<新学期特>随想 何のために新しいことを始めるのか?――賜物を再発見する旅に出る
何かを新しく始めようとする時、大切なことは、一体何なのでしょうか?人それぞれに違う動機と目的があると思われますが、では、聖書は何と言っているのかを考えてみたい […]
<竜馬をめぐる人々>[86]坂本直寛の章:45――もう一つの幕末維新史 記・守部喜雅
明治44年、直寛は札幌にある北辰教会(現在の北一条教会)での奉仕を終わった後、朝鮮に渡り、龍山方面の伝道に赴きました。帰国後は浦臼の聖園教会から招きを受け、特 […]
<オピニオン>今だからこそ中国に観光旅行を 記・守部喜雅
10年にわたる胡錦濤体制から習近平体制に代わり、冷え込んだ日中関係がどうなるのか先が見えない状態が続いている。9月に中国各地で起こった反日デモは、多くの日本人 […]
<竜馬をめぐる人々>[85]坂本直寛の章:44――会津戦争の怨念を越えて 記・守部喜雅
1909年(明治42)8月、井深梶之助を講師に迎えての日本宣教開始50年記念集会は、旭川でも多くの会衆を集め盛況でした。井深は日本基督教会では植村正久と並んで […]
<竜馬をめぐる人々>[83]坂本直寛の章:42――政界から点示伝道者の道へ 記・守部喜雅
1902年(明治35)8月、坂本直寛は、札幌における北海道教役者夏期修養会の講師として招かれた植村正久から、政界から転じて伝道者にならないかと勧められ、その時 […]
<竜馬をめぐる人々>[82]坂本直寛の章:41――遊郭反対で政治家の出番 記・守部喜雅
ピアソン宣教師夫妻や直寛が旭川に赴任した頃、石狩川と忠別川が合流するあたりの旭川番外地に貸座敷と称する10軒ほどの娼家がありました。北海道庁が設置を許可した曙 […]
<竜馬をめぐる人々>[81]坂本直寛の章:40――同じ罪人として語る十字架に感動 記・守部喜雅
坂本直寛が日本基督教会旭川講義所に伝道者として赴任したのは1902年(明治35)11月のことでした。直寛50歳の時です。その2年後には按手礼を受けて牧師になっ […]
エベレストの麓の村に福音は届いた――訳業40年 カリン語聖書翻訳完成
日本ウィクリフ聖書翻訳協会の鳥羽季義・イングリット夫妻が、40年にわたり取り組んできたカリン語(ネパール)の新旧約聖書翻訳が完成したのを記念して、5月19日、 […]
<竜馬をめぐる人々>[80]坂本直寛の章:39――頑なな監獄職員の洗礼 記・守部喜雅
十勝監獄に勤めていた“ステッセル”こと宮本正の回心は大きな波紋を呼びました。ピアソン夫人も「彼が神を信じるのは絶望的です」とさじを投げていた人物です。それが、 […]
<竜馬をめぐる人々>[79]坂本直寛の章:38――頑なな監獄職員の信仰告白 記・守部喜雅
十勝監獄でのリバイバルで新しい人生を歩むようになった監獄職員の宮本正は、日露戦争でロシア軍将校を捕え金鵄勲章をもらったという元軍人です。 直寛が特に、その救 […]