[CSD]2012年4月22日号《ヘッドライン》

[CSD]2012年4月22日号《ヘッドライン》

 = 1面 ニュース=
◎被災後の希望 若い視点——福島未来会議2 青年ら50人「神の国」討議
★震災流浪の教会 旅路9人目の受洗——福島第一聖書バプテスト教会 奥多摩で最後の洗礼式

 = 2 面 ニュース=
◎流浪の教会故郷めざし次の旅へ——福島第一聖書バプテスト教会 いわき市へ集団移転
★NCC新総幹事に網中彰子氏——原発停止を求める決議
★NRA新委員長に水野明廣氏——6月に東北で「祈りの祭典」開催へ
★<落ち穂>新島八重の人物像描くNHK朝ドラ「八重の桜」

 = 3 面 =
★<いのちへのまなざし>[7]感謝するということ 記・柏木哲夫
★<召天>内越言平氏(本名:正俊。愛隣チャペルキリスト教会監督牧師、MEBIG創設者、67歳)
★<オピニオン>牧師免職後の処遇に関する提案 記・大杉 至
★<情報クリップ>催し情報・放送伝道ハイライトほか

 = 4・5 面 放送伝道特集=
★娘失った女性の悲しみ映す——日本CGNTV 1周年覚え震災関連番組を制作
★日FEBC:日本語放送開始60周年——礼拝を考える番組企画
★多様なゲストと「1つのからだ」で——小坂忠のゴスペルラジオ番組東北21局で放送
★北海道で人気の「ファミリーフォーラム」——宮城でもラジオ放送開始
★ゴスペルレディオステーション——コミュニティーFM 全国ネット放送開始

 = 6 面 関西だより =
◎天理教会がキリスト教会に大変身——京都シオンの丘キリスト教会 祝福をシェアする会堂に
★老いて孤独な人たちのために祈って——OCC 震災復興支援の集い
★歌あふれた『篠山のエステル』出版記念会
★震災支援CD「聖なる強さ」——吉村美穂さん義援金込み価格で発売
★「生きること、寄り添うこと」から語る——柏木哲夫出版記念講演会

 = 7 面 伝道・牧会を考える =
★教会ルポ<ここも神の御国なれば>[7]同盟基督・川奈聖書教会?——聖歌隊で低くなった社会の敷居
★ケープタウン決意表明(24)パート?解説——私たちが仕える世のために(7)

 = 8 面 ひと =
◎チェリノブイリ事故被爆牧師 ボリス・グリシェンコさん——放射能の「恐れ」は神からではない



◎被災後の希望 若い視点で−−福島未来会議2 青年ら50人「神の国」討議=1204220101

 震災後の福島における「神の国」のビジョンを語り合う福島未来会議2(福島県キリスト教連絡会、「声なき者の友」の輪〈FVI〉共催)が3月18020日、福島県猪苗代町の国立磐梯青少年交流の家で開かれ、県内各地及び国内外からクリスチャン青年たちが約50人集まり、福島の未来に希望を抱いた。(関連記事8面)
 同会議は昨年7月に県内各地の牧師で開いた福島未来会議に続くもの。「若年層が県外に大量流出する福島県において、『神の国』の視点をもって才能、時間、人生を投資する『献身者』が生まれること」を狙いとした。
 会津若松市の三留陽子さん(32)=保守バプ・恵泉キリスト教会会津チャペル事務スタッフ=は近隣の仮設住宅で支援をしている。「震災・原発事故から1年たち、疲れも覚え、まだ厳しい福島の状況に心奪われていた時に会議を知り、福島未来会議宣言文(FVIホームページに掲載)を読み、希望を感じ、心から賛同し、実現のために共に労したいと思った」と参加動機を話す。
 原発事故の霊的意味を考えた。「情報に振り回されることが減り、不安が減った。『生き返らせる神』を再認識させられた。『恐怖はサタンから』の理解に立てた」
 未来について「自分の終わり(死)を意識しながら将来を考えるという普段あまり考えないようなことをじっくり考えた。『タラント』=人生そのもの(献身)という意味もあると初めて知った。会議後、『福島』と口にした時に、希望と喜びのイメージが一緒についてくるようになりました」と喜ぶ。
 いわき市の単立・平キリスト福音教会の支援スタッフとして活動する梅澤特末さん(32)は、同地でのボランティア経験を通して長期的支援が必要だと感じ、昨年5月に香川県から移ってきた。会議で「福島で活動する人たちと知り合えた。ボランティア以外でいわきを出ることがなく、リフレッシュになった」と言う。
 未来については「2、3年後しか考えられなかった。市の状況は急速に変わっている。社会が悔い改めないまま続けば、悪い方向に加速する。価値観の変化が大事な使命だと思った。一人ひとり神のみこころは何かを聴いて悔い改める必要がある。神が何を求めて自分を置いたかを考えなくては」と決意した。
 埼玉県から参加した伝道師の高澤寛正さん(29)=単立・みこころ教会=は「神は目的をもって、その地域に教会を築いておられる。その教会のからだとして動き、人々を結びつけたい」と抱負を語る。「今回、最も貴重な体験は現場の最前線で活動する一人ひとりに出会えたこと。神の国が訪れるための種まきを、神はすでにしておられる。希望を持てた」 と言う。
 「会議では『神の国が来ている状態とはどのような状態か? 神のみこころは何か?』を考える時間があった。被災地支援とともに自分の地域でも教会が主にあって一致し神の国、神のみこころのために働きをしていけるように働きかけていきたい」と受け止めた。
 スタッフの陣内俊さんは、FVIとして「参加者の『献身的働き』のうち、特に後方支援団体のないベンチャー的要素を持つ神の国の働きについて、部分的な金銭的援助を含む様々な形でバックアップしていきたい」と語る。さらに「『福島未来会議3を』との声もある。また他地域で同じような若者のネットワークと神の国のためのフォーラムを行うことも構想しています」と展望を述べた。

◎天理教会がキリスト教会に大変身−−京都シオンの丘キリスト教会 祝福をシェアする会堂に=120422

 京都府京田辺市にある天理教の大施設がキリスト教会に生まれ変わった。3月20日に献堂式を行った単立・京都シオンの丘キリスト教会(旧宇治福音教会=後藤利昭牧師)は、改装を終え、大屋根に十字架を掲げて新しい土地でのスタートを祈った。
 京田辺市の木津川のそば、小高い丘に建つ大会堂は、敷地2千164坪もある、ちょっとした音楽ホールのような趣を持つ美しい建物だ。本館と教育館、牧師館の3棟からなり、駐車場は50台というから、外周りも実に広い。
 正面玄関を入ると、これまたゆったりとした明るいロビー。2階の礼拝堂は元は天理教の祭壇が置かれた修養場のような場所だったが、光をいっぱい採り入れたオープンな大礼拝堂に変身した。300人近く収容可能だ。裏に回ると礼拝堂を半分囲むようなスペースが設けられて、後藤牧師はここを近隣の教会の人も使える、24時間365日いつでも祈れる祈祷室にしたいと望んでいる。
 教育館は元は宿泊棟だったため、キッチンやバスルームが完備されている。1階は教会学校に使い、2階は黙想の部屋や宿泊室にする。畳敷きの小礼拝室もある。裏庭には遊具が備わっているので、昔のように再び幼稚園を開きたいと、恵まれた広さと設備の中で夢は広がる。
 教会では8年前から委員会を作って新会堂を検討してきた。2年前に築16年の天理教会が空いているという情報を入手。何年も空き家だったため傷みが目立ち、周りは草や竹が繁り放題。それでも建物はしっかりとしていて、なにより大きい!
後藤牧師がまず思ったのは「我々には大きすぎる」ということだったが、祈りの中で突然「ほしい!」と言う思いが与えられた。ここからがスタートだった。
 元は23億円もの物件。それが改装費込みで2億足らずで購入できた。元天理教会でも抵抗はなかった。聖別式もきっちりやった。
 契約後もっとも神経を使ったのは自治会など地域との話し合いだった。ここは市街化調整区域で、府の認可を得るために地域の同意書が必要だったのだ。無事に同意書をもらって、改装後の内覧会は地域の人たちを招いた。これからコンサートや文化教室などを開いて、地域に根差した活動を展開していきたいと後藤牧師。
 「これから日本の経済構造が変わっていく中で、このように大きな場所がキリスト教会に与えられるということが、日本中どこでも起こるようになると思います。不思議な神の働きの中で、土地建物が教会に開かれていくのです。ここは神様の憐れみによって与えられた会堂。ぜひ他の教会にシェアしていきたい。たくさんの方にいろいろな形で神様と交われる場として使ってもらえたらと願っています」

 会堂は見学できる。問い合わせは同教会Tel.0774・63・4800へ。

◎チェリノブイリ事故被爆牧師 ボリス・グリシェンコさん−−放射能の「恐れ」は神からではない=1204

 2011年3月11日の福島第一原子力発電所事故による放射能被害は国際的な事故評価尺度(INES)で「深刻な事故」とされるレベル7と評価された。これは史上最悪の原発事故、1986年チェルノブイリ原発事故に匹敵する。チェルノブイリでは直接事故で亡くなった人は少ないが、長期的には人々の生き方に影響した。今年のウクライナの人口調査では、人口の90%が体内にヨウ素が足りないことが分かったという。当時ウクライナで被曝したボリス・グリシェンコ牧師(キエフJewish Messianic Congregation牧師)が3月19日、福島未来会議2(1面参照)に参加し、講演した。チェルノブイリから、教会の働き、クリスチャンのあり方、放射能の恐怖について何を学ぶことができるだろうか。

神様はチェルノブイリ原発事故を用いられた
 事故当時クリスチャンは少なかった。教会は政府の管轄下にあった。地下教会もあったが、内輪の集まりだった。ゴルバチョフのペレストロイカによって自由化が進むと、回心者が増え、思想を取り締まるソ連国家保安委員会(KGB)や共産党も管理しきれないほどになった。そして教会の担う役割が大きくなった。ボリス・グリシェンコさんは「60%の人がロシア正教徒ととらえているが、信仰が形骸化している。福音派の数は少ないが、社会貢献が目立つ。私は積極的にチェルノブイリ事故後のことを考えるようになった」。旧ソビエト連邦の崩壊前後は、ある教会は信仰生活だけを強調してほかの面は支援しない、ある教会は社会貢献だけをして霊的部分を忘れるなど、傾向が二極化した。「教会は社会から切り離された存在ではない。霊的な面だけではなく、人のすべての必要に応えるべき」とボリスさんは考える。また「神様はこの事故を用いられた」ととらえる。「旧ソ連の欺瞞が暴かれ、共産主義体制が崩壊した。事故後の情報統制など、どれだけ国が腐っているかが発覚した」
 事故当時、チェルノブイリから約130キロにあるキエフ(現ウクライナの首都)にいたボリスさんの体には様々な症状が出た。全身が風邪のように熱くなり、首周りにじんましんを発症、声を失い、しゃべれない。検査で内分泌器の被曝が分かり、肝臓、腎臓、口内にも影響があった。怪我するとかさぶたができず、血が流れ続け、2日間止まらないこともあった。

被曝による体調不良が癒された
「喜びが治癒の確率を上げる」
 ボリスさんはユダヤ系の家庭に生まれた。シオニスト運動に身を挺してイスラエルへ脱出した兄はユダヤ人の秘密組織に所属して、印刷物をイスラエルから送ってくれていた。その中にキリスト教の文書があり、ボリスさんも見ていた。原発事故後、イエスを信じたことで病の癒しを経験した人に出会い、教会に行くようになった。悔い改めたとき、まだ「信じます」と言わないうちに、体の悪いところが治癒し始めた。切り傷をしても、3分で止まった。病院で血液検査をすると完全に回復していることがわかった。その後、数年でほかの部分も癒された。「弱い者には奇跡が必要だった」と振り返る。イザヤ53章の読み方が変わった。「メシヤは病を癒すのみならず、体や霊の弱さも担ってくれる」ということを理解した。
 被曝した子どもに対するミニストリーを長年展開する。「放射能にかかわる恐れは目に見えない分こわい。泣く者と泣くことは保護者には必要だが、子どもには別のやり方がいい」と述べる。中世の修道士フランチェスコにならい、神様と2人のときは泣いていいが、病人の所に出掛けるときは神様の喜びで奉仕するようにした。
 ボリスさんは「白血病、がんなど致命的な病気に罹り、髪の毛を失った子どもを見て、喜び溢れるのは難しい。それでも喜びに満ちた信仰をもって接すると、体が良くなる確率がずっと上がる。信仰をなくし、ずっと緊張したままでは最終的に自分も病気になってしまう」と喜びと癒しの関係を説明した。
 自身も放射能の恐怖にさらされたが、聖書を調べるうちに「神様だけを恐れる」ことの大切さを理解できた。「多くの恐怖は客観的なものではない。神から来るものではない。サタンが私たちを揺るがすためにもたらしたのだ。ある人は早く、ある人は時間をかけて恐怖の世界から脱出して元気になった。長年にわたって観察した事例が示している」。事故後10年の96年に開いた集会では、被曝して体調不良を訴える多くの人が出席。恐れを拒絶する祈りを皆でしたところ、多くの人の体調が改善した。
 福島第一原発事故後も、様々な情報に人々は翻弄された。ボリスさんはクリスチャンにアドバイスする。「必要な情報は知っておくべき。だが『悪いこと』に目を留め過ぎてはいけない。神様を喜べばいい」