聖書のことばに聴く
キリストは、……自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名を与えられました。それは、イエスの名によって、……すべての舌が「イエス・キリストは主です」と告白して父なる神に栄光を帰するためです。(新約聖書・ピリピ人への手紙2章6〜11節)
挫折からの復活が新しい始まり
もうだめだ、おしまいだ、と思うことはあるでしょう。大きな挫折や取り返しのつかない失敗をすると、悲観的な思いに陥ります。イエス・キリストが救い主だと信じ従ってきた弟子たちが経験したことがそうでした。 人々を癒やし、不可能を破る奇跡を起こし、聖書を語れば熱い感動を呼ぶ。この方こそ、ローマ帝国に支配された屈辱から祖国を解放してくれるに違いないと期待していたのです。ところが、イエスは神を冒瀆(とく)したと罪を着せられ、最も残忍で恥辱の極みである十字架で処刑されてしまいます。
連載 イエスの名言 それってありなの? 13
誰一人あきらめない愛
水谷潔(春日井聖書教会 協力牧師 キリスト教性教育研究会 会長)
最大多数の最大幸福」という言葉があります。これはできるだけ多くの人に、できるだけ大きな幸福を与えることが善であるという道徳観を示す言葉。誰一人例外なく、すべての人が幸福であることは理想なのでしょうが、そうはいかないのもの。むしろ、誰かの犠牲の上に、多くの人の幸福が成り立っているのが、現実ではないでしょうか。
名画で読む聖書の世界 13「荒野のキリスト」
町田俊之(バイブル・アンド・アートミニストリーズ 代表 富士見聖書教会 牧師 )
それからイエスは、悪魔の試みを受けるために、御霊に導かれて荒野に上って行かれた。そして四十日四十夜、断食をし、その後で空腹を覚えられた。すると、試みる者が近づいて来て言った。「あなたが神の子なら、これらの石がパンになるように命じなさい。」 イエスは答えられた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きる』と書いてある。」
新連載 子どもに教えて気がついた
第1回 「漢字の向こうに聖書が見える」
ブラッシュ 木綿子(翻訳・編集者)
少しでも漢字を覚える助けになればと、子どもたちに漢字の成り立ちをいちいち見せながら教えていると、私にも多くの発見がありました。「これは聖書の教えに通じるな」と思うことや、聖書のことばを連想させるような漢字の成り立ちが意外と多かったのです。そんな発見のいくつかをご紹介しながら、皆さんと一緒に聖書の世界をのぞいてみたいと思います。
連載 バイブル・コラム いやしの言の葉 <25>
<自己中心という罪>
何事も利己的な思いや虚栄からするのではなく、へりくだって、互いに人を自分よりすぐれた者と思いなさい。それぞれ、自分のことだけでなく、ほかの人のことも顧みなさい。(新約聖書・ピリピ人への手紙2章3~4節)
人は小さな言葉で相手の心を大きく傷つけることができます。逆に言えば、人というのは誰かの小さな言葉で心が大きく傷ついてしまうものです。
ひとそのあしあと
その時、聖書の言葉が心に迫ってきた。「わたしはあなたとともにいる」と
サウンドエンジニア 小林仰志さん
裏方として音量や音質の調節などの働きをする音響(PA)。コンサートや集会などでは、音響の良し悪し一つで成否が決まってしまう重要なものだ。サウンドエンジニアの小林仰志(こうじ)さんは、教会での奉仕をきっかけに音響に興味をもち、東京の専門学校でその技術を習得。音響会社に就職し、有名なアーティストのコンサートツアーに参加するなど活躍していた。だが、「その頃は自分を見失っていた」とも話す。そんな小林さんが、人生のどん底で見つけた光とは?