第3回「東日本大震災国際神学シンポジウム」抄録[17:最終回]--教会はキリストによる新しい生き方の発現 発題者:ジョージ・カランティ
「あなたは誰の足を洗うのか」ーー苦難のただ中でリーダーを起こす バシレイオスの生前を偲ぶ葬儀説教において、彼の友人であり同僚であるナジアンゾスのグレゴリオスは […]
第3回「東日本大震災国際神学シンポジウム」抄録[16]--4世紀の司教バシレイオスの実践 発題者:ジョージ・カランティ
「あなたは誰の足を洗うのか」ーー苦難のただ中でリーダーを起こす 4世紀の司教バシレイオスは、孤立的生活が内向きになり自己満足に陥る危険を警告し、修道士たちには […]
第3回「東日本大震災国際神学シンポジウム」抄録[15]--「あなたは誰の足を洗うのか」 発題者:ジョージ・カランティス
孤立した霊性の追求には自己満足の危険が しかし、孤住生活には危険がある。…第一の、そして重大な危険は自己満足である。|カイサリアのバシレイオス(330年頃〜37 […]
第3回「東日本大震災国際神学シンポジウム」抄録[14]--災害が教会に教えること 発題者:デービッド・ボーアン
被災者支援の機会を拡大するミニストリー 事例研究:フィリピン 2013年11月8日、台風ヨランダ(アジア名:Tyhoon Haiyan、日本名:台風30号)がフ […]
第3回「東日本大震災国際神学シンポジウム」抄録[13]--教会が地の塩・世の光の役割を果たすために 発題者:デービッド・ボーアン
災害が教会に教えること ときに災害は、国家の失敗を正すために政治的な行動を起こす必要性を明らかにすることがあります。ボンヘッファーはこのような状況について、稀で […]
第3回「東日本大震災国際神学シンポジウム」抄録[12]--災害が教会に教えること 発題者:デービッド・ボーアン
困惑している人々へのかけ橋としての教会 教会ベース災害ミニストリーのモデル かけ橋の概念は二つのコミュニティーをつなぐことを意味します。この点では、教会は弱者と […]
第3回「東日本大震災国際神学シンポジウム」抄録[11]--災害が教会に教えること 発題者:デービッド・ボーアン
教会が本来あるべき教会になる バーチャード(Burchardt)は、南アフリカでHIV(エイズ)のまん延を止めるキャンペーンに従事していた多くの教会で、HIVプ […]
第3回「東日本大震災国際神学シンポジウム」抄録[10]--社会と被造物を贖う組織・教会 発題者:デービッド・ボーアン
災害が教会に教えること 以上に挙げた例やその他の類例は、災害とそのリスクの見方について、いくつかの特性を示しています。 誤った認識1 災害ミニストリーとは救援活 […]
第3回「東日本大震災国際神学シンポジウム」抄録[9]--災害が教会に教えること 発題者:デービッド・ボーアン
弱者は長期的被害を受けやすい 残念ながら、災害時にどのようにこの(地の塩・世の光としての教会の)使命を果たすべきか、について歪みをもたらす二つの要因が存在します […]
第3回「東日本大震災国際神学シンポジウム」抄録[8]--地の塩である教会として仕える 発題者:デービッド・ボーアン
災害が教会に教えること 教会の使命 災害ミニストリーに従事する上でのリスクを理解するには、何がリスクにさらされているのかを正確に定義しなければなりません。まず教 […]