クリスチャン新聞福音版2021年2月号

聖書のことばに聴く 

 その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちがいたところでは、ユダヤ人を恐れて戸に鍵がかけられていた。すると、イエスが来て彼らの真ん中に立ち、こう言われた。「平安があなたがたにあるように。」……弟子たちは主を見て喜んだ。イエスは再び彼らに言われた。「……父がわたしを遣わされたように、わたしもあなたがたを遣わします。」新約聖書・ヨハネの福音書20章19〜21節

復活の証人が結んだ実

  キリスト教といえば思い浮かぶのが十字架でしょう。罪のない神のひとり子、イエス・キリストが人々の罪を負って釘付けられた死刑の道具です。世の救い主が処刑されたそのシンボルによって主の死を記念し告げ知らせることが、キリスト信仰には欠かせません。

クリスチャン新聞福音版2021年4月号

新連載 イエスの名言 それってありなの?
ぶどう園のたとえ話 ホワイトすぎる雇い主

水谷潔(春日井聖書教会 協力牧師 キリスト教性教育研究会 会長)
 働き方改革の一環として「同一労働・同一賃金」が推奨されているようですが、イエス様のたとえ話には正反対の雇用者が登場します。それは、マタイの福音書二〇章が記す日雇い労働者とぶどう園の主人のたとえ。良質なぶどう酒を造るために、ぶどうの収穫は、短期間で済ませる必要がありました。ですから、畑の主人は朝早くから日雇い労働者を雇い、当時の一日の賃金である一デナリを約束します。九時、十二時、午後三時にも出かけて行き「相当の賃金を払うから」と約束します。さらに、五時になっても仕事のない者を見つけて彼らを雇います。

名画で読む聖書の世界 ⑦「よみがえりのイエスを信じる」

町田俊之(バイブル・アンド・アートミニストリーズ 代表 富士見聖書教会 牧師)
 よみがえったイエスを信じるとは、自分がイエスに知られていることを自覚できた時にこそ訪れるものであり、その瞬間に、イエスとの相互主体的な関係を結ぶことができるのだと思います。神を「知る(信じる)」とは、神に「知られている(信じられている)」ことを 受け入れることによってのみ成立する出来事なのではないでしょうか。

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新連載 祈りのある風景
<<神と対話をする人々>>

守部善雅(キリスト教ジャーナリスト)
 先日、街の本屋さんで、『長生きしたいわけではないけれど。』という本を見つけました。曽野綾子さんの人生論です。カトリック教徒の曽野さんは、その人生論も聖書の真理に言及した内容が多いのですが、この本には、いくつかの祈りの言葉が紹介されていました。その一つが、左記のキェルケゴールの祈りです。この祈りは、“感謝とは価値を発見する能力”という項に紹介されています。

連載 バイブル・コラム いやしの言の葉 <13>
<<イエスの沈黙に倣う>>

 イエス様はことばの方でした。だれにでもことばを掛けられましたし、それはいつもその人にふさわしい、ピッタリのことばでした。でも不思議なことにご自分のためにことばを使うということは、あまりなかったようです。今日の聖書の個所は、イエス様が十字架にかかられる前の裁判の場面です。「最後の晩餐」を終え、「ゲッセマネの園」で祈っていたイエス様は、ユダの裏切りに遭い、祭司長や民の長老たちによって差し向けられた群衆に捕らえられ、大祭司カヤパの前で取り調べられます。

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ひとそのあしあと
「チャプレンとして、自分として。装わず本音でコロナ患者と」

今月のひと…在米/コロナ&精神科病棟担当チャプレン 関野和寛さん
  牧師のガウン姿でかき鳴らすベース。ロングヘアを激しく揺らしながら力強く放つ歌の強烈なメッセージ。関野和寛さんは、プロテスタント教会の中でも特に典礼を重んじるルーテル系の牧師でありながら、ロックに生きる姿が注目を集めた。昨春に十四年務めた教会の牧師を辞し、今は新型コロナウイルスの感染が拡大するアメリカの病院でチャプレンをしている。「コロナ最前線」に立つ〝ロック牧師〞、その活動とは̶。

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