聖書のことばに聴く
見よ。主の手が短くて救えないのではない。その耳が遠くて聞こえないのではない。(旧約聖書・イザヤ書59章1節)
神さまの手は短くない
私たちはどんな時に「神さま」の存在を感じるでしょうか? 絶体絶命の危機から奇跡的に救われた、というような体験をすると、「神さま、感謝します」と思います。でも次から次に試練や困難にぶつかると「神も仏もあるものか!」と愚痴をこぼしたくなるのが常です。 神はいるのかもしれないけれど私のこの問題は解決できない、と心のどこかで思ってしまう。ついこの前まで神さまに救われたと感謝していても、何か問題にぶつかると、その救いの手が自分には届いていない気がして不平が出るのです。
連載 イエスの名言 それってありなの? 16
放蕩息子のたとえ・中
水谷潔(春日井聖書教会 協力牧師 キリスト教性教育研究会 会長)
ドラマやコントなどで、自分を見失い、状況も理解できない時に発するセリフは「私はだあれ? ここはどこ?」。前回紹介した「放蕩息子のたとえ」に登場する弟息子は、まさに、「私はだあれ? ここはどこ?」状態にありました。
聖書カメラの捉えた映画と人生 26「シティ・オブ・エンジェル」
小川政弘(元ワーナー・ブラザーズ映画制作室長 )
この映画は、一九九八年製作、上映時間一一四分のアメリカ映画で、その十一年前、一九八七年にフランス・西ドイツ合作映画として作られた「ベルリン・天使の詩」のリメイクです。舞台も、ベルリンからアメリカのロサンゼルスに変わり、それが映画のタイトル(「ロス・アンジェルス」はスペイン語で″天使たち ″)にもなっています。
連載 子どもに教えて気がついた「漢字の向こうに聖書が見える」
第4回 「手を大きく広げて創造主を仰ぐ」
ブラッシュ 木綿子(翻訳・編集者)
今月の漢字は「天」です。成り立ちからすると、「大」、「天」、「立」、「夫」、「太」、「央」は全部同じグループです。「大」は、人が大きく手と足を広げて立っている姿の象形です。よく子どもが両手を広げて、「こーんなに大きいの!」と言いますよね。まさにあんな感じです。この人の頭の上に、更に大きく広がる空を書くと「天」になり、逆に、足の下に地面を書くと「立」になります。
連載 バイブル・コラム いやしの言の葉 <28>
<感性、信仰、行い>
私の兄弟たち。だれかが自分には信仰があると言っても、その人に行いがないなら、何の役に立つでしょうか。そのような信仰がその人を救うことができるでしょうか。兄弟か姉妹に着る物がなく、毎日の食べ物にも事欠いているようなときに、あなたがたのうちのだれかが、その人たちに、「安心して行きなさい。温まりなさい。満腹になるまで食べなさい」と言っても、からだに必要な物を与えなければ、何の役に立つでしょう。
ひとそのあしあと
皆さんは、愛されるために生まれたんだよ。
龍ケ崎済生会病院産婦人科医 陳 央仁さん
「子どもたちにいのちと自分自身を大切にしてほしい」と、二〇〇三年から茨城県はじめ関東圏の小学校、中学校、高校の生徒、またその保護者や教師を対象に〝いのちの授業〟と呼ばれる「生教育講演」を行ってきた産婦人科医の陳央仁(ちん・おうじん)さん。そのいのちの授業の評判は口コミで広がり、地元茨城では「陳先生の授業を、小・中・高と三回受けた」という生徒も少なくない。「皆さんは、愛されるために生まれたんだよ…」。いのちの授業で陳さんが必ず伝えるメッセージだ。