聖書のことばに聴く
「私たちは知っています。私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅ぼされて、私たちがもはや罪の奴隷でなくなるためです。」 (新約聖書・ローマ人への手紙 6章6節)
挫折は終わりではない
もうおしまいだ|イエスを主と信じ従ってきた弟子たちの誰もがそう思ったことでしょう。この方こそローマ帝国の支配から祖国を解放する救世主に違いないと期待していました。その「主」が、あろうことか極悪人が処刑される十字架につけられ、みじめな最期を遂げたのです。
新連載 聖書は知恵の宝庫
第1回 正しすぎてはならない
立川福音自由教会牧師 高橋秀典
新型コロナ感染が始まったころ、日本の小さな町では、「コロナにかかったことが発覚して、転居せざるを得なくなった…」という悲劇がありました。しかし最近は、コロナ死者数が史上最高を更新して行く中で、マスクを外す話が進んできました。それは「時代の空気」が変わってきたからとも言えましょう。
連載 子どもに教えて気がついた「漢字の向こうに聖書が見える」
第14回 「世」 外で小さくたたいているよ そっと押して開けてみよう
ブラッシュ 木綿子(翻訳・編集者)
漢字の「世」は十を三つ書いて下をつないだ形です。中国では昔、三十年を一世と言い、年数の長いことを表したそうです。「世」には他に、時の区切りの意味や、世(よ)、世の中という意味もあります。
新連載 北欧のテーブル
その一 イースターの復活を祝うパシャ
ヨシムラ・パイヴィ(日本福音ルーテル スオミ・キリスト教会宣教師)
イースターの季節がやってきました。フィンランドでは、一年のうちでクリスマスに次ぐ大きなお祝いの時です。「聖金曜日」(キリスト受難の日)から翌週の月曜まで休日となり、丁寧に掃除をしたりイースターの料理やお菓子を作ったり、各家庭でお祝いのための様々な準備がなされます。イースターの日付は三月の半ばから四月の終わり頃まで、年によって変わります。この時期のフィンランドはまだ寒く、緑もありません。そのため人々は家の中に白樺の枝やネコヤナギを飾ったり、小さな芝生を育てたりします。室内の暖かさでそれらが芽吹くことで、イースターの新しい命が表現されるのです。
連載 バイブル・コラム いやしの言の葉 <37>
望みに支えられた忍耐
聖書にはすばらしい言葉があちこちに散りばめられていますが、読んでいて、意味がよくわからない、内容がもうひとつピタッとこない、と思う箇所があります。でもその場合も、別の箇所でその意味が具体的に説明されていることがあります。
ひとそのあしあと
心身ともに浮き沈みのある がん療養生活 明るい光を見上げる機会に
alvo がん哲学カフェ代表 髙畠 恵子さん
がんの宣告によっていきなり死に直面させられた人たちが悩まされるのは、肉体的な苦しみだけではない。死への恐れや、周囲の無理解、社会から切り離されてしまったかのような心の痛みもある。そして、同じ境遇の人たちが集まれば、ただそれだけで慰めが得られるものでもない。だが、そこに、神の愛とぬくもりを知る人の祈りと希望の灯がともれば、重い現実の中でもほがらかに笑い合う時間を共に過ごすことができる。
自らがんを患いながら、「がんカフェ」を主催し、そんな時間と場所を提供している髙畠さんにお話を伺った。