[CSD]2003年7月13日《ヘッドライン》

[CSD]2003年7月13日《ヘッドライン》
 = 1面 =
◎100歳信徒の信仰物語——敗戦で奮起、自宅解放から教会へ
★鳴門市賀川記念館オープン——友愛の精神を今に・故郷を重視した展示
★気仙沼方言「ケセン語訳聖書」第2弾マルコ福音書発売——電話で朗読も聞
ける
★イスラエル:ヤコブの骨箱、偽物だった
★<恵みのどんでん返し>転んでもただでは起こさないお方 記・将積 稔
★<落穂抄>ネパール日本語集会の実

 = 2 面 =
★介護の危機に表された恵み——JEA女リトリートでの証しから
★「スタンド」・ウィメンズ・ミニストリー——初のクリスチャン女性カンファレンス 記・陽子ラッカー
★「精神障害者」の人権侵す法に抗議
★<詩>夕べの海 作・中山 直子
★<論説>マグラス教授の投げかけ——自然神学の位置づけがカギ 記・稲垣 久和
★<今週の本棚>『女性のためのヤベツの祈り』ダーリン・ウィルキンソン著(いのちのことば社、1,600円) 評・安食 道子
★<今週の本棚>『ひとりぼっちで明けない夜に』カリン・ザイエンガ著(いのちのことば社、1,400円)
★<今週の本棚>『殉教者の鏡物語』ジョン・オイヤー・、トバート・クライダー著(いのちのことば社、1,400円)
<情報クリップ>催し情報ほか

 = 3 面 =
★実を結ぶ和解の懸け橋——英軍捕虜収容所跡の島に日英友好の記念碑
★第20回ペンライト賞募集(2004年1月15日締め切り)

 = 4 面 全面広告=
☆日本ウィクリフ35周年記念宣教大会
9月22日~23日:ウェスレアン・ホーリネス教団・淀橋教会

 = 5 面 特集・日本のプロテスタント礼拝150年=
★日本のプロテスタント礼拝150年——黒船が伝えたキリスト教
◎日本最初のプロテスタント礼拝——ペリーが歌った賛美歌
★童謡「赤い靴」ゆかりのオルガン——今も北の大地に響く・・・日基教団旭川豊岡教会
★よみがえる説教の遺産「日本の説教」——2年越しで出版、選りすぐりの15人
★<本の紹介>『説教で何が語られてきたのか』—21世紀ブックレット—(いのちのことば社、1,200円)
★現代の教会 礼拝の実態は?——本紙アンケート調査から

 = 6 面 全面広告=
☆第27回東京福音リバイバル聖会
8月13日~15日:川口綜合文化センター・リリア

 = 7 面 =
★<ひと>ピアノ弾くことはしゃべること——ピアニスト・野田 常喜さん
◎2000人の青年が集まるのを見たい——「SSST=すっと=青山」に向け各地で集会
★世界最大級の音色を堪能「オルゴールは人をいやす」--収集家の豊田 勇氏、VIP横浜で語る
★ミクタムレコード:いやし与えるCD3種発売
★オランダ:エダム・チーズで教会の修繕計画
★北朝鮮:平壌でロシア正教会の会堂建設起工式

 = 8 面 ゴスペルのページ=
★<インタビュー>kikiさん(ゴスペル・シンガーソングライター)——ゴスペルを通して神様に降参できた 記・原島 裕之
★声の力——ゴスペル音楽における声の役割 記・原島 裕之
★NEW RELESE:「ゴスペル。ソングス・オブ・ボブ・ディラン」(ソニーミュージックダイレクト、各2400円)
★NEW RELESE:「NOW'S TEH TIME」(ライフ企画、各2800円)
★<北嶋和之のゴスペルトーク>Healing
★<いまさら聞けないゴスペル用語>PRAY(プレイ)
★コンサート・ワークショップ情報


100歳信徒の信仰物語−−敗戦で奮起、自宅解放から教会へ0307130101

人には誰にでも物語がある。それも長く生きてきた人なら、語りつくすことはできないものがある。「100歳まで生きるとは思っていなかった。今でもほんまかいなと思います」。琵琶湖の西岸、高島織物で知られる織物の町、滋賀県高島郡新旭町に住む清水喜八郎さん(日本イエス・湖西教会員)は、独り暮らしの住まいで、とうとうと、人生の物語を聞かせてくれた。  今年3月19日、清水さんは満100歳の誕生日を迎えた。長年マッサージ院を開業していたという木造の建物。その玄関の右側に現在、清水さんが生活の大半を過ごす八畳の部屋がある。みことばが記された壁紙がところどころにはられ、奥の台所としきりとなっている壁の上には、教会員全員から100歳のお祝い会で贈られた色紙が飾られていた。
 「足を切断してから、人に顔を見られるのが恥ずかしくてのう」
 清水さんの右足は義足だ。雪深い、富山県中新川郡(現在の富山市)に生まれた。尋常小学校を卒業後、知り合いのつてをたよりに上京。浅草のお汁粉屋に丁稚奉公に出た。奉公先で相撲を取って遊んでいた時にできたひざの傷が原因で、片足を失った。
 「朝から晩まで立ちっぱなしの生活。そのうちばい菌が入って40度の熱が出た。切ったら治ると言われ、死ぬよりましということで生かされた」
 帰郷した清水さんは、田舎にいるのがいやで19歳の時に京都に出た。絵描きになろうと兄の知り合いの日本画家の私塾に入った。
 その京都で路傍伝道によって教会に導かれる。当時、京都市の鞍馬口にあった活水キリスト教会。柘植不知人の弟子杉本蘇長が牧会する教会だった。
 「真の神はただ一人と知った。罪赦されてうれしかったね。本当に救われた。救いというものがあるんだなと思った。救われて生活がすっかり変わりました」
 その後6年間、昼は西陣で帯用の絵を描き、夜は伝道と聖書研究という教会生活を送った。時はちょうど、昭和5、6年に起きたホーリネスリバイバル。教会員はみな熱心に伝道していたとう。
 しかし、だんだんと戦争の色が濃くなっていく。西陣織りもぜいたく品ということで廃止され、生活が苦しくなった。仕事がなく、教会で出会った妻の実家である新旭町に疎開した。
 「戦時中は、とにかく苦労した。食べる物がない。琵琶湖のある滋賀県でも雑魚1匹食べられない。不思議ですけど戦争ってそういうもんだね」
 そして敗戦。「みんな泣いたよ。勝つと思っていたのが負けたから。進むべき道を失ったこの民を救わなければ、われらの救われたるは、この時のためになるやも知るべからず。死ぬべくは死ぬべしと思った」
 自宅を開放して集会を開いた。遠くからも近くからも多くの牧師を招いた。毎日約70人の人々が集まった。
 「日本人も悔い改めた。このままではアカンと思ったんでしょうね。そんな気持ちがあったからみんなキリスト教を受け入れましたよ」。当時はお寺でも牧師が説教をしていたという。
 そして自宅の横にある土地を寄付して、宣教師の献金によって教会堂を造った。それが湖西教会の始まりだった。現在は新しい教会堂が建てられ、その建物は牧師館となっている。
 「いろんなことがあったけど、信仰だけは捨てなかった。この日本の民を救わなければならないと思ったから」。清水さんは100歳の今も、教会員に送迎され、毎週土曜日の祈祷会、日曜日の教会学校と主日礼拝の出席を守っている。
 「存在自体が証しです」。清水さんの教会の加藤清牧師はこう評した。

日本最初のプロテスタント礼拝−−ペリーが歌った賛美歌0307130502

日本で最初に行われたプロテスタントの礼拝はいかなるものだったのか。どんな賛美歌が歌われたのか。ペリーの艦上礼拝などを研究する手代木俊一さん(国際基督教大学キリスト教と文化研究所非常勤研究員)に聞いた。手代木さんは「礼拝の様子を耳にした江戸時代の人々は、軍楽隊の奏でる音に驚いたのでは」と語る。  1853年7月8日に来航したペリー艦隊は、翌々日7月10日の日曜日、サスケハナ号艦上で礼拝を守った。司式は艦隊チャプレンの米国聖公会司祭のジョージ・ジョーンズだった。この礼拝で歌われた記録に残る日本で最初の英語賛美歌は、頌栄歌として知られる「Old Hundred」だった。「歌声が海岸まで聞こえてきたといいます。当時の人々は、初めて聞く軍楽隊の低音楽器の『ぶおーん』という音に、びっくりしたと思います」と手代木さんは語る。
 この時代、「Old Hundred」は「All people that on earth do dwell」の歌詞が一般的だったが、この時は「Before Jehovah's awful throne」の歌詞が採用されたと記録は語る。「司式者が聖公会司祭で、海軍及びペリーが聖公会に近い関係にありながら、聖公会の讃美歌集に収録されていた『All people that on earth do dwell』ではなく、なぜ『Before Jehovah'sawful throne』の歌詞のほうが歌われたのかは今後の検討を要する」と手代木さんは論文で述べている。
 ペリー来航、日米修好通商条約締結以後、横浜を中心に多くの宣教師が来日した。宣教師らは聖書の翻訳、出版とあわせて賛美歌の翻訳にも尽力した。賛美歌を日本語に初めて翻訳したのは、1860年に来日したバプテスト宣教師ジョナサン・ゴーブルだ。ゴーブルは1872年「There is a happy land」を「よい土地あります/たいそう遠方/信者は栄えて/光ぞ」と訳したという。手代木さんは「初期の賛美歌翻訳は稚拙だといわれるが、調べれば、よくやっていると思う」と話す。その2年後には、最初の日本人による賛美歌の作詞が神戸で行われた。
 賛美歌の研究者として手代木さんは、「賛美歌を含め、日本の歌の特徴として歌ってしまうと安心してしまい、歌詞の意味を忘れてしまうのでは。21世紀の賛美は歌詞と曲の一致が、重要な問題になってくると思います」と現代賛美歌の課題についても語る。

2000人の青年が集まるのを見たい−−「SSST=すっと=青山」に向け各地で集会0307130702

8月12日から15日まで、東京・渋谷の青山学院大学で開催される 「JEA世界宣教青年大会〈SSST=すっと=青山〉」(小川国光実行委員長)を間近に控え、その地区集会が6月22日、埼玉県越谷市の越谷福音自由教会で開かれた埼玉地区を皮切りに、各地区で始まった。
    ◇
 SSST青山は「日本の教会の若者が、日本と世界の宣教に立ち上がるように」とこの夏、15歳から39歳までの若者を対象に日本福音同盟(JEA、蔦田公義理事長)が企画した大会だ。
 主講師のアジス・フェルナンド(スリランカのユース・フォー・クライスト全国理事長)、グレゴリー・ウェイブライト(米国のトリニティー国際大学学長)、安藤理恵子(KGK関東地区主事)、井上賢二郎(日本長老教会牧師)の各氏ほか、多彩な証し者と賛美ゲストが参加する。セミナーや宣教報告、コンサート、120以上の分科会などのプログラムを準備し、参加者2千人を目標としている。
 東京・練馬区の練馬神の教会で開かれた東京城北地区集会では、事務局長の小寺徹氏(ウェスレアン・ホーリネス教団ひばりが丘北教会牧師)が「これはあなたのため大会です。あなたの参加を待っています」と力強くアピール。「この大会は御言葉から始まり、御言葉で終わります。21世紀の宣教のため、若者に命をかけてチャレンジします。この大会に参加したならば、今の日本のキリスト教界、伝道団体が何をしているかが分かります」と語った。
 元暴走族で、本大会でも証しをする井上義実氏(イエス・キリスト・新座教会牧師)は「機会を十分に生かして用いなさい」(エペソ5・16)からメッセージ。「私は神様は必要ないという生き方をしてきたが、放蕩息子の話を聞いて、ずっと自分を愛し待っていてくれた方がいることを知りました。SSST青山の中心聖句『ここに私がおります。私を遣わしてください』(イザヤ6・8)の御言葉で献身し、神学校に行きました。今は悪い時です。しかし、この時にこの大会が開かれます。どうかこの時を生かして用いてください」と参加者に語りかけた。
 そのほか、本大会でも歌うゴスペルシンガーのMIGIWAさん(福音キリスト教会連合・中野島キリスト教会員)が「今、歌うことができるのは、神様のおかげです」と証ししながら、オリジナル曲などを披露。最後に本大会が成功するよう、参加者が心を合わせて祈った。
 アンケートには「大いに期待しています。今から楽しみ」「2千人の青年たちが集まるのをこの目で見たい」「一人でも多くの人がこの大会を通し、主をより深く知ることができるように」と、本大会への期待の声が数多く寄せられた。
 地区集会は関東地区、京都地区など8か所で開かれる。また7月18日午後6時半から東京・渋谷区の日基教団・渋谷教会で「SSSTカウントダウン賛美の夕べ」を開催。賛美ゲストはMIGIWAさんほか。賛美リードとメッセージは林幸司氏(単立・東京メトロチャーチ牧師)。地区集会、本大会などの問い合わせは電話03-3518-4006、事務局まで。