<フクシマの声を聴く 第3部>これからの福島[9]--宮城がんばろう、と言われ 記・中尾祐子
木村里江さんは、NPO法人被災支援ネットワーク・東北ヘルプが福島県内の諸教会と共同で運営する仙台・食品放射能計測所「いのり」で働いている。それまでは栄養士として […]
<フクシマの声を聴く 第3部>これからの福島[8]--親たちの不安の声を聴く 記・中尾祐子
塩津由扶子さんは神戸出身、いま福島県郡山市に住んでいる。2013年4月からふくしまHOPEプロジェクトのスタッフとして働いている。同プロジェクトは原発事故による […]
<フクシマの声を聴く 第3部>これからの福島[7]--やっぱりアウェイだなあ 記・中尾祐子
福島で代々続くオーダーメイドの洋服店で働いていた菅野晴治朗さんは、いま避難先の京都で家族と暮らしている。幸いにも同じような仕事に就けたが、転職活動には1年かかっ […]
<フクシマの声を聴く 第3部>これからの福島[6] 家族のいない家で 記・中尾祐子
菅野晴治朗さんはいま京都に家族4人で住んでいる。福島市内に家があり、祖父の代から続く注文洋服の店で父、兄と一緒に働いていた。原発事故で被災し家族だけ先に京都へ避 […]
<フクシマの声を聴く 第3部>これからの福島[5]--前に進まないと 記・中尾祐子
高山文子さんは50代、福島県双葉郡浪江町に夫と住んでいた。浪江町は東京電力福島第一原発から20キロ圏内、放射線量が高く帰宅困難地域である。その頃、高山さんは転職 […]
<フクシマの声を聴く 第3部>これからの福島[4]--18歳以上お母さん未満の声 記・中尾祐子
福島に住む18歳以上お母さん未満の女性のために「女子の暮らしの研究所」を起こして活動している日塔マキさんは、それまでイベント制作や広告の仕事をしてきた。仕事はハ […]
<フクシマの声を聴く 第3部>これからの福島[3]--本音が言える場所を作ろう 記・中尾祐子
日塔マキさんは31歳。福島でピーチハートという団体を立ち上げた。「震災から8か月たったとき、みんなも疲れていたのでしょうけど、福島では放射能の話はタブーになって […]
<フクシマの声を聴く 第3部>これからの福島[2]--危機管理の備えをしているか 記・中尾祐子
上條さんは福島県南相馬市で被災した。一時避難したが、また南相馬に戻り、森林整備と障がい児のための福祉支援サービス運営をしている。ここは放射線量も高いため家族は […]
<フクシマの声を聴く 第3部>これからの福島[1]--町を子どもたちに見せたくない 記・中尾祐子
震災から3年たったいま、福島の人たちが口をそろえていうことは「これから始まる」ということだ。福島は何も終わってはいない。健康問題や心の問題、生活への不安、人と […]
<フクシマの声を聴く 第2部>若い世代から[19]--原発事故なかったら、こんな目には… 記・中尾祐子
今、はんなちゃんは10歳。福島から京都に家族で避難している。震災のときは1年生だった。学校で保護者たちの面談があり、子どもたちは講堂で宿題をやったり遊んだりし […]