[CSD]2012年3月25日号《ヘッドライン》

[CSD]2012年3月25日号《ヘッドライン》

 = 1面 ニュース=
◎「イエスは一緒に泣いた」——フィリップ・ヤンシー氏 被災地に立つ
★教会を通して憐れむ神が見える——「痛んだとき教会はどこにあるのか?」 ヤンシー氏東京講演から

 = 2 面 ニュース =
◎3・11から1年 東北各地で追悼集会——被災した住民らも参加
★原発頼る高ぶり 悔い改め——日本同盟基督教団 祈祷文で共有
★「忘れていない」励みに故郷望み——国家晩餐祈祷会・一致祈祷会で佐藤彰氏
★追悼と再生を願って新教・カトリックが合同祈祷
★<落ち穂>

 = 3 面 教界ニュース =
★<いのちへのまなざし>[4]決断 記・柏木哲夫
★伊東牧師司祭会が日本福音教団謝罪声明を受容
★<オピニオン>証しと奉仕から見えたミッション 記・稲垣久和
★集会情報

 = 4 面 関西だより=
★希望の丘のヘソに十字架建つ——ディコンリー・希望の丘キリスト教会献堂
★田内千鶴子生誕100周年記念 「韓日親善交流大会」に期待——日韓の福祉の開拓者 尹基さん
★大阪レディースランチョン:新体制で働き推進
★世界をつなぐ子どもたちの賛美——KFSMの「ARISE JAPAN」

 = 5 面 伝道・牧会を考える=
★教会ルポ<ここも神の御国なれば>[4]神の家族・アガペチャペル土岐?——良いもの蒔けば良いもの残る
★ケープタウン決意表明(21)パート?解説——私たちが仕える世のために(4)

 = 6 面 =
★自分自身について思い知る——キリスト教主体の「きぼうのダイヤル埼玉」電話相談
★苦しむ人と同じ平面で——森一弘司教講演会
★キリスト教書の電子書籍化——話題性ある本、絶版の再出版も

 = 7 面 神学/歴史/文化=
◎映画「少年と自転車」にみる——子どもが居場所を見つけるまで 記・今村洋子

★<竜馬をめぐる人々>[78]坂本直寛の章:37——獄中書簡に牧会の賜物 記・守部喜雅

 = 8 面 レビュー=
★Book:『慰めのコイノニア』加藤常昭著(日本キリスト教団出版局、2,520円税込)
★Book:『私の使徒信条』藤本 満著(いのちのことば社、1,995円税込)
★Book:『使徒信条ワークブック』塩谷直也著(日本キリスト教団出版局、1,050円税込)
★Book:『グリーフケア心の痛みに寄り添う』伊東順造著(いわき希望教会、非売品)
★Book:『初めてのキング牧師』R・バロウ著(教文館、1,995円税込)





◎「イエスは一緒に泣いた」−−フィリップ・ヤンシー氏 被災地に立つ=1203250101

 死者1万5千854人を出した東日本大震災から3月11日で1年。今なお3千155人が行方不明のなか、キリスト教界でも各地で追悼礼拝や祈祷会が開かれた。その直前、『神に失望したとき』『神を信じて何になるのか』など試練や苦難に焦点を当てた著作で知られる米国のクリスチャンジャーナリスト、フィリップ・ヤンシーさんがジャネット夫人と共に来日。三陸沿岸部の被災地を訪ねる旅に同行した。【根田祥一】

 海岸線も見えない内陸の元住宅地。津波に建物をはぎ取られた土台のコンクリートの残骸が痛々しい。荒涼とした光景の中に、取り残された船がさびた巨体を無惨にさらす。宮城県の旅初日の3月7日、ヤンシー夫妻は気仙沼を訪れた。
 瓦礫こそ片付けられたが、駅舎も駅前商店街も住宅もあたり一面何もなくなってしまった?町?に、言葉少なく立ちつくす。やがてジャネットさんが身をかがめて何かを拾い上げた。それは乾いた泥がへばりついた小さなコーヒースプーンだった(写真左)。周囲には茶碗のかけら、カラオケのマイク…少し前まで人々が暮らしていた痕跡を、ヤンシー夫妻は見逃さなかった。しばらく手にしたスプーンを眺めていたジャネットさんは、しかし車に乗り込む直前、スプーンをそっと地面に戻した。「この町で暮らしていた方々のことを思うと、記念に持ち帰ることなどできません」
 3日間の被災地訪問でヤンシー夫妻は気仙沼市の他、被害が大きかった南三陸町の老人ホームや防災庁舎、石巻市の大川小学校、名取市の閖上小・中学校、仙台市宮城野区のシーサイドバイブルチャペル跡などを訪れた。
 「死者・行方不明者の数、壊れた家や車の数、瓦礫の量…災害は様々な数字で語られる。だが苦しみは一人ひとりに適用されます。1人の母親が娘を亡くした。1つの家族が家を失った。1人の牧師がけがをしながら教会の2階で助けを待っていた。苦しみは数では数えられません」。旅の最後にヤンシーさんはそんな言葉を残していった。
 会堂が津波に流され、信徒が経営する印刷工場を集会所にしている気仙沼第一聖書バプテスト教会での講演会。著書にサインを求める列の最後に並んだ色白の女性が、ヤンシーさんをまっすぐに見据えて質問した。「南三陸町の私が住む地区は町全体が流されて何もなくなってしまいました。17歳の教え子は津波に流されて帰ってこなかった。神様はなぜこんなことをしたのですか?」
 講演はまさに、こうした質問に答えようとしたものだった。「答えは誰にも分からない。でもイエスは愛する者を亡くして嘆く人々を深く憐れみ、一緒に涙を流してくださいました」(仙台での講演のDVDをライフ・クリエイションで販売)

◎3・11から1年 東北各地で追悼集会−−被災した住民らも参加=1203250201

 東日本大震災1周年を記念するキリスト教会合同の集会が3月11日周辺に東北各地で開かれた。 仙台市では東日本大震災追悼記念礼拝(同実行委員会主催)が宮城野区の東北学院中学校・高等学校礼拝堂で開かれ、教会関係者、学校関係者、一般から六百人以上が参加した。1年を振り返り震災の犠牲者を追悼し、聖書による慰めと希望のメッセージが語られた。
説教では実行委員長の田中敬康牧師(インマヌエル仙台教会)が詩篇23篇から、神がいつもともにいて苦しむ者を慰めること、死を超えたイエス・キリストにつながることで悲しみ、苦しみにまさる喜び、慰めが与えられることを語った。
 共催のビリー・グラハム伝道協会、災害支援団体サマリタンズ・パースが1年の報告をし、被災地で神と出会った人や信仰が強められたクリスチャンの声を映像とともに伝えた。
 特別賛美では福音歌手の森祐理さん、ゴスペルシンガーの岩渕まこと・由美子夫妻、ヴォーカリストの安田美穂子さんが被災地へメッセージを込めて歌った。
 福島県では福島県キリスト教連絡会主催の福島県3/11追悼復興集会が6日、須賀川市で開かれ、県内全域の教会、支援団体が集まり福島県の復興のため共に祈り合った。岩手県では3・11いわて教会ネットワーク主催の3・11記念集会が11日、北上市で開かれ、県内の教会、国内外の支援団体から集まり祈るとともに、活動報告、沿岸被災地の長期現地スタッフの紹介があった。青森県では3・11あおもり教会ネットワーク主催の3・11報告会があり、活動報告とともに、長期休暇を利用して福島県の原発事故被害者を招く疎開プロジェクトを支援する呼びかけがあった。
 ほかに宮城県では、石巻市で合同の3・11集会、南三陸町でハワイの教会とインターネット通信によるライブ映像を用いた合同の祈祷会、福島県いわき市でいわき市3・11追悼式が開かれた。各地の祈祷課題として、継続的な支援、福島県の放射能の問題、新たな信仰者が起こされるとともに、そのフォローのためなどが挙げられている。各地の集会について詳しい内容、祈祷課題をクリスチャン新聞ホームページ「ニュース速報」に掲載。http://jpnews.org

◎映画「少年と自転車」にみる−−子どもが居場所を見つけるまで 記・今村洋子=120325070

 ベルギーの兄弟監督ジャン・ピエール&リュック・ダルデンヌの映画「少年と自転車」が3月31日よりBnkamuraル・シネマほか全国順次公開される。養護施設に預けられた少年シリルが、父親との関係や週末里親サマンサとの関わりをとおして、血縁関係がなくとも人の心のつながりによって家族になれることを知っていく軌跡を描いた作品。子育てが重い負担になるような貧困の問題や、豊かではなくとも週末里親になって見放された子どもと関わっていく大人の存在。罪を負いかけた少年が、謝罪する行為をとおして変わろうとする成長を大人はどのように見守り、寄り添っていくのか。罪を負った少年たちと関わってきた今村洋子さんに映画をとおしての寄稿を依頼した。

 「人はだれかには気に掛けてもらっており、期待されており、大切に思われているという実感がないと、安定していられないものである」
 神戸連続児童殺傷事件の加害少年が関東医療少年院に在院当時、同少年院院長をしておられた精神科医の杉本研士先生は、著書『頭上の異界』(講談社刊)でこう指摘しておられます。それは、非行や犯罪のあった人たちと関わる仕事をしてきた私の実感でもあります。ふつう、子どもを気に掛け、期待し、大切にするのは、先ず親ですけれど、親にそうしてもらえなかった子どもたちが多くいること、そして、そうした子どもたちがどんなにかそれを望んでいるかということに気づかされてきました。
 この映画は、施設で暮らしている子どもが、屋根に上って親が迎えに来るのを待ち続けたという話を、監督が日本で聞いて触発され創られたということです。その子は、親が迎えに来てくれることを信じずに生きていくことはできなかったのだと思います。屋根に上るのは、迎えに来てくれる親がいることを自分自身に確認するためだったのではないでしょうか。
 映画は、主人公のシリルが事情も説明されずに父親によって施設に預けられ、自分の分身のような自転車と、そして父親を尋ねまわろうとしているところから始まります。シリルは、父親が売ってしまった自転車を買い戻して、施設まで届けてくれたサマンサに「父親が売るはずはない」と言います。また、父親は黙って消えたのかといぶかる人には、「住所は聞いたけど忘れた」と答えます。父親が子ども用自転車を売るつもりだったことを知ってショックを受けますが、父親に会えたときには、そのことは「いいんだ」と、なんとも思っていないふりをします。「シリルの週末里親を引き受けていたサマンサには、「シリルの面倒は見られない、あんたに任せる」と言いながら、シリルにはあいまいな態度しか示さない父親に対して「いつ迎えに来てくれるのか」「電話はいつくれるのか」とすがります。他人に対しては父親をかばい、父親には直接攻撃を向けないシリルの姿は、私が職場で会ってきた多くの少年と重なります。子どもたちはそれほど親を失うことを恐れ、必死に親を求めています。映画は、シリルが父親の真意を知った後、揺れる気持ちをさまざまに示し、サマンサともぶつかる過程を経て、最終的に「一緒に住みたい、ずっと」と言えるまでを丁寧に描いています。
 子どもにとって、施設での大勢の中のひとりとしてではなく、家庭の中で家族の一員として育つことが大切であるという認識から、日本でも里親制度が注目され始めていますが、里親を引き受けられたご家庭では、サマンサと同じような苦労をされながら、同様に喜びもおありなのだろうと思います。里親にはなれなくても、すべての人を「わたしの目にはあなたは高価で尊い」としてひとりひとり名を呼んでくださる神様を覚えて、私たちもかけがえのないひとりひとりとして周りにいる子どもたちに関わっていきたいと思います。
 記・今村洋子
 (播磨社会復帰促進センター社会復帰促進部スーパーバイザー、元横浜少年鑑別所所長)