共生を決意して 記・饗庭俊夫(洛西ニュータウン福音キリスト教会牧師)
★<落穂抄>キリストに出会った「地上に輝く星たち」

 = 2 面 =
★月刊『創』に謝罪命令——統一協会資料での記事に浅見定雄氏が名誉毀損勝訴(東京高裁)
★ブルガリア:少数派排除の宗教新法——「正教会だけが唯一真実な教会」
★在日韓国人基督教宣教師協議会:北海道地域から初の会長
★ベトナム:プロテスタント牧師の訓練許可
★福音宣教師団主催で「心と心の伝道」セミナー
★<論説>首相3年続け靖国参拝——「不戦の気持ち」裏腹の戦争準備 記・油井義昭
★<神のかたち>[31]フィベは多くの人の監督者に選任され 記・稲垣緋紗子
★<今週の本棚>『キリスト教の将来』A・E・マグラス著(教文館、1800円) 評・具志堅 聖
★<今週の本棚>『クリスチャンライフテキストブック』菅原 亘著(神戸キリスト栄光教会、1500円)
★<今週の本棚>『天の御国.COM』卞在昌著(小牧者出版、1800円)
<情報クリップ>催し情報ほか

 = 3 面 =
★米国:対イラク戦に欧米教会「ノー」——南部バプテスト教会は政権支持
★英国:英国教会も批判
★ドイツ:信仰は軍事力に期待しない
★信仰が戦争にすりかわるとき——米国南部教会 イラク攻撃支持の理論 記・渡辺 聡

 = 4 面 葬儀特集=
★教会葬は開始時間が重要——NPO生活簡素化全国協議会
★死後も残された人に証しを——ラザロ霊園が石屋をスタート
◎イエス時代の埋葬習慣とは——『イエス時代の日常生活』から
★手間のかからないお墓を——ワイ・エム・エー

 = 5 面 =
★クリスチャンの手で三浦作品を舞台化——「神に食らいつく綾子さん演じたい」
★人生とは何か、空しさ覚え教会へ——パフォーマンス学先駆者の佐藤綾子さんが受洗
★米国:北朝鮮交渉に信教の自由問題を要請
★米国:北朝鮮との話し合いの時には人権問題を
★オーストラリア:承諾なしで名前を挙げて祈れない
★書き損じはがきであなたも国際協力
★<脱北—川向こうの基督>[5]「北朝鮮に戻っても飢え死にするだけ」 記・松本 望美
★<CDの時間>「J-street」J-street(アガペー放送局、1,905円)

 = 6 面 ビジネスのページ=
★<信仰人スピリッツ>上田 利昭さん(株・チュチュアンナ社長)——仕事の中にも礼拝がある
★<クリスチャンのための経営塾>[6]「トヨタ方式の元祖はイエス・キリスト」(下) 記・鹿嶋 春平太
★<BUSINESS BOOK REVIEW>『本当の学力をつける本』陰山 英男著(文藝春秋、1238円) 評・中野 雄一郎
★<私の信仰とビジネス>[6]荷物を流れと捉える 記・小倉 昌男


えひめ丸沈没事故のワドル館長が手記−−加害責任に信仰の苦悩0302110101

宇和島水産高校の練習船えひめ丸に衝突、沈没させ、9人の犠牲者を出した米海軍の原子力潜水艦グリーンビルのスコット・ワドル元艦長が、米国で手記を出版する。事故とその後の経緯、自分のとった対応や気持ちを詳述するとともに、クリスチャンとして神の前に生きてきたという自分の生い立ちや軍人の誇りにふれ、事故の加害者になった葛藤と信仰的な受け止めも吐露している。  「これはたまたま起きた事故だ。あなたの過失ではない」と、免責なしで証言することに反対する弁護士。それに対して「いや、私のせいで9人が亡くなったのだ。あの日何が起きたのか、真実を知る者として証言しなければならない」と主張するワドル氏。手記はそんなやりとりで始まる。
 続く各章で、ワドル氏が軍人である父親にならい自分も軍人を志してエリート教育を受けたこと、入隊後も理想を高く掲げやがて原潜の艦長に昇進したこと、クリスチャンの母親に育てられ、高校生の時に信仰告白したことなどが書かれている。
 事故については、当日潜水艦を浮上させる前に何度も海上の状況を確かめたことを強調している。しかし裁判の過程で、部下の1人が小さな船を確認したが艦長に報告しなかったことが明らかになる。ワドル氏は、その部下の過失もすべて自分の責任だと述べる。
 日本の報道では、事故後グリーンビルの乗組員が救助せず見捨てたと非難されたが、ワドル氏は小さな船に大型原潜が近づけばかえって危険と判断したという。また被害者の遺族に最初から謝りたかったが、軍から発言を禁じられた。日本大使館を通じて謝罪の手紙を渡したが遺族に自分の気持ちが伝わらず、謝罪が不十分だと非難されたことにふれ、日本の世論で自分が悪者扱いされたことに戸惑いも見せる。
 事故から1年10か月後の昨年12月、ワドル氏は宇和島を訪れ、犠牲者の遺族らに対面した。その際、謝罪の言葉とともにワドル氏は「自分もこの事故でつらい思いをした」と述べた。手記ではその苦しみをヨブの試練になぞらえている。なぜこんなことが起きたのか問うても答えが見つからない中で、理由を神に問うことをやめてただ主に信頼したヨブのように、自分も、なぜか起こってしまった事故を試練と受け止め、ただ主に信頼し続け、主の導きに委ねようとの心境に至る。
 手記を読んだ日本人クリスチャンからは「誠実さが感じられるが、被害者の遺族からみれば、自分の苦しみを神との間で解決しようとする姿にあまりよい感情を持たないのでは」「自分はするべきことはした、隠ぺいなど神の前に正しくないことはしていないが、組織のトップとして責任をとる、といったアメリカ的な正義感は、日本人が求める謝罪の感覚とずれがあり、国民性の違いで伝わりにくいだろう」といった感想も聞かれる。
 ワドル氏は事故のため海軍を除隊、現在コンピュータ関連の仕事に就いている。献身を考えているとも伝えられるが、今後の生き方について手記では、神のために生きたいとして「神はどのように導いて下さるだろうか」と書いている。

難病患者・障害者らの手記を募集−−ありのまま舎0302110105

キリスト教精神の下、進行性筋ジストロフィー患者をはじめ、難病や重度の障害を抱えた人々が、生きた証しを刻みながら人生を送れる社会を目指して、さまざまな活動をしている社会福祉法人ありのまま舎(齋藤久吉理事長)が、「いのちを語る手記集」の出版のため全国の難病や障害をもった人々や、関係者らの手記を募集している。
 これまでありのまま舎は出版、映画製作、難病患者や障害者らの生活場所の運営などを通して生と死のはざまで必死に生きようとする人々の声や姿を伝えてきた。今回、もう一度「生きる」ことについて多くの人と考えるため、手記集を出版するという。
 【内容】難病の進行や障害の重度化に伴い、生と死のはざまの中にあっても、前向きに生きる人の手記であること。【対象】?重度の難病患者、障害者(故人も含む)??を取り巻く人々【応募方法】1編あたり400字詰め原稿用紙5枚以上6枚未満。すでに発表した作品でも可。住所、氏名、年齢、職業、電話番号、FAX番号、e-mailアドレスを明記の上、現状を含めた病気・障害の説明、プロフィール、写真を添えて左記まで。【締め切り】2003年5月31日消印有効【問い合わせ・作品送付先】〒982-8544宮城県仙台市太白区西多賀4ノ19ノ1 社会福祉法人ありのまま舎いのちを語る手記集係(担当:白江、大内)  TEL022-243-1300 FAX022-243-0322。

イエス時代の埋葬習慣とは−−『イエス時代の日常生活』から0302110403

イエスの時代において、死者の埋葬はどのように執り行われ、どんな習慣があったのだろうか。ハーベスト・タイム・ミニストリーズ発行の・イエス時代の日常生活・(ミリアム・ファインバーグ・ヴァモシュ著/中川健一訳)から当時の埋葬のしきたりを紹介する。
 「ヨセフはそれを取り降ろして、きれいな亜麻布に包み、岩を掘って造った自分の新しい墓に納めた。墓に入口には大きな石をころがしかけて帰った」(マタイ27・59、60)
 ユダヤ人の習慣では、遺体はすぐに埋葬されることになっていた。サラ(創世記23・2・4)の場合も、ラケル(創世記35・19)の場合もそうであった。申命記21・22、23によれば、木にかけて殺された犯罪人でも、日没までには埋葬されることになっていた。死者への感謝を表わすために遺体を大切に扱うことは、最高の善の一つとされていた。
 しかし、民数記19・16によれば、人の骨や墓に触れた者は、儀式的に汚れた者となる。その結果、埋葬に関するさまざまな
規定が生まれることになった。その一つは、町の中に墓を作ってはならないという規定である。また、安息日の埋葬も禁じられた。そういう理由があったので、イエスが死んだ後、アリマタヤのヨセフは、安息日の前に遺体を引き取ることを願った。安息日が終わってから、埋葬の儀式を行なおうとしていたのである(マルコ16・1、ルカ23・56)。
 裕福であろうと貧乏であろうと、すべての人が適切に埋葬される権利を有した。死の瞬間から、遺体がそのまま放置されることはなかった。悲しんでいる家族を慰めるために、友人たちがその家を訪問した。遺体は水で洗われた。ペテロがよみがえらせたタビタの場合も、その遺体は洗われていた(使徒9・37)。
 死体を埋葬する場合、多くの人が墓まで付き添った。ナインの町の葬儀もそのようであった。「・やもめとなった母親のひとり息子が、死んでかつぎ出されたところであった。町の人たちが大ぜいその母親につき添っていた。」(ルカ7・12)。泣き女たちが雇われることもあったが、彼女たちは、素足で棺のそばを歩いた。墓に着く前に詩篇を朗読するために、葬送の列は何度か立ち止まった。葬送の列が行進を始める前か後に、音楽が奏でられたり(マタイ9・23)、たいまつが掲げられたりした。
 遺体は、香料や香油を塗ってから、特別な布でくるんだ(ヨハネ19・39、40)。古代の注解書(Genesis Rabba)の中で、この習慣に関する興味深い逸話がヤコブの死に関連して出てくる。「ラビ・ヨハンナがこの世から去ろうとしていたとき、彼は周りにいた人々にこう言った。『私を、黒でもなく白でもない、灰色の布で埋葬して欲しい。もし私が、復活して義人の中に立つことがあっても、困惑しないように。』一方、ラビ・ヨシヤはこの世から去ろうとしていたとき、こう語った。『私を白の布で埋葬して欲しい。私は自らの行動を恥としないし、私の創造者と顔を合わせる資格があると思うから。』」埋葬の布に関する記述は、ラザロの埋葬(ヨハネ11・44)にも、イエスの埋葬(マタイ27・59)にも出てくる。  ・イエス時代の日常生活・はキリスト教書店で扱っている。問い合わせは、TEL055-993-8880(ハーベスト・タイム・ミニストリーズ)まで。