[CSD]2005年9月11日《ヘッドライン》

[CSD]2005年9月11日《ヘッドライン》
 = 1面 =
★ゴールは神様のおかげ——祈るJリーガ、チェ・テウク選手(清水エスパルス)

 = 2 面 ニュース=
★救世軍全国大会開催——ラーソン大将が来日、青少年に熱い言葉
◎日本オープン・バイブル教団50周年記念聖会開催——活動の柱掲げ、年間2割の成長目指す
★BOOK:『パノラマバイブル』日本聖書協会編集(2万9400円)が発売
★米国:ロバートソン牧師 「暗殺」発言で謝罪
★<落ち穂>「日の丸・君が代」実施に公立校教師らが「祈りの輪」メール

 = 3 面 ニュース=
★「カルト化教会」家族分断の叫び 記・中野 博誉
★<新連載ルポ>本郷台キリスト教会の給食ミニストリー[1]届く愛
★<教界ニュース>全国キリスト教学校人権教育研究協議会:国旗国歌強制の中止を要請
★<教界ニュース>日本キリスト者医科連盟:閣僚の参拝に抗議
★<祈りのガイド>教会のために祈ろう

 = 4 面 ビジネスパーソン=
★「そのままの自分でいい」という言葉にかけた——井崎 義治さん[中](千葉県流山市長)
★新連載<佐藤綾子のイキイキクリスチャン自己表現法>[1]「どうしてみんな怒るのでしょう?」

 = 5 面 牧会=
★新連載<心の対話>「児童虐待」について考える[1] 記・山中 正雄
★<オピニオン>聖書が教える「愛国心」とは 記・根田 祥一
★<恵みのどんでん返し>がけっぷちのところで 記・岡山 敦彦

 = 6・7 面 法律・生活特集=
★弱い立場の人たちの財産守る——本多興輝さん(成年後見センター・リーガルサポート東京支部副支部長)
★外国人とともに——井野元 一郎さん(行政書士)
☆とっておきの情報の話:この世に残された富は?
★幸せな生活を目指す起業家——高木 誠司さん(あさひ福祉法務事務所)
★教会で起こりやすい相続の問題——磯村 修司さん(愛知県行政書士会常務理事)

 = 8・9 面 全面広告=
☆10月16日は世界食料デー 日本国際飢餓対策機構
http://www.fhi.net/jifh/
 = 10 面 世界=
★<宣教まっただ中>アナスタシス号発[3]難手術を乗り越えて 記・川嶋 康裕
★JOMAセミナー[上]孤独、ストレスの中で——宣教師の「メンバーケア」
★<祈りのガイド>宣教師のために祈ろう

 = 11 面 教会学校=
★<教会学校教師の広場>新約時代の聖地を冒険しよう——バプ連盟・関東プレイズバプテスト教会
★<先生集まれ>聖書の話は自分の言葉で——美都さつきさん(バプ連盟・神戸新生バプテスト教会)
★<CS分級>牛乳パックで遊ぼう——パックコマ 記・石橋えり子

 = 12 面 神学・社会=
★聖書が解き明かす「平和の契約」[6]小羊キリストによる平和の倫理 記・ウィラード・スワートリー
★<書評>『メイド・イン・ジャパンのキリスト教』マーク・R・マリンズ著(トランスビュー、2310円)評・櫻井圀郎

 = 13 面 情報=
★<情報クリップ>集会・催し情報、放送伝道ハイライトほか
★MOVIE:「マザー・テレサ」
★BOOK:『夫と妻のしあわせづくり』水野 健著(いのちのことば社、945円)
★BOOK:『マタイのイエス—山上の説教から受難物語へ』関西学院大学神学部編(日本キリスト教団出版局、1680円)

 = 14 面 教会=
★蒲郡市民「教会が身近になった」——国際クリスチャンバプテスト教会

 = 15 面 家庭・あかし=
★スポーツ伝道:NFLプロフットボール選手が証し——「人生の目的がはっきりし、すべての人間関係が変わった」
★スポーツ伝道:フェルナンデス選手も参加してベースボール・クリニック
◎新連載<お母さんのための絵本の旅>[1]本を読んでもらった「くま」のはなし 記・澤谷由美子

 = 16 面 ひと=
◎大城 博成さん(株式会社エナジック代表取締役社長)——還元水で社会に貢献する


日本オープン・バイブル教団50周年記念聖会開催−−活動の柱掲げ、年間2割の成長目指す05091102

日本オープン・バイブル教団(菅原亘代表)の創立50周年記念聖会が8月10日から12日まで東京・町田市のホテル・ザ・エルシィで行われた。
 聖会のテーマは「前進し続ける教会」で、日本での伝道の草創期に働いた4組の宣教師を招き、宣教師たちの宣教のスピリットを学ぶ時とした。
 菅原代表は「私の夢はすべての人が安息日に宮に集うという聖書のことばが実現すること。そのために前進し続けること」と今回のテーマについて語る。
 聖会の主講師はアメリカのオープン・バイブル教団海外宣教部長のポール・キャンフィールド氏。同氏は聖会最後の講演で「変化」をテーマに、変わっていくものと変わってはいけないものについて語った。  「変化が激しい時代。人々はどうしたらよいかわからなくなっている。こういう時代だからこそ人は安定したものを求めている。変わらない神の言葉が必要。しかし、激動する時代に変わらない神の言葉を伝えるためには、神の言葉をどう表すかを変えていかなくてはならない」と、混沌とした時代に柔軟性をもった伝道の必要性を訴えた。
 同教団は、活動の5本柱として、
1.世界と日本のリバイバルの一翼を担う、
2.開拓教会の支援、
3.複数牧会の支援、
4.青年層の育成、
5.献身者の支援
を打ち出しており、50周年を迎えるにあたり昨年からは、年間2割の成長を掲げ、各個教会が宣教に取り組んでいる。
【中野晶正】

新連載<お母さんのための絵本の旅>[1]本を読んでもらった「くま」のはなし 記・澤谷由美子05091

夏が終わりました。今月からご一緒に絵本の旅をいたしましょう。ご案内は私、澤谷由美子です。
 夏の終わりのある日、森の若いくまさんがひとりの中年の女性と出会うところから始まる『わたしのくまさんに』という絵本から出発しましょう。森の空き地に丸太小屋が建っていて、木陰でひとりの女性が本を読んでいました。くまさんは木の陰に隠れながら、吸い寄せられるように静かに近づいていきます。女性が小屋に入った時、本をさわり、小さなしるし(文字)をじっと見つめます。何かがくまさんの心のアンテナにひびいたのです。
 次の日、女性がくまさんに手招きをして優しい声で本を読んでくれました。何一つ言っていることは分かりません。「それなのに女の人の声のひびきを耳にすると、あたたかな気もちが、波のようにおしよせてくるのがわかった」のです。それから毎日毎日くまさんは女性に本を読んでもらいました。ほっとさせてくれる本からは安らぎを得、冒険物には毛が逆立ち、優しい物語からは愛を感じ取りました。そんな気持ちのゆらめきは、自分のほら穴に戻ってもちゃんと残っていました。
 夏が去り、木々が色づくと、女性は小屋からいなくなりました。あとには女性の本が何十冊も残されていて、「わたしのくまさんに」と書かれていました。くまさんはその本を大切に大切に一冊残らず、自分のほら穴に運びました。本の匂いを嗅ぎながら、女の人の声を感じながら、春が来るまで眠るのです。
 人間の言葉を理解しないはずのくまさんが、本の中の言葉の響きに繊細に反応する姿が、温かいタッチの絵で愛しく描かれています。本を読んでもらうということは、人と人との間にこのような心の交流が生まれてくるということではないでしょうか。私はここに、読み聞かせの極意があるのではないかと思います。子どもだって、大人だって優しい言葉の響きに心が揺さぶられるのです。このくまさんのように無心に聞き続けると、相手の心の波が分かるでしょう。深まる秋景色の森の中で可愛いくまさんと書を読む中年女性だけが描かれている大人のための絵本です。
 (さわや・ゆみこ 「おはなしのへや」主宰者)

大城 博成さん(株式会社エナジック代表取締役社長)−−還元水で社会に貢献する0509111601

「お袋が常日ごろ語っていた『自分を捨てて人に情けをかける』という『ゆいまーる』(沖縄の言葉で助け合いの意味)の精神は、聖書の言葉に通じるものです。還元水を通して人のお役に立つ=『情けを報せる』ことが、私たちの会社のミッションです」。電解還元水生成器の製造、販売、サービスを行う株式会社エナジック代表取締役社長大城博成さん(64)=単立・ゴスペル・ベンチャー・インターナショナル・チャーチ客員=はこう語る。同社は「真の健康」を理念に、現在全国に25支店、海外6支店を展開。特に地元沖縄では1万6千世帯、約3.8%の普及率をほこり、売上高264億円という企業に成長している。
 「沖縄県の大きさはほぼ琵琶湖と同じ。今から60年前に23万8千人(日米合わせ)の死体が琵琶湖に浮かんでいたと考えれば、いかに悲惨な戦争だったかわかると思います」。大城さんは真珠湾攻撃の9か月前、1941年3月に国頭郡久志村(現名護市)に生まれた。45年3月に米軍が沖縄に上陸した。久志村は直接的に沖縄戦に巻き込まれたわけではなかったが、村民が山中に逃げ込み、マラリアが流行、姉と弟を亡くした。自身も重いマラリアにかかり、死線をさまよった。
 那覇商業高校に進学。2年生の時に沖縄バプテスト連盟・那覇バプテスト教会で洗礼を受ける。久志村時代にもエドワード・E・ボーリンジャー宣教師の出張礼拝に通っていた。那覇商時代の同級生が現在、ゴスペル・ベンチャー・インターナショナル・チャーチ牧師でエナジックUSA顧問でもある前原俊夫さんだ。
 その後、久志村役場の税務課に勤務。「7年間働きましたが、次第にこのままでいいのかと苛立ちが募ってきました」。税理士になるために上京、会計事務所に入った。2年たった71年、長兄が事故で重体になり、帰郷した。しかし、どうしても沖縄を脱出して、一旗揚げたいという夢をあきらめきれなかった大城さんは、再び上京。今度は、計算機を扱う日本ビジネスマシーンという会社に経理マンとして就職した。しかし大阪に転勤後、計算機業界に異変が起きる。技術革新の中で価格がみるみるうちに下落し、会社は倒産した。  
 その後、知り合いの大阪ソニー販売の社長から、沖縄でソニー製品の販売会社を設立することを勧められる。72年の日本復帰後、本土資本が進出しはじめたばかりの沖縄は、新興の市場だった。そこで、エナジックの前身、日本シグマックを設立した。74年だった。
 しばらくして、ビデオデッキが登場。ソニーの「ベータマックス」方式を売りに売りまくった。鹿児島、宮崎、熊本と九州にも進出し、年商50億の中堅企業に成長させた。
 しかし、事態はまた暗転する。「ビデオ戦争」で、ベータマックスがVHSに敗れたのだ。業績は一気に悪化。社員も次々に退社し、廃業状態になった。「本当に死を意識しました。一家が離散するくらい苦しい時でした」  
 「ソニー時代は自分が助かるために商品を売っていた。そこには自分を捨てて人に情けをかける『ゆいまーる』の精神はなかったんです」。88年に東京で開催された講演会に参加し、「還元水」に出合った。「還元水こそ健康にとって最善の水ではないか。還元水を提供することで、生涯をかけて人のためにつくすことができると思いました」
 90年に休眠状態だった会社をエナジックに社名変更し、電解水生成器の販売を開始。01年にはメーカーを吸収合併して、製造から販売まで手がけるようになった。
 「高齢化が進む中、医療費の増大が懸念されています。従来の治療医学から予防医学、抗加齢(アンチエイジング)医学への流れの中で、還元水が果たす役割は大きいと思います。還元水を通して社会に貢献したい。その原点は『何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい』(マタイ7・12)というイエス・キリストの教えです」  【藤岡竜志】