[CSD]2005年2月27日《ヘッドライン》

[CSD]2005年2月27日《ヘッドライン》
 = 1面 =
★沖縄戦の経験談もとに平和・命の大切さ語る——女子聖学院2・11反対授業で元ひめゆり学徒隊の与那覇百子さん  = 2 面 ニュース=
◎2・11集会:憲法改正の動きに危機感——最高法に違反する法は無効
★2・11集会:憲法改正の動きに危機感——過ち繰り返す時代に神の真理を語れ
★<教界ニュース>第2回国家祈祷会ほか
★米国:中東を訪問した米NCC代表団が大統領に終結への断固とした行動を要求
★中国:「家の教会」指導者ザン牧師を釈放
★キューバ:キリスト教誌8年で廃刊へ
★<落ち穂>老いに寄り添う介護  = 3 面 宣教リポート=
★<宣教まっただ中>ミャンマー発[1]仏教が国をまとめてゆく 記・本紙特約リポーター
★LA日本人宣教フロンティア?:伝道大会に31万人——邦人、決心者多数出る 記・中薹孝樹  = 4 面 牧会=
★<ディアスポラ日本人伝道を考える>[7・最終回]帰国者にの優しい教会になるには 記・清野 勝男子
★<牧会ジャーナル>[2]主の御前にひとり助けを求める 記・藤本 満
★<オピニオン>今こそ情欲満ちる日本に福音宣教を——奈良女児誘拐殺人事件受けて 記・榮 義之
★<恵みのどんでん返し>作品展示会 会場探しの中で 記・小林 秀臣  = 5 面 神学・社会=
★<ローザンヌ運動30歳>変わりゆく教会のあり方[上]——既存教会と新しいタイプの教会の共存共栄 記・福田 充男
★米国:神はその時どこにいた?——CNNテレビがスマトラ沖地震テーマにトークショー
★<今月の神学書評>『牧師による診断』ポール・プルイザー著(すぐ書房、2100円)評・藤掛 明  = 6 面 社会事業家シリーズ?=
★おむつを洗った国会議員・長谷川 保——神の奴隷となった人生
——日本で始めてホスピス開始
★キリストに贖われた者としての父の生涯 記・長谷川 了  = 8・9 面 結婚特集=
★キャンドルで飾る結婚式——東京/ファースト・インプレッション
★「お出会いパーティ」今秋から全国展開——イサクとリベカ会
◎酒浸りの父、耐える母・結婚しないと決めていた私——家族の回復『我が家のアメージンググレイス』を出版した横田映代さん  = 10 面 ビジネスパーソン=
★祈りが不思議な出会いを生む——藤田 幸久さん[下](衆議院議員、民主党国際局長)
★<うつは心の風邪>[7]うつと自殺 記・吉田 博  = 11 面 教会学校=
★<「成長」攻略法>十字架から福音を語る——同情でなく確信と希望を語る 記・中台 孝雄
★<CS分級>教会探検しりとり 記・永井 真衣子  = 12 面 情報=
★<情報クリップ>催し情報・放送伝道ハイライトほか
★EVENT:ゴスペル・リンキング・フェスタ・トウキョウ
★CD:「Unconditional Love——無条件の愛」Hiro's Mass Choir (ライフ・ミュージック、1890円)  = 13 面 今週の動き=
★<今日は何の日>2月27日—3月5日
★<日めくり元気の素>名著・聖書日課から一言メッセージ  = 14 面 教会=
★<ちゃちゃチャーチ>合言葉は「ハッピー」——札幌ICF教会  = 15 面 教会生活=
★次世代へのバトンタッチが鍵——ケビン・カーナー親子が牧会継承語る
◎献堂:「みんなでゴール」 感謝——日本キリスト兄弟団弥生台キリスト教会
★<林檎の風にのせて>[20]主を思えばスイートルーム 記・正村 八重子  = 16 面 ひと=
★木村'HIRO’洋幸さん(ゴスペルディレクター)——音楽は神様との「界面活性剤」

2・11集会:憲法改正の動きに危機感−−最高法に違反する法は無効0502270201

 「建国記念の日」の2月11日、この日を「信教の自由を守る日」と位置づけ、キリスト教界では今年も各地で集会が開かれた。
  同盟基督・椎名町教会(東京・豊島区=韓在国牧師)では「信教の自由を守る集い」(同教団教会と国家委員会主催)が行われた。クリスチャンであり、人権問題に取り組む弁護士今村嗣夫氏(日基教団・百人町教会員)が、「憲法『改正』と信教の自由」と題して講演した。
 今村氏はまず、憲法学者・樋口陽一の著書『自由と国家』を引用し、「憲法13条は個人の自由の尊重を重視している。憲法は、最大限尊重されるべき諸個人の自由を、国家が侵害することのないように国家を縛る手だてである」と、憲法の意味を説いた。
 続いて、憲法の改正が信教の自由にどのような影響を与えるかについて語った。「信教の自由」は、20条において「何人に対してもこれを保障する」「何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない」と規定している。しかし、04年11月に自民党憲法調査会がまとめた憲法改正大綱原案によると、宮中祭祀の主宰などの皇室行為を新たに天皇の「公的行為」と位置づけることや、政教分離の原則に関しても、「社会的儀礼や習俗的行事の範囲内ならば宗教的活動をしてよい」と受け取れる内容が盛り込まれていることに、警鐘を鳴らした。
 さらに、同原案第8章「国家緊急事態においても、基本的な権利・自由の制限は必要最小限度でなければならない」に対しては、02年7月、福田康夫官房長官(当時)が衆院有事法制特別委員会の質疑で「思想・良心・信仰の自由」に関して示した「高度の公共の福祉のため、合理的範囲と判断される限り、その制限は憲法第13条(個人の尊重と公共の福祉)に反するものではない」という見解に言及。「憲法は戦時における軍事的『公共の福祉』による思想・良心・信教の自由の制約や民主主義や地方自治の例外を定めてはいない。国家の最高法である憲法に違反する法律は無効である」と述べた。
 最後に、明治学院高等学校教諭小暮修也氏との共著『一匹の羊の教え』(日本基督教団出版局)から引用し、「大きな流れに抗して、自分の判断をはっきり表現しようとしない日本人の『同調的伝統』が支配する精神的風土が、日本の民主主義の発達を妨げている。憲法が宣言する個人の尊重の意味合いをもう一度よく考えていく必要がある」と促した。       【藤野多恵】

酒浸りの父、耐える母・結婚しないと決めていた私−−家族の回復『我が家のアメージンググレイス』を出版し

 酒浸りで暴れる父、それに耐える母。家庭はめちゃめちゃに崩壊していた。そんな両親を見ながら育った主婦の横田映代さん(聖書キリスト教会グレイスホーム教会員)は、「私は一生涯、誰とも結婚しない」と思い続けてきた。そんな映代さんが、職場の先輩、悟さんと結婚。その後、闘病中の母を引き取る中で、夫婦で信仰に導かれ、憎んでいた父と和解する。映代さんは昨年11月それらのできごとを『我が家のアメイジンググレイス―傷が真珠に変わる時―』(ファミリーネットワーク)として1冊にまとめ出版した。
裸足で逃げた母子
 「神様の脚本ってすごいですよね。40年過ぎて振り返ってみて筋が見えてくる。人間の思いを超えている」と映代さんは語る。『我が家のアメイジンググレイス』に出てくる映代さんの家庭状況は、まるでテレビドラマのようにすさまじい。
 父、順二さんはとにかく酒癖が悪かった。映代さんが小学3年生の時、泥酔した順二さんは殺気を帯びていた。大雪の夜、母の香代子さんは夫の様子に危険を感じ、映代さんの手を引っ張って外に飛び出し、裸足のまま雪の中を走って逃げた。途中、知人宅に駆け込んだが、父はそこに追いかけてきて母になぐりかかろうとした。映代さんは母の前に立ちはだかり「お父さん、やめて。お母さんをなぐるなら、私をなぐって」と叫んだ。その晩、母子は自宅から2キロ離れた駅の待合室で、体に新聞紙を巻き付け一夜を明かした。
 何度となく暴力をふるわれても、香代子さんは夫の元を去ろうとはしなかった。「この子を、父のいない子にさせては可哀想だ。…自分が夫と離婚したら、自分は夫とは赤の他人になれるけれども、血のつながった娘は、父親から完全に自由になることはできない。…娘の盾となって娘を守っていこう」。香代子さんは娘のことをこのように考えていたのだろうと映代さんは記す。
問題受けとめた夫
 映代さんは成長して大学進学のため上京。やっと父親から離れられるという思いと、母を案ずる思いとの板挟みになった。が、都会での生活が始まると、故郷、富山の両親のことを思って心が重くなり、やがて故郷のことを考えなくなっていった。しかし、父から時々かかってくる脅しのような電話は、映代さんを不安といらだちと怒りへ引きずり込んだ。父は自殺を計ったりもした。映代さんの心はますます父親に縛られるようになった。
 大学卒業後、映代さんは大手企業に就職。職場の2年先輩にいたのが、悟さんだった。パソコンに慣れていなかった映代さんを、悟さんは手取り足取り教えてくれた。英語が得意でなかった映代さんが、初の海外出張を控え、神経性胃炎になったときに励まし、支えたのも悟さんだった。
 映代さんは次第に悟さんにひかれていった。しかし、「好きな人だからこそ、父と縁続きにならないほうがいい。迷惑にならないようにしなくては」と考えた。交際を断つつもりで、悟さんに父親のことを話した。すると悟さんは、「これからは、2人でいっしょにお父さんの問題を考えていこうよ」と答えた。「結婚しない。いやできないし、してはいけない」と思っていた映代さん。しかし悟さんのことばに、「もう1人でがんばらなくてもいいんだ」と思わされた。
酒を断った父
 結婚の準備へと踏み出しながらも、映代さんは父親のことが心配でならなかった。父親が悟さんの実家に電話をかけ、悪態をついたこともあった。結婚式当日も父親は出席するかどうか直前までわからずじまい。「行動が突飛で何をするかわからなかったのです」と映代さん。結婚後、悟さんは順二さんに実の息子のように仕えた。 酒を断った父  結婚して3年後の93年、悟さんが会社から留学生としてアメリカに派遣されることになり、夫婦は首都ワシントンで2年間住むことになる。そこで2人は、外国の生活に慣れない留学生を親身になって世話するクリスチャンたちに出会う。「夫の留学について外国に来た奥さんは、孤独になりやすいんです。クリスチャンが開いている奥さんの集いに行くようになりました」  クリスチャン女性から「赦し」のことを聞いたとき。父親のことを思って映代さんは強い反発を感じた。一方の悟さんは聖書の学びに積極的にでかけ、「アメリカ人の考え方の根本が知りたい」と考えていた。
 そのころ父、順二さんはアルコール依存症が最悪の状態になり、警察の指導で精神科を受診、医者から「あと一口酒を飲んだら、死んでもおかしくない」と告げられ、ついに断酒を決意した。映代さんが30歳のときだった。
 断酒した父だったが、母に精神的、肉体的負担を強いることは続いた。やがて香代子さんががんであることがわかり、映代さんは母を自宅に引き取った。が、香代子さんの容体は悪くなっていった。母を映代さん夫妻がアメリカで親しくしていた宣教師が見舞い、香代子さんはその宣教師を通して信仰をもった。
 そのころ映代さんは、友人に自宅近くの教会を紹介される。試しに訪れた教会は牧師宅で礼拝をしていて、その家庭的な雰囲気に映代さんは安らいだ。その後、悟さんや子どもたちも教会に通うようになった。なかでも悟さんは初めて教会に行った数日後に、キリストを信じる決心をした。やがて映代さんも信仰をもつ。
和解した父子
 その後、母は息を引き取った。千葉で葬儀を、富山で「お別れ会」をすることになった。映代さんは、故郷で寝たきりになっていた父と再会した。母をさんざん苦しめた父を憎んでいた映代さんだったが、自分でも予期せず父に謝った。妻の死を聞いた父は、「おらが悪かったがよ。おまえたちを誤解しとって。こんなおらでも赦してくれるか」と言った。こうして父子は和解できた。父もキリストを信じた。
 映代さんは「愛であり、癒し主である神様に触れていただくとき、悲惨な生い立ちからくる傷は癒され、家庭にも人間関係にも回復が起こります。相手のすべてを受け入れ、担い、命を与えるほどに愛していく結婚生活を支えるものは、やはり主の十字架の愛以外にないと思います」と語る。苦しいところを通ってきた映代さん。今は本当に幸せだ。  【藤川 義】

献堂:「みんなでゴール」 感謝−−日本キリスト兄弟団弥生台キリスト教会0502271502

 武蔵野の風情を残す小平市にある日本キリスト兄弟団弥生台キリスト教会(東條隆進牧師)では、旧会堂を取り壊して竣工した新会堂の献堂式を2月12日に行った。鉄骨2階建ての新会堂は、これまでの宣教センターを一部改築し増設されるような形で建ち、機能的な面でも拡充された。
 弥生台での開拓はジョン・グレイビル宣教師によって1969年から始められた。当時は、外国人に家屋を貸す家主はほとんどいない状態で、取得した土地に、1階を英会話教室と礼拝ができる部屋に、2階を宣教師住居にした建物を建てた。幾度かの修繕を施して用いられてきた愛着ある教会堂から、5年をめどに新会堂建設を決議されたのが2001年4月の教会総会。会堂建設委員の1人に選出された川嶋良治さんは、「引き受ける唯一の条件として『全員でスタートしたのですから、全員でゴールしましょう』と言いました。今日、そのことが実現したことが本当にうれしく、主に感謝しています」と、励ましと協力を送りつづけ、遠く山口、愛知はじめ東京のメノナイト諸教会などからお祝いに駆けつけた兄弟姉妹らに、感謝と報告を語っていた。
 一部改築された宣教センターを教室に、これから「東京メノナイト・兄弟団神学塾」がスタートする。開拓当初に付けられた名称は「小平福音センター」。新会堂完成と共に広げられる働きは、新たな福音センターとしてのビジョンに受け継がれていくかのようだ。